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軽いのに重い本。読みやすいのに重厚な読後感が残る

「軽い本」というと、それは読みやすい本を指す。読みやすさは、表現もそうだし、文字数も少ないこと、つまり楽に短時間で読める本が「軽い本」である。一方で「重い本」は、表現が難しかったり文字数が多かったりまた読者の知識の幅や深さが求められるなど、読むのに苦労する本を指すことが多い。その分、読み応えが得られやすい。

この本『世界を救うパンの缶詰』は典型的な「軽い本」である。本文は150頁ほど。絵本のようにイラストが多いし文字は大きい。フリガナもふってある。書き方も平易で、1時間半くらいで一気に読むことができる。それでいて読み応えがあり、読み終えるとずっしり考えごとに浸りたくなる本、まるで重厚な本を読んだような体験が得られるのだ。

話はいたって単純で、栃木県にあるパン・アキモトという社員60人ほどのパン屋さんが、「パンの缶詰」を作ることに成功し、その缶詰が世界的に広がる話である。著者はこのストーリーを丁寧に書いていくのだが、これが日本企業が今日抱えている課題をいかに乗り越えるかの、絶好の事例になっているのだ。

今の日本企業の課題と言ったら何だろう。
イノベーション、グローバル化、人手不足、コレクティブ・インパクトなど挙げられるが、これらをパン・アキモトは、肩肘張らずに着々と課題解決を実現させていくのだ。

パンの缶詰が生まれたきっかけは、阪神・淡路大震災の際、栃木から焼いたパンを被災地に届けたのだが、日持ちせずに腐ってしまったことだった。そこからパンの缶詰づくりが始まるが、乾パンのようなとにかく食べられればいいものではなく、目指すのは限りなくパンの美味しさを再現した「缶詰」である。その試行錯誤は何度も繰り替えされる。焼きたてのふわふわ感は水分が含まれるので腐りやすい。どのように殺菌するか、そしてどのように食感を缶の中で維持するか。その結果、最終的には缶詰に入れる紙に最適なものが見つかり完成するのだ。

ここには決して最先端のテクノロジーが使われているわけではない。しかし、失敗と実験を繰り返しながら、独自のソリューションに行き着くあたりは、まさにイノベーションである。

パンの缶詰は災害備蓄用として大いに売れ始めた。しかしまた新たな課題も生まれる。賞味期限の切れた缶詰を引き取ってもらいたいという依頼が来るようになるのだ。新しい缶詰を購入してもらえるのはありがたいが、返品された缶詰は賞味期限は迫っていてもまだ食べられる。これを捨てるのはやり切れない。そこで生まれた仕組みが、「救缶鳥プロジェクト」である。企業や団体などが保管しているパンの缶詰を賞味期限の前に引き取り、新しい缶詰を少し値引きして納品する。引き取った缶詰はNGOを通して海外の被災地や貧困国に送るのだ。2004年から続けているこの活動は、現在までに16カ国21万以上の缶を届けている。企業活動を通した社会課題の解決の、まるで見本の方な活動ではないだろうか。

同社も御多分にもれず人手不足で人材確保に苦労している。外国人労働者に頼る部分も多いようだが、ここでも新しい試みを見せる。実習生としてベトナム人に働いてもらうだけだと、彼らにとって将来のビジョンが描きにくい。そうであるなら、ここで働いたことがベトナムに帰っても活かせる仕組みを作ろうと考えた。ここで3年働けばベトナムに帰って自分のお店が持てるように、それだけの技術を習得してもらい、それだけの資金が貯められるような給与体系を作る。そして同社はベトナムのダナンにそのモデル店として「ゴチパン」というパン屋さんを開店させた。
人手不足の中、日本企業と実習生としてやってくる外国人労働者がwin-winになる仕組みとして、これも典型例ではないだろうか。

パン・アキモトの取り組みはどれもアイデアに溢れていて魅了的だが、よく読むと、それが生まれたきっかけはごく普通の現場で起こる事柄である。日々直面する問題を正面から受け止め、それを真摯に取り組んだ結果として、それぞれがユニークな取り組みになっているのだ。そこに奇策もなければ画期的なアイデアが必要だったわけでもない。

そこに「イノベーションを起こそう」だとか「社会課題を解決しよう」などという大袈裟感と肩肘張った感もまるでない。

あったとすれば、事業に対する真摯な姿勢ではないか。困っている人を助けたい、美味しいものを提供したい、働く人にも喜んでもいたい。このような人として感じることを、企業としてできることを普通に考えていって出来上がった仕組みなのだ。個人としての思いと企業としての実践が見事に一致している。そこに、巷で言われる「企業の論理」などという言い訳が微塵も入らない。だからこそ、パン・アキモトの姿が美しく感じる。そして、この美しさは自然体で振る舞い人の純粋さであり、そのパッションから生まれた行動力の賜物である。

なお、本書ではこのパンの缶詰の製造工程も描かれているが、見事なまでの平易な文章で伝えていることに驚く。こんな小さなほんにこれだけの読後感を詰め込む。そこには、大切な言葉を選び取っていく丁寧なプロセスがあったと想像する。この本自体、シンプルなるがものの美しさに満ちている。


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