見出し画像

人は話せば分かり合えるのかーー『未来をつくる言葉』

ラオスに住む日本人で、現地でラオス語を独学で身につけたサッカーコーチがいる。彼はその後、一旦日本に戻りラオス語をきちんと学ぶ機会を得て、再びラオスに戻ってきた。一年ぶりにラオスに戻ってきた彼に「町が変わった印象はある?」と聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。

「看板が読めるようになると、街の風景が全く違って見えるんです」

街は変わっていなくても、読み書きの能力を身につけることで、彼が見ているラオスは以前のそれとは別物なのであろう。かといって彼がラオス人と同じようにこの町を見ているわけではない。日本で見ていた風景を参照しながらこの町を解釈しているはずである。

久しぶりにラオスに来てこんな話を聞いていた時、読んでいたのがドミニク・チェンさんが書かれた『未来をつくる言葉』である。

ドミニク・チェンさんに最初に興味を持ったのは、「タイプトレース」というプログラムを開発されたのを知ったことだった。これは、人がパソコンなどに入力するプロセスを可視化し、時間をかけてタイプした文字は大きく表示され、ささっとタイプした文字は小さく表示されるという仕組みである。

普通、携帯電話にしろパソコンにしろ、入力された文字は同じ大きさで表示されるが、この仕組みで表示された文字を見ていると、同じ文章でも書き手が書いていた時の心境が想像できるようで、フォントがこれほど豊かな表現手段になり得ることにワクワクした。

そんなドミニクさんの新著『未来をつくる言葉』を読むと、こんなユニークなプログラムをつくる人が考えて来られたことが知れる。ドミニクさんは、日本人の母親とフランス国籍の台湾人の父親の間に生まれ、日本で育つ。日本語とフランスを母語のように学ぶ。つまり、自らの国籍と人種そして言語という、普通の日本人ならそれらが共通しているものを、個別に持ち合わせている。いったいご自身のアイデンティティはどのように形成されたのか。本書は、このご自身の生い立ちを軸に、言葉やコミュニケーションに対する彼の思考が書かれている。

本書のキーワードの一つが「環世界」である。人それぞれ生まれた環境も違えば、感じ方も違う。同じ文化や言葉を有しているとしても、人それぞれ見てきた世界、自分の中に取り込んできた世界は違う。その一人ひとりが異なる世界観を有する。つまり違う世界を見ているのであり、そのありようを「環世界」という。環世界が違えば、同じ言葉を使っていても、伝えたいことは別かもしれない。そもそも一つの言葉の解釈も違うのかもしれない。

この環世界を起点として、本書では言葉について語るが、本書でいう「言葉」の範囲は想像以上に広い。絵や写真も自分の表現手段であり、また伝達手段である。異なる環世界から生まれた表現手段が、送り手の意図した方に伝達する保証はない。受け手独自の解釈で、その言葉を受け取るのである。

これだけだとコミュニケーションは成立しないのではないだろうか。そう、コミュニケーションとは相互のやり取りの中で新しいものをつくるプロセスなのである。

本書では「共話」という概念もキーワードの一つになっている。それは、対話がお互いの主張を提示し合うのに対し、お互いが相手とのやり取りで、一つのものを作り出す会話プロセスを指す。「今日の天気は」「そう、南国みたい」とつなぎ、お互いに一緒に文章を作り上げる感覚である。ここに他者との言葉のやり取りを通して、新しいものを生まれる構造がある。

異なる環世界が言葉のやり取りを通して、新しいものが生まれる瞬間、それが共話というプロセスなのではないだろうか。人の持つ世界観の違いと言葉のやり取りからう生まれる共進化から、人との人との関係性の新たな可能性を感じる。それは分断や共感を超えた、ありのままを受容する関係性ではないか。

同じ言葉で話そうと、同じ環境で育とうと、それぞれの環世界を持つ「個」はお互いに分かり合えないのも当然である。「話せばわかる」という前提を持つことで対話を続ける力が生まれるが、「わかりあえない」を前提におくと対話が分断につながる恐れもある。本書の副題は「わかりあえなさをつなぐために」である。本書を読むとこの「わかりあえない」が持つ無限の可能性に気づく。

わかりあえないからこそ、お互いを知ろうとする。お互いの環世界を知ろうとする営みが、相手に対する尊厳が生まれる。自分の環世界が自分固有であることを知ることで、謙虚に世界を見直すことができる。そして、そのやり取りから、自分の環世界も変わるのだ。

本書の最終章では、昨年(2019年)の「あいちトリエンナーレ」で著者が展示した「#10分遺言」の話が登場する。これは、ネット上でタイプトレースで10分間、特定の人に向けた遺言を入力してもらい、それを会場に並べたキーボードの音とともに入力画面を展示した作品である。遺言とは、自らの生命の終わりに書くものだ。死ほど人にとって辛いものはない。集まった遺言は最終的に2000を超えたという。それらを解析すると、肯定的な言葉が圧倒的に多かったそうだ。ひとつひとつ読んだ著者が、何度も涙したのは想像しやすい。この「#10分遺言」は、まさに「わかりあえなさをつなぐ」事例そのものではないか。

わかり合うために使うはずの言葉が、今や分断を生む要因を作っている一面となっている。そんな時代、本書は、言葉の持つ力を再定義し、人と人との関係性から生まれる、果てしない世界を見せてくれる。「言葉」をどう使いか、そしてどう人と言葉を交わすか。僕らは「言葉」をつかってもっと豊かな関係を人と築けるはずである。そんな可能性が確信でき、希望と勇気をくれる本である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?