もし豚が人間との共存を求めてきたら

想像してみてください。
突然変異によって人間と似た知能を獲得した豚たちが、人類に混ざって生活している姿を。
あなたの職場や学校の構成員も半分は豚です。
我々と同じように服を着て、二足歩行で、日本語で話しかけてきます。
あなたは受け入れられますか?

僕は確実に豚肉のことを思い出しますね。
「今俺と普通に喋ってるけど、昔はこいつらを料理して食ってたんだよな」って。
侮蔑するわけでもなく、後悔するわけでもなく、ただ少し居心地の悪さを覚えると思います。

強く拒絶こそしませんが、本能的な恐怖感、あるいは固定観念から来る違和感は払拭しきれないでしょうね。
彼らの蹄と握手を交わす時、愛想笑いを作り慣れることはあっても、心の底から笑える日は来ないんじゃないでしょうか。

なんでこんな話をするかというと、単に思い付いたからです。
別に豚肉を食べていたわけでもありません。
しかしながら、唐突に降って湧いた話の割には様々な含意を内包させられますね。
「差別構造の分析と解決」であるとか、「道徳教育の正当性」であるとか、他にも色々。

でも今日はどの話もしません。
気乗りしないからです。
僕はただ、伏し目がちな乾いた笑みを賢い豚と交わしあうのです。

そして皆さんは、いつか豚が立ち上がった時のために、或いはあなた自身の価値観のために、脳みそを整理しておくべきでしょう。

今日も豚は人知れずないています。

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