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「失うものがない」から強くなれるわけではない

「失うものがない」という言葉を聞くと清々しい。
これまで築いてきたものが大きい場合、一度の失敗でそれが失われると思われると、萎縮しがちになる。これまでの業績だけでなく、失いたくないものには、自分なりの自信もある。自分が信じていた自分の可能性や自信を失ってしまうのは怖いものだ。無謀な挑戦でそれが揺らいでしまうようなら、その挑戦に及び腰になる。

一般的に、年齢を重ねることで失いたくないものは増えてくる。恥をかくことも年齢とともに避けたくなるものだし、自分の過去を否定された時、また一から失ったものを取り戻そうという気力も萎えがちである。

「失うものがない」ことの素晴らしさは、これらのしがらみにとらわれないことだ。

絶対王者と対戦する新人格闘家はまさにこの心境だ。負けても周囲の評価も変わらないし、対戦自体がいい経験になる。万が一勝てばご褒美みたいなもので、負けるリスクは考えにくい。一方のチャンピオンは勝って当たり前、負けたら何を言われるかわからない。勝つご褒美はわずかしかなく、負けた時の代償が大きい。実力差ではなく、両者の心理的な状況は挑戦者の方が有利なことは多い。

仕事でも同じことが言える。新入社員や他部署から移ってきた新人が、既存の枠を飛び越えた斬新な企画を成功させることがある。また、いまだ成功体験のない人が、追い込まれたことから開き直り、成功と自信を手に入れることがある。一方で、過去の成功が積み重なることから、アイデアや行動が経験値から離れられなくなることがある。出世してきた人が、無難に定年を迎えようとする傾向も同じである。

しかし、「失うものがない」ことが弱みになることもある。

失敗のリスクが小さいということは、そのリスクを回避する力も弱くなる。一回の負けで失う金額が、1000万円か1万円かで、勝負にかける執着心は自ずと変わってくるので、1000万円を失いたくないと思えば、徹底的に調べ抜き執拗に考えるだろうし、あらゆることを実行しようとする。この執念が成功確率を高める。

負けても1万円なら、その負けは経験と思えばいい。となると、どうしても成功させるようというマインドより、自分の長期的な成長の糧だと捉えてしまう。真剣勝負ではなくなってしまうのだ。失うものがないことが、必ずしも強みになるとは限らない。

一方で、失うものがあることも、必ずしも不利なわけではない。
それを強みにしている例も多い。経営者がもつ独特の迫力が顕著に物語る。自社が築いた事業、そして従業員の生活を守るために、体を張り、捨て身で守るべきものを守ろうとする。既存企業が既得権益を守ろうとすると守旧派のレッテルを貼られることもあるが、失いたくない理由はそれだけではない。成し遂げたい何かがあり、それに向かって築いてきたものがある人は、失うものがあるからこそ、力を存分に発揮する。これが経営者の迫力であり、こだわりである。

こだわりのある経営者は時には厄介な存在だが、そのこだわりの強さこそが、人から信頼を得て、多くの人を巻き込む力となっている。

こう考えると、力の源泉は「失うもの」のある・なしと無関係ではないか。ようは、成し遂げたいものがあり、現状を打破しないとそれに近づけない状況に置かれた人が力を発揮できる。

「失うものがない」のは気楽である。気楽がいけないわけではないが、成し遂げたいものもなければ、「失うもの」がなくても執念も迫力も出ない。「失うものがない」と果敢に立ち向かう挑戦者は、決して気軽な立場ではない。明らかに追い詰められた切羽詰まった立場である。そこで発揮される力は、経営者が築いてきた自負と成し遂げたいことから生まれる、捨て身で戦う姿と同質的である。

人は「失うもの」があろうとなかろうと、成し遂げたいものがあれば想像以上の力を発揮することができる。この「成し遂げたいもの」が芽生えたのが、まだ得られていない空虚を満たしたいとする欲求からか、積み重ねてきたプロセスからなのかの違いである。

「失うものがない」力は、決して失敗が許される気軽な立場から生まれるものではない。むしろ切羽詰まった成し遂げたい願望から生まれる力である。

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