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焼肉にハマって学んだ、未知を知る醍醐味

10年ほど前、焼肉にハマり年間100回も食べ歩くという無謀なことをした。きっかけは、知り合いに「よろにく」というお店を紹介してもらったことだ。

それまでの僕は焼肉と言えば、とにかく肉を強めのタレでがんがん食べる、味わうというより野性を楽しむかのような食事であった。その常識を一変させた「よろにく」は、コース仕立てでお肉が登場する。それぞれの部位の味、そして違いを楽しみながらデザートまで行き着くと、「お肉だけのコースでこんなに飽きないものか」と、これまでに知らなかった感動を覚えた。以来僕は、出張先でも、接待でも、家族の食事も一人での外食も焼肉と、さまざまな焼肉店に行った。

そんな中で思い出深いのは、ある新店を訪問したときのことだ。特別評判になっていたわけではなかったが、いくつかの情報を組み合わせると行ってみたくなった。実際に訪れたその店は、注文が入るごとに肉を切り分け提供する。タレの調合も包丁の入れ方も部位ごとに工夫されている。切り方だけでお肉の味がこんなに変わるものかと感動し、質問を繰り返していたら、お店の方から「同業者の方ですか?」と聞かれる始末であった。それほど、僕にとって新鮮で、自分の中に新しい「焼肉の魅力」が追加されたのを実感した。ちなみにこの店は、駒沢公園近くにある「芝浦」というお店で、その実力は流石で、いまではすっかり知られた店になっている。

この焼肉にハマった経験をいま思い出すと、新しいことを学ぶプロセスを実感していたことがわかる。

未知な世界を学ぼうとすると、まず先人の知恵を学ぶ。焼肉の場合であれば、すでに全国的に知られた有名店があるので、まずはそういう店に行って、世間で美味しいと言われている焼肉を知ることになる。定番を押さえる、本で言うなら古典を読むことに相当する。その上で、いま話題のお店に行く。これは最先端の店を押さえること。いわばそのジャンルのベストセラーを読み、最新動向を知ることである。

新しい世界を学ぶことは、この先が楽しい。定番でもなく、トレンドでもない、新しい価値を見つけることである。たとえば、隠れた名店に行くこと。こういう店は数ある情報を精査しないとたどり着けない。自分が美味しいと思った店を推奨している人が推奨している店を訪れてみる。あるいは、地元の人に愛され長く続いている店を訪ねてみる。そうすることで、自分の知らなかった焼肉の「新たな価値」を知ることになる。いわばニッチに評価されていたり、玄人受けする本を読むことである。

さらに、新しくてまだ知られていない名店を見つける醍醐味がその先にある。僕が「芝浦」で感じたのはこの種の体験だった。いわば、ベストセラーになる前の本を見つけたような体験だ。こういうものに出会うには、自分なりの価値観と仮説が必要になる。

一口にすばらしいものと言っても、二つの軸から4つに分類できるのはないか。一つ目の軸は、「広く知られている」「知られていない」軸である。広くよく知られているものは、当然の価値があり、それを知ることで知識のベースが築かれる。しかし、世の中には広く知られていなくて埋もれていた価値がある。つまりこの軸の両方にそれぞれ魅力的なものがある。

もう一つの軸は、「新しい」か「古い」かである。これは、魅力的なものの中にも「新しく出てきたもの」と「古くからあるもの」がある、という意味である。新しいものは、既存のものの進化の上から出来上がったという点で魅力的だし、古いものは培われてきた蓄積といまなお通用する魅力がある。

この二つの軸からできる四象限で言うと、僕にとって「芝浦」は、「広く知られていない新しいもの」だった。新しい魅力に気づくには、従来の魅力を知らなければならない。そればかりか、自分なりの「魅力観」が形成されていないとそれが魅力なのかどうか分からない。そして、広く知られていないものを見つけるには、探索コストがかかる。未知なだけに、多くの「はずれ」を覚悟しなければならない。ローラー作戦のように端から端までしらみつぶしで探すことも普通は不可能だ。そんな状況で、自分の培った知覚のセンスをもとに、独自の仮説と偶然とが相まって見つかるものではないか。だからこそ発掘した喜びがある。

新しいことに足を踏み入れることの醍醐味は、既知のものに触れることではなく未知なものを見つけることである。自分なりの価値観と仮説が形成されて、自分なりに価値の再定義ができる段階を実感する喜びである。

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