魔法がとけたような

先日のこと
久しぶりにコンサートへ行ってきて

彼の歌声やメロディが とても心地よくて好きで
その人から発する振動が じぶんにあうんだろうな

聴いていたら

わたしの心のなかで たまに
そのことを考えていたわけでもないのに
ふ~っと浮かぶ感情があって

それは
封印していた出来事の
起こっていたときに感じていた
まぁ わたしの中では「忘れたい記憶」なわけで。

少し腹のたつ感覚
じぶんに 出来事に

それは風のように すっと吹いては消える程度の感覚で
もう何年も前の出来事。

なんだけど たまに 浮かび上がっては消える

心地よく歌声を聴いていたら
その 感情がふ~っとまたよぎってね
それがね ここからがいつもと違い
「あれ? でも わたしその時 幸せだった
愛に溢れていたんだ」

ってことを思い出したの
突然に。

封印が解けて
凍ったモノが溶けて
解放されたら 幸せ の感覚が流れてきた

じぶんでも
顕在化されていなかったココロの鍵

封印の魔法がとけて融けたら
急にココロが軽くなって
あの 幸せな感覚が ずっと胸に 残っている。

それから
「わたし」が喜んでいる記憶もたくさん溢れてきた。
陰と陽の陰ばかりに囚われていたことに気がつき
陽の記憶で思い出は まぁるく調和された

きっと昇華された

人のココロというのは
ずいぶんと長い時間をかけて コツコツひっそりと修復再生しているものなんだなぁと他人事のよぅに感動したりして。

人生は「燃焼」だという内容の話を先日、テレビで林先生がおっしゃっていて(正確には そのテレビを観て胸に響いたという話をお客様から聞いたのですが)

わたしは
どちらかというと
その 反対「温存」に意識をおいているなと思った

わたしの好きな仕事には
パワーをたくさん使い燃焼するから 本番に不足しないように
それ以外のときは
貯めておこうと思って。

それが正解か不正解かは
わからないけれども
わたしのクセでもる

ともすれば
温存癖が ココロの修復過程でも
溜め込むということに繋がって

何年もの間 解放されていない愛があったのかしら。

きっとね
どれだけ成長したり変化しても変わらない大切なものがあると信じていて
大切にしている自分の感覚というのが
あって
そこに 一緒にいろいろと古いモノもくっついていたのかしら

時々 浮上していた嫌な感覚はひょっとして ココロの信号だったのかもね。気にも留めずにやり過ごしていたけれど。

そして
燃焼に重点をおいても
わたしのする大切なことへもパワーは不足するどころか
相乗効果で何倍にも膨らむのでは

そう
気持ちも軽やかに動いているこの頃

融けてドバーッと流れたそこに新しい感覚を受容できるスペースができるような

書き留めておきたいココロ模様でした