私が「私」になるまでのお話(01)
2022年。
今年はちょっとずつ自分のことを書いていこうと思います。
カウンセリングにいこうと思ったきっかけ。
数年前、専門的なカウンセリングに行こうと思ったきっかけは、息子だった。
息子が10歳くらいになったとき、何かの拍子に私の頬を触るようになった。たんに、母親の柔らかな頬を触りたいだけなんだと思う。ふわっと撫でるように頬を触るのだ。だけど、それをされると、私は腹の底から言いようのない怒りが湧いた。さっと触られた瞬間に、息子の手を乱暴に払いのけ「もう、二度と触らないで!」と怒鳴りつけてしまうくらいの怒りがあった。
どんなに頬を触るのをやめるにように言っても、息子は隙をみて私の頬をサッと撫でた。その度に、瞬間湯沸かし器のように、怒りが湧いてくる。
その理由が、自分にも分からなかった。
客観的に考えてみても、息子は怒鳴られるようなことをしていない。ただ、母親の頬を触っているだけだ。子どもの小さな愛情表現だろうと思う。なのに、なんだこのどうにも抑えられない怒りは。
日に何度も繰り返されるこのやりとりに、だんだん私は疲れてきた。何度されても、毎回同じように怒りが頂点に達する意味が分からない。
これはもう、カウンセリングに行くしかないなと思った。私には手に負えない何かがある気がした。子どもに頬を触られたくらいで、なぜこんなにも怒りが湧いてくるのか、とにかく理由が知りたかった。
ネットで検索して、臨床心理士のいるところへカウンセリングに行くことにした。
そこは、マンションの小さな一室だった。女性の臨床心理士とソファに向き合って座り、話を聞いてもらった。
頬を触られると、どうしようもない怒りが込み上げてくるんですと訴えた。すると、先生は私に子どもの頃のことをたくさん聞いてきた。なにか思い出すことはありませんか?と聞かれて、思い出したことがあった。
私が小学生の頃、ちょうど息子と同じくらい、10歳のときだ。
私と2つ下の妹がケンカをしていて、父親に仲裁されたことがあった。止められて、ケンカはひとまず終わったけど、私に腹を立てた妹が「あぁ、お姉ちゃんのこと思いっきり殴りたいわ〜!」と言った。それを聞いていた父親は「いいぞ、やれやれ」と言った。そして、私を動けないように羽交い締めにした。どんなに私がもがこうとも、びくともしない強い力でおさえつけられた。あのときの無力感を今もちょっと思い出せる。どんなに、どんなに腕の中から逃れようとしても、頑として私の身体は動かない。がっちり固定されている状態。
「いいぞ、やれ」とかなんとか父親が言って、妹は思いっきり振りかぶって私の頬をビンタした。
あぁ、気が済んだとか、スッキリしたとか、妹は言ったのかもしれない。
無事にビンタされると、私は父から解放された。
そんなことを思い出して、話した。先生は何も言わずに話を聞いてくれた。話し終わったあと、それは辛かったですねと言われた。そんなことをされたら、辛いですよ、と。
先生に話すまで、この出来事のことはほとんど忘れていた。たまに思い出すことがあったけど、いやだったなぁって思って、また忘れ去さられるような、私にとっては、本当にささいな、日常の一コマのような出来事だった。
でも、先生にそんな風に言ってもらって初めて、「あぁ、あれは辛い出来事だったんだな」と思った。
そうだよな。そんなことされるべきじゃない。
頬を触られると、無意識にあの記憶がよみがえるのだろうか。父に捕まれ、頬を思いっきりビンタされたあの感覚が。
だから、触られると瞬間に怒りが湧くのだろうか。
このことに私が気が付いてからは、なぜか息子はだんだん私の頬を触らなくなっていった。
次に私が疑問だったのは、娘が4歳くらいのときのこと。息子が私の頬を触るようになっていた同時期のことだ。
娘がどうしても1人でトイレに行けなくて、「おかあさん、着いてきて」という。だけど、私はどうしても体が動かない。
1人で行けるでしょと私は言う。「いけない、ついてきて。もうおしっこもれる!」と娘が泣き叫ぶ。でも、どんなに娘が泣こうが、漏らす直前であろうが、私の身体は1mmも動かない。毎回、見かねた夫が着いていって事無きを得る、ということが何度もあった。
なぜ私はトイレに着いていくのが、こんなにも嫌なんだろう。いや、嫌なのではない。頑として体が動かないのだ。その意味が自分にも分からない。たかだか4歳の子だ。まだ1人でトイレに行くのが怖いのは当然だろうと思う。私だって「トイレぐらい、着いていってあげればいいじゃない」と頭では分かっている。
でも、心の底では「絶対に嫌だ」と思っている。
息子のことがあったので、先生が質問をしてくれたように、子ども時代のことを考えてみた。
すると思い出したことがあった。
私も4歳くらいのとき、長い廊下の先にあるトイレに行くのが怖かったこと。そして、娘と同じように母親にトイレに着いてきてと頼んだことを。
廊下のガラス戸の向こうに見える庭が、夜は真っ暗でとんでもなく怖いのだ。絶対に何かがいる。廊下があまりにも長くて、その先にあるトイレに、私はどうしても1人で行けなかった。
でも、母親は1人で行けるでしょと言って、着いてきてくれなかった。
私はおそるおそる1人でトイレに行った、のかもしれない。覚えていない。でもそうなのだろう。「私は1人で頑張ってトイレに行ったんだから、あんたも1人でトイレに行きなさいよ」と、4歳の私が娘に叫んでいた。私は着いてきてもらえなかったんだから!!あんただけ母親に着いてきてもらうのは絶対いや。ズルイ。私だって我慢したんだから。あんたも絶対に我慢するべき。絶対に着いていかないで!と4歳の私が、母親になった私に叫んでいた。「絶対に1人で行かせて。私だって1人で行ったんだから」と顔を真っ赤にして、4歳の私が怒っていた。
でも、そんな怒っていた子どもの自分に気が付いたら、ちょっとずつ娘のトイレに着いていけるようになった。まだすごく腹は立つ。自分で行きなよと思うんだけど、あのとき着いてきてもらえなかった私を、今の娘に置き換えて、娘のトイレに私が着いていってあげることで、4歳の私の「着いてきてほしかった」を満たしてあげよう。そんな感覚でなら、着いていってあげてもいいなと思って。
そうしたら、体が動くようになった。
娘のトイレに着いていってあげられるようになって、私は私にホッとした。いい母親でいたいと思っているのに、トイレごときに着いていってあげられず、「ダメな母親だなぁ」とずっと自分を責めていたから。
前よりちょっとはいい母親になれているんじゃないかと、私はうれしかった。
虐待されていたことを認める
二十歳を過ぎた頃、そういえば、子どもの頃に父親に叩かれていたことをふいに思い出した。なんとなく思い出したけど、でも詳細は見えない。ふんわりとベールに覆われてるような、よく見えないものがそこにふわっと存在しているという感覚。そこにあるのは分かっているけれど、ベールをめくって詳しく見ることはできない。怖くて、考えたくもなくて、そんな過去のことは、このまま何も触れず、なかったことにして墓場まで持っていこうと思っていた。
あれから20年。カウンセリングを受けるようになって、思った。
あぁ、もうどうしても、向き合わないといけないんだろうな、と。
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