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「こんな面白い人がいるんだよ!」と叫びたくて作った本

一年ぶりに書籍の制作に携わった。暦本純一さんが書かれた『妄想する頭  思考する手』(祥伝社)である。未来に必要とされるアイデアはこうやって生まれるんだと腹落ちできる本だと思う。プロデューサーとして制作プロセスで見たこと、感じたことを書きたい。

「少年」のような人

暦本さんに初めてお会いしたのは、今から4年ほど前、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーC S L)で開催されたイベントであった。

もちろん、お名前は知っていた。ヒューマンコンピュータインタラクション研究の第一人者で、世界初のモバイルARシステムや、スマホではもはや当たり前に使われている、あの「スワイプ」の開発者である。落合陽一さんの師匠としても知られ、落合さんもしばしば言及される東大の「暦本研」。その暦本さんである。コンピュータによる「人間拡張」や人間の能力がネットワークでつながる「IoA」(Internet of Ability)などのコンセプトを提唱されていて、どれほど変わった人なんだろうと思っていた。

実際にお会いした暦本さんは、極々普通の人に見えた。穏やかそうな顔に服装も普通。「これがあの暦本さんか」と拍子抜けしたのだが、イベントが始まってから暦本さんは別の顔を見せる。このイベントは、あるベンチャー企業の経営者をお招きし、その方のプレゼンとパネルディスカッションという構成であり、ソニーC S Lの社内イベントとして開催された。僕は縁あってこの場にお邪魔させてもらっていたが、暦本さんは30分ほど遅れて会場に到着された。空いている一番前の席に座り目を輝かせながら聞いている。

パネルディスカッションが終わると真っ先に質問をしたのが暦本さんだった。その口調がとても楽しそうだ。その日は筑波で用事があり、急いで切り上げて東京に戻ってきたという。このイベントを楽しみにしていたそうだ。そして体を揺すりながら自分の疑問をぶつけてくる。内容は覚えていないが、ちゃんと笑いをとって、かつ投げ込みの視点は独特だ。やっぱりこの人、相当面白い人に違いない。

当時、僕はソニーC S Lのプロジェクトに参加していたので、よく本社に伺ったのだが、ある日たまたま本社近くのコンビニに入る暦本さんをお見かけした。リュックを背負い颯爽と店内に入る暦本さん。まるで少年のような足取りの軽さに「知らない人が見たら、この人があの暦本さんだなんて誰も想像できないだろうな」と思った。

愛読書は梅棹忠夫の『文明の生態史観』

その後もソニーC S Lの仕事を通し、暦本さんと接する機会が何度もあった。物静かな風貌なのに、面白いことを話すときは子供のような笑顔を漲らせる。どんな話も、考えてみなかったような視点ばかりだ。専門のコンピュータサイエンスの話のみならず、S Fやアニメ、さらに音楽や料理などの話を聞いても独特の楽しみ方をされている。

暦本さんのもう一つの所属先でもある東京大学の研究室にお邪魔したこともあった。いつもそうだが、研究室に伺うと書棚が気になってしょうがない。暦本さんの書棚には、専門書と並んで『シンギュラリティ』や『スーパーインテリジェンス』などのデジタル社会の行方を示す書籍が並んでいる。「この中で面白かった本はどれですか」と聞くと、それらの本を取り出し一冊ごとに楽しそうに本を紹介してくれた。

その流れで書棚のラインナップから異質な本があったので、それについて聞いてみると、大好きな著者なんですと言って語ってくれた。それは梅棹忠夫さんの本であった。文化人類学のパイオニアであり、文明の生態史観の提唱者でもある。人類と文明の研究者として不動の地位を確立された方だ。コンピュータを主戦場とされている暦本さんが、文明論に興味があり梅棹さんの考えを熱心に読まれていることが意外であった。

これがきっかけで僕も知っていたけど読んだことがなかった梅棹さんの本を読むことになった。そこには人とは何か、社会とは何か、そして人の営みが蓄積されて築かれる文明の様相に対する問いをこれでもかと発する執念のような熱量があった。

技術とは使われ方によって、社会での存在はいかようにも変わる。技術者は新しい技術に興味があり、それが使われる社会や文明についてはむしろ興味がないのではないか。そんなステレオタイプの見方もあったのだが、梅棹忠夫さんを愛読するという暦本さんの嗜好を知り、その考えが変わった。そして俄然、暦本さんに興味を持つようになった。

本の執筆に興味のない人か?

