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請願

★はしがき

 ・新型コロナウイルスにより、空間に依る芸術文化は危機的状況に陥っている。だが、なぜ誰も声を上げないのであろうか。テレビでもTwitterでも、空間の喪失を憂う声を聞かない。私が見逃がしているだけかもしれないが、創作檄文という運動の発起人である私がその運動を見聞きしないのだから、一般の方に届いているはずもない。

 ・私は、芸術文化給付金なるものを国に要請するために請願書を書いていた。だが、私は病に侵され、2か月近くの入院を余儀なくされた。前述のとおり、私は創作檄文という運動を発起人であるが、死を前提としたとき、そのどちらを優先すべきであるかを考えた結果、私は創作檄文を選んだ。それは、私が根っからのアーティストであることの証である。私は経営の素人で、説得する自信がないのだ。

 ・私は進行性の難病を疑われたが、運よく比較的予後は良好なものであった。不幸中の幸いに恵まれ、今この記事を書いている。だがやはり、この運動は私がやるべきことではない。なぜなら、私は空間に依る文化に根ざす者ではなく、それを拒絶している人間であるからだ。私はライブバンドの演奏でもみくちゃにされたり、クラブで踊り狂うことが大好きではあるが、私はその舞台で歌ったり、躍らせたりすることに全く意義を感じない。私は私の価値観に殉じるものであり、鑑賞者を想定はすれど、その要請に応えるものではない。私はこの運動の発起人としてはふさわしくない。であるから、提案という形に留め、請願という個人的なひとつの運動を終えようと思う。

★本題

 ・アフターコロナの芸術の展開は、「配信」と「屋外」が主となる。集客を目的としていない練習スタジオのようなビジネスモデルが、現状況の最適解である。だが、100人以上、1000人未満程度のキャパのオーナーは絶望感を抱いているだろう。ソーシャルディスタンスにより3分の1の集客しか望めないのであれば、レンタル料、チケット代を単純に3倍にするしかない。演劇や音楽というコンテンツは衰退の一途を辿っている。その最中に起こった災厄のアクシデントである。もし今このタイミングで、私が起業するとしたら、空間の提供を真っ先に除外する。今後感染症は起業リスクとなる。これは空間に依る芸術文化にとって、致命的である。

 ・こんな状況下を乗り切れないようじゃ、淘汰されて然るべきだという思考は理解できるが、新型コロナウイルス由来のものは決してその限りではない。感染症を想定した空間など、大病院だけだ。これは理不尽極まりない不自然淘汰である。私は資本主義者で社会主義者ではないが、そんなものはどうだって良い。手を打とう。

 ・提案する。全国のイベントスペースの経営者は、一丸となり「請願書」を書くべきである。特に防音設備の整ったカラオケ店、ライブハウス、クラブは、「配信」に特化した形へと舵を切るべきだ。そしてその移行期間の保証と、設備投資は税金で賄えば良い。その文化に慣れ親しんでいないものには、「一文化の喪失」を強調すべきだ。世論の支持を得るためにするのではない。ただ事実を伝えるだけでよい。私は日本人は賢明であると信じたい。

 ・私は今ある仕組みで生命線を繋ぐことを前提としている。貴賤は確かにここにある。それをまずは認めよう。今は、もつ者を頼るべきだ。名のある者の名を借りるべき時である。その名のあるものにスポンサーとなってもらい、そのスポンサーのYOUTUBEチャンネル下で配信を行う。得た収益は、演者と経営者とで分ければ良い。演者は無料でその舞台に立つというわけには行かないが、うまくやればペイできるし、名も売れる。この程度の仕組み作りなど、大企業にとってはなんの参入障壁もないはずである。数百万の求める声は、充分投資に値するだろう。彼らが既存メディアにおいてコマーシャルを打てば、人は集まる。

 ・創作檄文に賛同するアーティスト、また、敬遠しているアーティストにも呼びかけたい。これはひとつの可能性に過ぎないが、今よりずっと大きな市場になることは疑いようがない。そして対象となる小~中のイベントスペースは私たちのようなインディーアーティストの主戦場だ。当然経営者たちは、より再生数を稼げる優れたアーティストをブッキングするようになる。その時、彼らは創作檄文のリスト機能を頼らざるを得ないだろう。

★あとがき

 ・私自身はこの提案にアーティストとして賛同するものではない。荒唐無稽に思われるかもしれないが、経営者の絶望と、創作界の絶望とを汲み取るならば、これが最適解だろう。

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