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0307:トンデモ説を信じる人

 最近商業ベースで発刊されなくなったが、と学会の本は最初の1995年の『トンデモ本の世界』からずっと愛読していた。

 トンデモ本は、非科学的・非合理的・非常識的な主張をする書籍を指す。アポロは月に行ってない。水にありがとうといえば綺麗な結晶が出来る。イエスは日本に来て死んだ。ね、面白いでしょう? こういうジャンルはと学会登場以前から好んでいたけれど、と学会の本には多数の事例が紹介されていて、「ははあ、世の中にはこんなおかしな主張があるんだなあ」と、人間の多様性にいつもワクワクしていたものだ。

 最初はこうしたトンデモ説を信じる人はごく少数だと思っていた。でも次第に、実はそうではなくて、世の中の一定数の人はこうした説を簡単に信じ込み、トンデモ説を批判する人を攻撃する立場に回るのだということを、思い知ることになる。最初はアメリカ南部で進化論を否定しキリスト教の創造説を信じる人が半数いるという数字を見た時だ。半数? まさか。しかし事実だった。

 ネット社会では、トンデモ説を信じる人の声がとても大きく、強固で、攻撃的だから、日常的に見掛けるようになった。そうすると、その説を信じる人が更に増えていく。その世界最大の事例はトランプ大統領の発言とそれを支持する動きだろう。就任当初から、ポスト・トゥルース(真実より後に来るもの=真実を上回るもの)とかオルタナティブファクト((事実の)代わりの事実)とか、なんとも象徴的な新語が生み出された。クライマックスは大統領選挙に敗北した後の「選挙が盗まれた」言説とそれに導かれた議会襲撃事件だ。

 トンデモ説は、少数の人が信じる遠くの世界なんかじゃない。社会を動かすだけの人数が信じる、私たち自身の生活に影響を与えるほど身近な世界なんだ。

 行動経済学は、人は決して合理的な存在ではないこと、直感的な判断(システム1)に理性的判断(システム2)が引きずられることを浮き彫りにしてきた。人は、自分の感情を信じる。情緒を掻き立てる言説を本当だと思い込む。何故なら、現にそう感じているからだ。

 そして、そこには、事実かどうか、合理的推論といえるかどうか、科学的かどうかは関係がない。事実や合理的推論に反する説であれば、それは誤りであり、致命的な失敗を犯す可能性すらある。「コロナはただの風邪だ、自由を侵害するマスクは外して騒ごう」「地球温暖化なんて産業を邪魔するデマだ、温暖化対策なんてコストのかかることはやめてどんどん発展させよう」「俺は俺の感覚を信じる、他人の指示には従わない」その果てに何が起きるか、片鱗はまさに今の日本社会の中に現れている。

 私には科学者として信頼していた人がいた(実際に合って酒を酌み交わしたことのある人だ)。しかし近年、その人のSNSでの発言が少しずつおかしな感じになってきた。心配しながら読み続けていたが、先月辺りからついにコロナ対策に携わる医療・公衆衛生関係者たちの説を根拠を示さず否定し「コロナはただの風邪だ」と扇情的な画像と共にアップするようになった。科学に基づく論理的な批判なら、それは良いのだ。でも、そうじゃなかった。その人は完全に煽動者になっていた。

 オリンピックが始まって感染爆発と医療崩壊の深刻な足音が報道されるようになり、その人は今どうしているかなと先ほど確認したら、関連する書き込みの大半が削除されていた。

 なんだか、やるせない。

--------(以下noteの平常日記要素)

■【累積27h20m】本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
実績110分、抵当権移転登記周りの動画3本を視聴して22時になり、チェック問題は明日回しに。一応理解しながら聴いてはいるけれど、記憶にはあまり留まらない。最初はそれでいい、繰り返すことでやがて定着するから、と割り切って進む。

■本日摂取したオタク成分(オタキングログ)
『ノブナガ先生の幼な妻』第11~最終話、なんとなく楽しんで最後まで観た。ラストは2期含み。一応観たいぞ。『アサシンズプライド』第1~5話、放送時にこの辺まで観て、首が回らなくなって止まってしまった。あらためて1話から観ているが、やっぱりこれ面白い。OP&EDがとても印象的ないい曲なんだよねえ。

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