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平成日本に起きた二つの大爆発

2020年、あけましておめでとうございます。

帰ってきた寅さん!

実は、昨年の年末「今よりダイナミックな時代がかつてあったのではないか?」という仮説検証をすべく、松竹の「帰ってきた寅さん」を見に映画館へ行って見てみたのです。

中学から寮生活、浪人して大学へ行き就職活動という私の人生の節目において、私はどちらかというと寅さんよりも甥の満男に共感し、映画館に通って寅さんを見ては涙を流していたのです。

そんな寅さんの50周年回顧映画をやるという、しかも満男は40代後半に入り脱サラして小説家になっているという、なんとなく自分の探しているものが見つかる気がして、家族を放り出して映画館に行ってみたのでした。

結論から言うと「あー、だめだ」だったのです。

映画に対してではありません。そうではなく、自分のなかに湧きおこった感情に対してです。

映像的には素晴らしかった。本当に。

もう50年もたつ古い映像だと思いますが、最初からHDで撮ってあったのか!と思う程、綺麗に再現してくれた。過去の映像と現在の映像をシームレスにつなぐ技法も凄かった。

寅さんに描かれていた日本人の精神性

寅さんは、親に捨てられ中学を中退して16歳で家出したという設定です。テキヤとして全国を回る寅さんとマドンナとの関係、変わらぬ故郷と寅さんの粋、そして必ず来る別れ。

また、甥の満男はそんな寅さんをメンターとして尊敬し、無様にもがき苦しみながら、男として成長していく。寅さんはそういう映画であり「日本人にしかわからない日本人の心」でした。

ちなみに、寅さんの時代には手紙が主な通信手段でした。寅さんがどこにいるのか、は家族も知る由が無く、一年に一回、年賀状が来るとどこにいたのかがわかるような時代です。

寅さんの実家の「くるまや」の電話機は当然「黒電話」で、桃色の公衆電話からの電話も小銭が尽きると切れてしまう。長距離電話はせいぜい長くて3分くらいでした。

精神性と新しい時代のコントラスト

後半の作品では、テレホンカードを使う満男と小銭で電話を掛けようとする寅さんのコントラストが世代間のギャップとして描かれているシーンも思いだされます。

今回の寅さんも満男を中心に寅さんの昔を遡るのが主題でした。本当に素晴らしい映画だった。

ただ、私自身がもう「そこにはいない」と強く感じたのです。

もうストーリーとかどうでもよいですね。なんか、寅さんに描かれている日本人の精神性とか故郷に対する思いとか「なんじゃこりゃ」としか感じませんでした。

当時の私にとって、寅さんはダイナミックな人生を生きているように見えたのです。見知らぬ土地を旅する寅さん、そこで出会う「人々の精神性」と「新しい時代」というコントラストに対して非常な関心を持っていたのです。

我々を根底から変えた2つの大爆発

しかし、今思うとそれらはダイナミックでもなんでもなかった。過去にいくら遡っても「今」この瞬間にまさるダイナミックな時代はなかったのです。

それは主に「2つの大爆発」に起因するのではないかと思います。

1つ目は「情報コミュニケーション技術の進化大爆発」

映画ではヨーロッパに帰る友人に対しても満男はSNS交換一つしようとしない。寅さんの時代にあった今生の別れのようなシーン。スマホが出てくるシーンもほとんどない。

寅さんの世界は、普通に外国とメッセージを交わす私の生きている世界とは全く違いました。あの頃には戻れないのだと強く感じました。

もう1つは、平成の終わりに起きた「国内のグローバル化大爆発」

今日、東京駅から息子と2人で山手線に乗ったのです。車両の中は50人くらい乗っていたと思いますが、見渡す限り外国人。唯一日本人かな?と思った家族は、会話を始めた瞬間に香港人だと分かりました。

つまり、日本人は我々だけ!だったのです。このグローバル化爆発ももう止めようがないでしょう。日本はもう昔の日本ではなくなっています。日本のグローバル化、いや、中国化は止められないのだろうなと思います。

そんな思いで過ごした年末年始でした。今年も頑張ります!

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