帰りにうどんを食べた話
今日はたまたま、外で食べる日になった。
せっかくだから、池袋の食事屋に行きたい
思って、テキトーに調べた。
ここ最近はいいものを食べるようになった。先週は2600円するタイ料理のディナーに行ったし、先々週は1人6000円する火鍋を食べに行った。一昨日はsmバーに行って、26000円も使ってきた。
社会人になっお金が使えるようになって、ちょっといいものを食べるようになった。小学校から大学生までの僕には、ちょっとした夢だった。
節約しよう。結局、安さを考えてうどんにした。
西武池袋屋上にある、かるかや。そこで650円のすたみなうどんを選んだ。
席に着いて、空を見上げてから食べる。うまい。うどんはいつでもうまい。
こうしてうどんを食べていると、大学の学食で150円のうどんを啜っていた日々を思い出す。安いから、それで十分だから。そう思って身を切り詰めて過ごしていた。うまいものを食べたいナァ……なんて考えながら食べていた。
社会人になってから、うまいものを食べれるようになったものの、イマイチ美味しいと感じきれない。金額のことが頭によぎってしまうのだろう。
やはり、おれにはこういう飯が1番いい。気兼ねなく、安心して食えるうまいものがいいんだ。
お金が使えるようになって、夜の店で遊び始めた今の自分を、小学生や中学生、高校生や大学生の自分はどう思うだろうか?
もちろん、今の自分は必要な事だから遊んでいるのだと言える。 だが、何も知らない学生は、不埒なヤツだとかバカなヤツだとか思うのだろう。
でもそれは、それぞれの時代の自分に言える事だ。物書きを始めた頃も、彼女と別れた頃も、大学生になってサバゲするようになった頃も、etc……
ただ、どう思われようとも、今の自分はまだ幸せなのだ思う。今の自分は自分なりに幸せなんだ。そう思っている。
こう物思いに耽っていると、狂い火はいつも、ある光景が思い浮かぶ。
京葉線のホームから見える夕日、そして通過する電車。
このまま死んでしまおう考え、踏みとどまったあの日の光景だ。自分はあの時に終わっていた命なのだと強く思う。ただ、反抗心というガソリンと惰性という慣性で生きている。いつ、そのガソリンが無くなるか心配していたが、なんとか今も生きている。色んなことに気に病みながら、人間らしく生きている。
だから、今の自分は幸せだと言えよう。他の人との違いに苦しんで、自分の愚かさに苦しんで。でも、違いを強みに活かして、お金を使って必要なものを手に入れて、自分なりに手に入る範囲で幸せを手に入れている。
今の自分を愚かだとか恥ずかしいとは思わない。いや、そう思う時はあれど、過去の事として笑い飛ばせるように生きている。将来の自分はそうしてくれる。
さて、食べ終わった訳だし、帰る……前に短冊を書く事にした。
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