こんな話を祥伝社の編集者である栗原和子さんともしていたこともあり、一緒に暦本さんに著書を依頼してみようということになった。前から思っていたのだが、暦本さんは専門書の著書はあれど、一般の人に向けた単著を書いておられないのが不思議だった。研究者として卓越した実績があるばかりでなく、未来を見据えたような発想力とそれを実現させる力こそ類を見ない。それらをわかりやすくかつ楽しそうに話すコミュニケーション、何より偉ぶらずに、今なお純粋に自分の好奇心ややりたいことに取り組む生き方も魅力的だ。

暦本さんご自身は自分の取り組んでいることに夢中であり、論文の発表は熱心でも、一般の人に向けて書籍を書くことに興味がないかもしれない。それでも多くの人が暦本さんの思考を知ることは大きな価値がある。何より僕自身「こんな面白い人がいるんだよ」と、街で歩いている人に叫びたい衝動を覚える人である。
暦本さんをよく知るある方にそんな話をしたら、「暦本さんは普通の人に向けて本を書くより、もっと大きな仕事をしてもらいたい」と言う。それもそうだよなと思う自分もいるが、それでも衝動は抑えられない。

ある時、立ち話の中で暦本さんに「本は書かないんですか」と話を振ってみた。暦本さんの反応は薄く、YesでもNoでもなくまるで関心がなさそうだ。それでも何度かそんな話をしていたら「いいですよ」とおっしゃっていただいた。興味もなかったかもしれないけど、強く固辞する理由もなかったのか。それも強い意欲を持って決断されたと言うのとは全く違い、自然体で「散歩でもしませんか」と言う誘いに乗ってくれたかのような軽さであった。
これまで多くの方に執筆のお願いをして承諾してもらってきたが、一大決心で応じてくれる方が多い中、暦本さんの反応は新しいパターンだった。

過去の話より未来の話が好き?

こうして始まった書籍作りは、毎回1時間か2時間ほど暦本さんが話をしれくれて、編集者とライターさんと僕がそれを質疑応答しながら聞き、それらをライターさんが文章にしていくという形をとった。暦本さんはご自身でやった研究や構想をもとに話されるが、毎回その話が面白い。他人の肩にエスパーのように乗って自分の分身のように動き回るデバイス。わずかな振動だけで行き先を示すようなデバイス。声を出さないでも喉の動きだけで会話が成り立つインターフェイス。さらに、世界中の時差をなくすには?など想像を超えたことを考え、しかも真剣に実現させるための方法を模索する。この時点で、これは面白い本になるぞと思わざるを得なかった。

本を作る作業は、過去を振り返り、これまで考えたことを言語化する作業でもある。それよりも暦本さんは、新しいことを考えることの方がワクワクする人なのかもしれない。暦本さんにとって書籍づくりのためのインタビューは退屈なのかもと危惧していたが、毎回、楽しんでおられるように見えた。

その時間、そのプロセスを楽しむというのは暦本さんの研究プロセスと似ているかもしれない。大きな成果につながった研究プロセスの話を聞いても、そこに「苦労の連続」や「プロジェクトX」的な試練を乗り越えた話をまるでされない。そもそも簡単にできるものは世界のどこかで誰かがやっている。うまくいかない時、それはきっと世の中で誰も実現できていないであろう。それを想像するとワクワクするそうだ。そもそも自分が面白いと思って取り組んでいるプロセスなのだ。本作りも暦本さんにとっては、苦労して頑張るものではなく、楽しむものかもしれない。しかも淡々と。

『妄想する頭 思考する手』という書名

出来上がった書籍は『妄想する頭 思考する手』という書名になった。「妄想」は暦本さんの代名詞だと思う。想像力という言葉では足りない飛躍と領域、そしてその妄想を実現してしまう策を本当に考え出してしまう人だからだ。「思考する手」という言葉は、取材中の暦本さんの何気ない一言から生まれた。

新しいアイデアを考えるときは一人で考えるという。むしろ自分との対話からアイデアは生まれるのだと。その上で、人との対話からアイデアが広がったり生まれたりすることがあるという。それだけでなく、実際に自分で手を動かして試行錯誤している中で、新しいアイデアが生まれる。このプロセスが大事だという。この経験を無数にしてきた暦本さんは、「手を動かすこと」こそ「考える」ことと同義であるという確信を持たれている。この自分で実際に手を動かして試行錯誤しているプロセスを、暦本さんは「神との対話」と表現された。自分との対話、他者との対話、そして神との対話。この言葉を聞いた時のインパクトは今でも忘れられず、タイトルにも反映されることになった。

本書は、研究者はもとよりビジネスや社会で実際に「新しいことを生み出そう」としている人に読んでもらいたいという思いで作った。新しいアイデア、新しい発想、イノベーション、などと、これまでの延長ではなく「未来を生み出す」新しいものが求められている。多くの言葉が語られているが、本当の「新しいもの」とは、現在は無理に見えても「未来から見たら当たり前にあるもの」と暦本さんは独特の表現で語る。そんな考え方を多くの人に知ってもらうことで、多くの人の「新しいものを生み出す」偏差値が一気に上がるに違いない。

この本には無数の魅力的な言葉が連なっている。「想像と妄想」「妄想は言語化で整理する」「今やりたいことは、今やる」「一回やってみて失敗するくらいがいい」「自分の『やりたいこと』とは、自分の手が動くこと」、、、、。

刊行に際して、MITメディアラボ教授の石井裕先生と慶應SFC教授でヤフーCSOの安宅和人さんが推薦の言葉を寄せてくださった。石井さんは「暦本純一氏の独創力の秘密がこの一冊に凝縮」と。安宅さんは「ホンモノの発想となんちゃっての違いがここにある」と。

どうかこの本が多くの人に届きますように。


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