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本物の楽観は、悲観の壁を打ち破ったところに訪れる?―『絶対悲観主義』を読んで

『絶対悲観主義』という、これまた人のやる気を失わせるようなタイトルの本が出た。僕は「どうせダメだ」的な話は聞いていて楽しいと思えないので、こういうタイトルの本は普段スルーする。

だけど、この本の著者は経営学者の楠木建先生である。『ストーリーとしての競争戦略』や『「好き嫌い」と経営』などの経営書はどれも読み応えあるし、一般的なビジネス書もどれに面白い。特にキャリアについて読者からの相談に回答する『好きなようにしてください』という本が大好きだ。読者の「転職すべきかどうか」あるいは「スタートアップに行ったほうがいいか」という相談に対し、「好きなようにしてください」と突き放したような物言いとともに、その悩みの裏側になる背景を問いを見直す、という仕掛けになっている。読者の質問に答えてないようで深層で応える。この形式が面白い。

「絶対悲観主義」。そもそも、この絶望的なタイトルの意味を知りたくなる。

本書は著者がこれまでの経験からたどり着いた、自分の仕事哲学だという。それが「絶対悲観主義」。その心は、「自分の思うようにうまく行くことは、何一つもない」という前提で仕事をする、ということだ。

最初から「思い通りにいかない」と思っていれば、仕事がうまく進まなくても、落ち込むことはないし、自分の仕事に逆風が吹いていても決して逆境ではない。そんな最悪の状況を前提としていたので、そこは試練でもない。なので、GRIT(やり抜く力)もレジリエンス(回復力)もそもそも不要なのだと。

ここまで読むと、まるで仕事にやる気のないダメ人間の発想ではないかと思われるかもしれない。事実、著者も本書の中でご自身をダメ人間だと言う。他人に甘く、自分にはさらに甘い。なのでこの考え方は、基本的に「ゆるい」と断言されている。しかし、ゆるいようで厳しい、厳しいようでゆるいとも。

本書では、絶対悲観主義の背景にある「仕事」について、「誰かのためにするもの」と明確な定義を与えている。自分のためにやる行為は趣味で、仕事とは、他者のために、誰かの役に立つことだと。そこで、この「誰かのため」というのは、自分ではコントロールできない。自分が良かれと思ってやったことでも、他者にとって大きな迷惑であることもある。そのため、仕事の本質は、他者が評価するものなので、自分で頑張っても、その成果は自分ではコントロールできないということになる。

むしろ、「これは絶対うまくいく」という仕事の構えは、あたかも自分が他者を自由にコントロールできるかのような傲りがある。言われてみると、「他人の気持ちがわかる」と言うのさえ傲りであり、本当のところはわからないし、わかったと確認する方法もないのが現実である。ここに本書の逆説的な真理を感じるのだ。

誰しも、自分の仕事を成功させたいと思う。自分のやっていることの成果を確認したい。その成果を確認することが達成感にもつながり、だからこそ頑張ろうと思うし、頑張ったら成果が出ると信じたい。しかし、成果が他者評価で決まる仕事では、「頑張ったら成果が出る」というのは幻想である。頑張っても成果が出ないことは山ほどある。

このシビアな現実を直視することが、「絶対悲観主義」の始まりとなる。本書では仕事観のみならず、幸福、お金、自己認識など、数々のトピックを通して著者の考えが紹介されているが、言い換えると、この「絶対悲観主義」とは「人に期待しない生き方」ではないか。「誰かが何かをしてくれるんじゃないか」「自分が頑張ったら周囲も動いてくれるはず」という甘い期待。また社会が自分の都合の悪い方向に動くと文句を言う。これらは自分以外の誰かへの期待であり、「好きになった人は自分の想いに応えてくれる」と信じてしまう高校生の妄想とさして変わらない。

基本、他人も社会も自分の思うようにならない。これを絶望的と捉えるか、これが前提と捉えるかその違いである。そして、この「他者に期待しない」生き方は、実は自立の大前提ではないだろうか。まずは自分という一人の人間の幸福を考えた場合、そこに他者への甘い期待は入れないことで、他者に依存しない生き方が実現するのだ。

本書の後半で品性の話が出てくる。それは教養のある人や育ちの良い人という意味ではなく、その人の全体からそこはかと感じる「品」の存在である。この場合の「品」とは、身に纏っている服装や立ち居振る舞い、そして話し方などに分解しても表現できない。その人の全体を通して伝わってくるものだからだ。この「品」のある人について、著者は欲望との付き合い方がうまい人ではないかと考察する。誰しも欲はあり、それは全てを満たせるものではない。この現実を直視し、うまく欲望と向き合える人が品のある人であり、そこに潔さを感じるという。つまり、絶対悲観主義とは、己の欠点も弱さも知り、人のせいにすることもなく、自分のすることに集中する。そんな生き方に思えてならない。

本書では、絶対悲観主義の効用をいくつか紹介しているが、その中の一つに「自分の強みがわかる」というのがある。それは「うまくいかない」という構えで仕事をしていても、良い方向で裏切られ、それが何度か続くことがある。すると周囲の人から「〇〇が上手ですね」と言われることになり、そういう他者からの評価が積み上がることで、自分の強みが見えてくるという。これを楠木先生は「悲観の壁を突き破って、ようやく楽観が入ってくる」という。

その上で、著者は次のように言う。

絶対悲観主義と矛盾するようですが、仕事において自信はとても大切です。自信が好循環を生み出します。ただし、「あれができます」「これができます」と言っているうちはまだまだです。悲観を裏切る成功が続いて、ようやく自信が持てるようになります。これは独りよがりのプライドではなく、地に足の着いた自信です。

(p.22)

本物の楽観は、根拠のない希望的見通しや他者への期待ではなく、現実を受け入れる中で芽生える自信から生まれる。

この絶対悲観主義という考えはゆるい生き方なのか、それともストイックな生き方なのか。著者はその判断を、読者に委ねている本だと思う。


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