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しょうもない少年の日の思い出を不意に思い出したから書くだけ。

こんばんは。お元気ですか。
20歳になって半年経った、福です。
タイトルの通りです。

夢のない小学生時代

幼少期を岐阜の山村で過ごした僕も、小5のときに岐阜市に引っ越すことになり、都会(といっても地方都市)の洗練を受けることとなる。

小学校の図工の時間で、紙粘土作品を作ることがあった。
テーマは「将来の夢」
隣の席の女の子はパティシエか何かを作り始めた。
小説家、医者、プロ野球選手と輝かしい夢が粘土細工で作られていく。
手を動かしながら、思い思いに夢を語っている。
「大学に行ってこんな勉強をして、こうやって夢を叶えるの。」
まるであらかじめ決まった未来が見えるかの様に。

僕はひとり机につっぷして、ぶーぶー言っていた。
村でトカゲを獲って喜んだり、ウシガエルの大きさに驚いたり、そんなことを楽しんでいただけの僕に夢などなかった。
ましてや大学なんて聞いたこともない。
同級生の夢が美しいほど、なんの夢もない自分が惨めになった。

担任は新人の若い女の先生だった。
男子は「北川景子に似てるよな」とかいって浮かれていたし(僕はこのとき初めて北川景子という女優を知った)、女子は可愛らしい先生によく懐いていた。

僕を見かねた担任は作品を作るように優しく促した。
不満げにうなづいて粘度を練ってちぎり始めることにする。
ちねちね。にゅちにゅち。
なんだか楽しくなってきた。
針金の骨に粘度をくっつけて、乾くと色を塗る。
うん、いいぞ、楽しい。
そうやって完成させたのがこんな作品だった。

なかなか楽しかった、とひとり満足の僕を見て担任は絶句。
「これのどこが将来の夢なの!もっとちゃんと真面目にやりなさい!」
どこからか怒りが湧いてきたようで、その矛先は当然ながら僕に向けられた。
その日はバツが悪くて、作る前よりもさらに拗ねて家に帰った。

しばらくして再び美術の時間があった時、僕はウネウネのオブジェの前に、敬礼をする海上自衛隊員を付け加えて作品を提出した。
母親に「ぼくの将来の夢ってなーに」と聞いたら「海上保安官とかいいじゃん。海猿だよ。」と言われたから。
教室うしろのロッカーの上にみんなの素敵な作品と共にそれは飾られた。
奇妙な作品に僕は少々不満もあったが、オリジナルなウネウネを作れたことが誇らしく、みんなに自慢していた。



アウトサイダーな文学作品、あるいは仲直り

その後、僕は担任と仲直りをする。
一冊の本を貸したことがきっかけだった。
灰谷健次郎の書いた児童文学『兎の目』である。


時代はおそらく高度成長期、ごみ焼却炉がある工業地帯のいち小学校が舞台で、若い女性教師が奮闘するという内容。無口の児童がハエの研究を始めたり、障害差別や部落差別に触れられたストーリー、教員間に働く政治的な動きやら野犬の殺処分やら、それはそれは児童文学には相応しくないアウトサイダーな内容だ。
涙目で権力を睨みつけることの美しさを幼心ながら感じたものだ。

日記か何かで感想を書いたのか、何があったか忘れたが、何かの拍子で担任にこの本を貸すことになった。若い女性教員が活躍する話ということもあって、先生はよっぽど感情移入したのか、半年近く本を返してくれなかった。
だが貸してからというもの、担任の僕への態度は軟化していった。気がする。

3月、小学校の卒業式が終わると、担任は僕に『兎の眼』を手渡しで返した。
「ありがとう」
本にはメッセージとともに歌川広重の版画が印刷された栞がはさまれていた。

その後

その後、先生は結婚し苗字が変わった。
みんなの予想を裏切って私立の中学へ進学した僕はその後同級生と会うこともなくなった。
だけど何故だろう、いまだにあの時先生がくれた栞は大事に大事に持っている。
あの純粋で、真面目で、僕を叱った先生は、今どんな目をしているのだろう。
20歳になった報告もかねて、久々に年賀状でも出そうかななんて、夏のうちから考えている。

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