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2020/01/23(Thu) ~2020/01/26(Sun) さよならスニーカー、毎日晴天17、手作りコロッケ、言葉の後追いについて

2020/01/23(Thu) 

 雨が降ったりやんだり。

 朝、出かけにスニーカーを捨てた。この2年、その生成り色のスニーカーばかりをはいていた。ずっと欲しかったのになかなか買えず(服を買いに行くための服がない、みたいなのと同じ理由だ)お店で緊張しながら買い求めたものだった。

 履くだけでうれしかったし、どこに行くにも履いていたのだけれど、さすがにぼろぼろになってしまったので買い換えることにした。自分の中の「定番」ができたのはうれしい(初代を手放すのはすこしさみしい)。

 日記を再開して三日で、いかにツイッターに思考をダダ漏らしていたかを実感する。同時にツイッターというツールの、脳に浮かんだ言葉がすぐ文字になって放流されていく体験の気持ちよさも思った。

 その気持ちよさに押し流されて、わたしは自分の発言の答え合わせをしているみたいになりがちだったし、スピードは上がるばかりだった。発するだけではなくて受け取る側としても。絶えず流れてくる新しい情報、自分から手に入れにいっているというより、目に入ったからつかんでしまったような情報、それをどんどん取り込んでいくのが少しばかり怖くなった。なにより手に入れた情報にのっかってたいして思考せずに発言してしまうことをやめたかった。

2020/01/24(Fri) 

 なんとなく春の気配。

 積ん読していた菅野彰の毎日晴天17「SF作家は担当編集者の夢を見るか?」を読む。

 「毎日晴天」の1冊目が出版されたのが2000年なので、なんと20年経ってしまった。作中では4年…?くらいしかたっていないのだが、細かいところでキャラクターの感覚が現実世界に合わせて変化していることに、そしてその変化がキャラクターの変化にも影響を及ぼしているあたりにぐっときた。

 BLではよく強引に事に及ぶ描写があるのだけれど、毎日晴天の17巻で明確にそれは「暴力」だとキャラクターが受け止めていることが表現され、「されたくない」という側面からではなく「したくない」ということについて語られ、「押し流されたい」という欲望についても書かれていて、たまらなくなってしまった。(相手に奪わせることで関係を手に入れる欲望でもあるのかな)

 毎日晴天は他人が家族になることについて書いてある小説だと思っていたのだけれど、ここ最近は大河と秀の関係がゆっくりと動いていることで、恋人同士の関係にもフォーカスされているなと思う。そして秀自身の世界が竜頭町から次第に広がっていっていること、他者の言葉や世界を受け取り始めていることに静かな感動を覚える。

 夕方から会社の飲み会についつい参加してしまった。夜中に帰りすでに部屋に引っ込んでいた同居人に「ただいま」という。なんとはなしに、いま死ぬことになっても、数人は悲しんでくれる気がするな、と思った。

2020/01/25(Sat) 

 大学の試験。普段勉強をサボりつつもその期間になると追い詰められてやるので、試験があってくれてよかった。今期から情報系の科目を増やしたところ「わかる」感覚があって、なんやかやと仕事で情報分野に関わってきたのは個人の興味や特性もあったんだなと感じる。一年半前に大学に入ったときは、勉強ぜんぜんわかんないよ〜と泣き言ばかり言っていたのだが、やり続けていると勉強にも慣れ親しんでくるから不思議だ。

 帰り道、コロッケパンを食べたくて入ったパン屋さんでメンチカツサンドを買った。コロッケパンはなかった。ときどき手作りコロッケを食べたくなるのだけれど、あればかりは作るほかないんだよな〜と思う。買えないものはけっこうある。

 性別を相対的なものとして捉えている部分があるのかも、と唐突に思う。確固たる意識で選択しているもの、というよりも、周りとの関係において定まるような感覚。男性が8割の会社にいて、差別されることはないけれど、否応無く感じる他者との違いのなかで、自分のなかに含まれた女性性に気づいたりはする。

2020/01/26(Sun) 

 年末に新しいバスタオルを買ったのにいまだに下ろせていない。いい加減ぼろぼろのバスタオルを捨てなくては。へたりきったバスタオルを使いながら、こういうところあるよな〜と思う。もったいない精神ともちがうのだよね。使い切ったと思って早くよしにしてください。

 パソコン出さずとも文章を書けるように、iPad用のキーボードを買いに行ったら楽器のキーボードと勘違いされた。たしかに楽器にもキーボードはあるもんな。Amazonで買おうとしたらうさんくさいレビューばかりで、電気屋さんの良さはある一定以上のクオリティのものしか置いてないことだなと感じた。自分で選ぶ前に一度だれかの目を通っている安心感。ロジクールは予算オーバーで結局BUFFALOのものを買った。

 女性アイドルの「媚び」的な表現について、どう思っているのかを問われて、とっさにうまい返しができなかったのだが、「媚び」ている側の問題というよりも「媚び」させているのはだれか、ということと、「媚び」を疎ましく思うその気持ち自体が何かしらを内面化しているのではないか、そういう問いを絶えずできるかどうかに着目して思考したい、ということを言えたらよかったなとあとになってから。
 いつもあとになってから言葉になって、次はちゃんと言いたい、と思うけれど、一度だって言えたことがない。

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