見出し画像

頭でわかっているけど、そのとおりにいかない現実

私は、新卒でNPO法人に入職し、ボランティアの大学生と青少年向けのいろんな事業・サービスを作りながら、ボランティアの大学生自身の成長に関わる仕事をしています。

人は合理性だけで生きていない

人は、合理的な考えに基づいて考えることができる生き物ではありますが、
合理性だけでは生きれないのもまた然り。

「頭ではわかっているんだけど、気持ちがついていかない」というのがそれにあたるのかなーと思います。

非合理的なところも、それまた自分である。

仕事柄、大学生と話をすることが多いのですが、

たとえば、
「自分は人見知りをしてしまう」という悩みがあります。

初めてあった人とでも、せっかく何かの縁で出会ったわけですから、知り合って仲良くなったほうがいいと思う人は多いわけです。
せっかくの時間を有効活用して、人脈を増やすのが一種の合理的な考えです。

ただ一方で、人見知りが故、なかなか自分から話しかけられないのが現実でもあるわけですね。

結局、まともに話すことのできないまま終わってしまったとしましょう。

こんな状況があると、
「人見知りしてしまった自分がよくなかった」
「大事な機会をみすみす台無しにしてしまった」

そんな風にとらえる人がとても多い印象です。

「合理的な自分が、もう一人の非合理的な自分を𠮟りつけるような構図」

そんなようすが頭に浮かぶことが少なくありません。

どちらの自分もいていいのに~が伝わりにくい。

どちらの自分もダメではない。というのを伝えるのがなんとも難しい。
たしかに、そのことによってよくない影響を自分や他者に与えてしまう可能性があるにしろ、そのことはとても一面的である。

「短所は見方を変えたら長所にもなる。」

シンプルにその話と同じような気がするのだけど、そんな簡単に折り合いがつけられないのが現実なのだろうなー。

短所をなおす→長所・短所ひっくるめた”特性”とどう付き合うか。

そんな、考え方や価値観の構造転換が必要なのだろうなー-

付き合っていくためには、「特性」として受け入れることが必要ですが、
「受け入れる」というのがこれまたむずかしい。

何かをやる中で見えてくる、いろんな姿の自分。
そのことをどう受け止め、受け入れて、今後どう付き合っていくのか。
そんなことを一緒に考えることが自分の役割なんだろうと思うのです。

おいしいお酒を飲んで、ニヤニヤしながらまた今日も生きていきたいです!