【ジョジョ5部】ギャングスターになりてえよなという話


個人の感想です。

ジョジョ五部「黄金の風」

 僕はジョジョで何部が好き?って言われたらなんとなく五部かな~リゾットかっこいいし〜と言ってた。すごく浅い。でもなんだかそれだけじゃないなと気がついた。
 僕は最近本などのアートを触れる前にまずその作者の生いたち、略歴を見る。僕の中でアートとは自分が今現在持っている本質を自分の得意なやり方で出力している結果に過ぎないと思っているからである。これは「Art」の語源を調べれば共感してくれるかもしれない。では荒木先生のwikipediaからの引用。

幼少期から「ひとりの世界」に浸るのが好きで、早くから漫画も描いていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E9%A3%9B%E5%91%82%E5%BD%A6

 ジョジョがよく独特な漫画と言われるがまあそれは何故かというのは荒木先生のひとりの世界を出力しているからだと俺は思う。他人に抑圧されない純粋な自己。本質。
 では作品そのものについて、まずジョルノ。コロネです。大抵コロネと例のネタでしか語られないですね。でも僕はそう語る人間はジョルノの良さは理解出来ないと思います。なぜか?
 それは貴方がディアボロだからです。自分が生まれた理由もわからず、社会の結果重視主義に抑圧され、自分の本質を突きつけれることに恐怖し、自分が無いから嘘をつき、自己に立ち向かわず逆に自分が変えられたように社会に対して上辺だけの結果を提示して嘘をつく、社会そのものを抑圧する。インターネットは面白くなきゃ居場所がない、そんな面白くないけどみんながワザップジョルノは面白いというから面白い。お前ですね。まあこれぐらいにしておきましょう。書いてると涙がでてくる。
 ジョルノですが生い立ちそのものはかなりディアボロに似ていると思います。物理的に血縁的に周りに人はいるけども自分がわからず、誰も自分を見出そうとしない、故に精神的孤独。その孤独の中で群れるギャングになる方法が違ったばっかりに変わってしまったのです。
 ジョルノは「自分と同じ人間に共感すること」によって「ギャングスターの弱きものを助けるという正しい本質を知り」ギャングとなった。
ディアボロは「自分と違う他人を変容させる矢」によって「自分の思い通りの社会、組織を作るために」ギャングとなった。
 スタンド矢とは僕の中では他人の本質を浮かびあがらせる「気付き」的なものだと思っています。(故に本質を浮かびあがらせやすい個性的な者がスタンド使いとなり、社会の普遍的な人間は本質を浮かび上がらせると色々社会によって本質を曲げられた隠している為、いきなり浮かび上がらせると死ぬ。狂って死ぬんです。)
 ディアボロは他人を理解出来ないので相手の本質が理解できません。だから矢でぶっ刺して他人を理解する過程をすっ飛ばして本質を得ようとしてるのです。その為、パッショーネという組織というのは恐怖でのみで支配されていて忠誠心というのが低く、チーム内もボスの都合の良いように組まされているので各々バラバラ。組織は同じ目標を持つ事できるから維持出来て成功できるという本質を逆算的にしちゃったんですね。まあだからこそジョルノというギャングとは何か本質を知っている人間が変えるんですね。ここで副題「黄金の風」

物理学的には、場所による気圧の不均一を解消しようとして発生するのが風だと解釈できる[5]。気象学では、「風は気圧傾度力によって発生する」と表現する[6]

気圧の不均一や気圧傾度力が生まれる根本的な原因は、地球上において、場所によって太陽エネルギーの分布(≒温度)が異なるためである[7]。日光の当たり具合や地表の温まりやすさの違いが、島や大陸といった巨大なスケールで存在すると、気圧が不均一になり、数千km規模の高気圧低気圧が生まれる。高気圧からは風が吹き出し、低気圧には風が吹き込む[8]。高気圧から低気圧へと流れる空気が、「風」の主因となる。

気圧の不均一・気圧傾度力が大きいほど、風は強くなる。天気図で言うと、等圧線の間隔が狭いほど風は強い。ただ、高気圧・低気圧の風は長い距離を流れるため、コリオリの力遠心力を受けて回転を伴う風となる。これを地衡風傾度風という[9]。風の回転を物理量として表現する際には、風向・風速では不十分なので渦度を用いる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8

 風の概要です。まあ違う気圧同士があってそれが変化しようとするから風が吹き込むわけですね。そして太陽で暖められた高気圧が冷え切った低気圧に吹き込んでいく。そして黄金ですが僕が思うにこれは物質的な黄金ではなく、ユングの著作『心理学と錬金術』が代表的なのですがまあそこでは完全なる心理の調和的な扱いを受けているのです。まあわかりやすく言うとクッソ抑圧された社会に太陽みてえな心理の調和を図ろうとするやつがやってきてみんな理解してくれて仲良しハッピーって話っすね。ジョルノっすね〜。
 こういうとジョルノが正義でディアボロが悪と今は感じるかもしれません。でもディアボロは自分のやり方で本質を見つける、自己解決しようとしていたのです。それがドッピオです。唯一理解できる過去の孤独な自分を作り出しドッピオが怯える事に対して助言する形で自分の孤独という本質を埋めようとしたのです。ドッピオは自分を求めてくれて孤独を埋めてくれる存在。ドッピオにとってもディアボロは電話をしてくれて孤独を埋めてくれる存在。誰も自分をわかってくれないなら自分をわかってくれる人間を作ればいい、でも他人には自分を話せない。なら過去の自分をつくればいいじゃん。流石です。ボス。脳筋。
 ですがチャリオッツレクイエムの回ですがボスはドッピオを失います。つまりまた孤独になるのですがそれ故に満たされていた自身の孤独という本質という物を理解し矢、つまり「気付き」を得ます。

 ン?
 正論ですがおかしくないですか?矢の説明で述べた通り、気付きを得させることで本質を浮かび上がらせるんですよね?でもボスは本質を知覚して気付きを得た。矢を得る為にはまあそうなんですが、チャリオッツは矢(気付き)をボス(本質から気付きを得ようとして間違った本質を得ようとする者)から守るという激情的なポルナレフならではの強い無意識から発現したスタンド、つまりその本質は理解していないので掴めないし解かれません。対して誰に対しても平等で慮る理解力(悟性)のあるブチャラティはポルナレフの無意識、チャリオッツレクイエムの本質を理解し、そして他人だけに向けていた理解できる力を自分も理解することで本質を受容し矢(気付き)を得たのです。ブチャラティは他人に対してとんでもない理解力を示していましたが、自分の体を犠牲にしたり組織に対しておかしいと思いつつも自分の心を押し殺したり子供の頃刑務所入り覚悟で人を殺めたり自身の限度というのを理解していませんでした。ましてや自身の死すら理解出来なかったのです。ですがそれを自己受容できたので満足して亡くなったのです。
 ところでブチャラティ然り護衛チームってバカスカ死にますよね。そして各々が悲しい生い立ちもハッキリ描かれています。それが悲しいと言う人もいるかもしれません。
 でもどれもボスの存在を暴くという護衛チームの共通の目的を持ち、自分のギャングに落ちた過去を受容しそして自分の本質、スタンドによって目的達成の為に命を落とした。それって幸せなんだと思います。逆に言えば彼らは死ななければ自分の過去を受容出来ずに不幸せのままボスを見つける事が出来ず、悲惨な末路を辿っていたかもしれません。

一旦これで終わり
 
 

 
 

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