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キングダム〜宰相李牧に学ぶ「引き際」とは?

『キングダム』第16巻は多くの読者にとって忘れられない巻です。

まだ読んでない人はネタバレになるので読んでから読んで欲しい(ややこしいな)

といっても、あまりにも有名であり、そもそも歴史的事実でもあるので、知ってる人は漫画を読む前から知っている事実でもある。

それはー

後に中国全土を支配する秦という国の伝説の六大将軍、王騎の死である。かつて秦の怪鳥と呼ばれ、知略・武力共に兼ね備えた豪傑。実写映画では大沢たかおさんが演じたことでも話題となりました。

ようやく内乱を治めた秦でしたが、それも束の間、長きに渡る因縁を持つ超という国と決戦する局面に立たされます。

そこで秦国の代表として、今まで静観していた王騎が突如、総大将として軍を率いることになります。

なぜ王騎は引き受ける気になったのか?

それは決戦の地が馬陽という王騎にとって大切な土地だからなのですが、それについては、是非とも作品を読んで頂きたいのでネタバレとは言え、ここでは伏せておきます。

戦況は、王騎の一方的な戦略によって秦の快勝で終わるかに見えましたが、ここで後に超の三大天に選ばれる若き武将・李牧の登場により、一変!

おそろしく周到に張り巡られされた策略により、不死身とも思えた王騎は命を落とすことになります。

そこで今回、僕がみなさんと一緒に学びたいシーンがこちら。

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王騎という中華全土にその名が知れ渡っている名将を討ち取ったということはとんでもない戦勝です。

事実、李牧は彼の首を取ることは五十の城を取るよりも価値があると評しました。

そんなアゲアゲ状態の戦場において、並みの思考ならそのまま秦を徹底的に滅ぼしてしまえーー!と号令を下しそうなものですが、李牧は「ここまで」と言って撤退を命じるのです。

状況を知らない秦の兵士の中には、超が逃げたと思い、勝利したと勘違いするほどでした。

李牧はここで、戦争の目的は何かを的確に判断し、徒らに戦争を長引かせることの愚を悟っているのです。

もしも、このまま戦い続ければ、互いに甚大な被害が生まれます。『孫子』にも引き際の大切さ、全力で攻め込んだ後にライバルから攻められる危険性について語られています。

たとえば、『孫子 (講談社学術文庫)』浅野裕一著〜火攻篇では、

れ戦いて勝ち攻めて得るも、其の功をわざる者は凶なり。之れをなづけて費留と曰う。故に曰く、明主は之れをはかり、良将は之れをうと。利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以て軍を興こす可からず、将はいきどおりを以て戦う可からず。利に合わばすなわち用い、合わざれば而ち止む。怒りはた喜ぶ可く、慍りは復た悦ぶ可きも、亡国は以て復た存す可からず、死者は以て復た生く可からず。故に明主は之れを慎しみ、良将は之れをいましむ。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。」

先ほどの本より訳を引用しますとー

どれほど戦闘に勝利を収めたり、敵地や敵城を攻略してみても、戦争を有利に終結させる戦略的成功に結び付かなければ、それらは単なる戦術的・局地的勝利の域を出ない。  

したがって君主や将軍は、戦闘での勝利や占領地の獲得が、戦略構想全体の中で、いかなる位置を占め、いかなる意味を持ちうるのか、その可能性を常に熟考しなければならない。

そのうえで、戦争全体をすみやかに、しかも、勝利のうちに終結させるとの戦略目的に役立てるべく、せっかく挙げた戦術的・局地的勝利から、戦略的成功を最大限に引き出す必要がある。  

もし、漫然と占領地を拡大して自軍の優勢に安心したり、局地戦での勝利に自己満足したりして、その戦果を戦略的勝利にまで拡大する努力を怠るならば、その勝利は、徒労である以上に、国家に対する凶事といわねばならない。  

いかに結果が敗北ではなく勝利の形を取ろうとも、その勝利を得るために、自国はすでに多大の経済的犠牲を支払わされている。前線の兵力は、存在そのものがすでに損失であり、戦争に無償の勝利はない。

にもかかわらず、小さな勝利に甘んじ、戦略的意義を引き出せずに終わるならば、そうした勝利は、代償に見合う成果を得られぬ徒労の蓄積でしかなく、国力を消耗させる一方で、一向に戦争目的が遂げられぬ泥沼の長期戦へと国家を引きずり込んで、やがて自国を確実に破滅へと導くからである。

君主や将軍は、小さな勝利を積み重ねながら滅んでいく愚を避けねばならない。  

そもそも戦争は、戦争それ自体が目的なのではなく、政治上の目的を達成するための、数多い手段の一つに過ぎない。とすれば、この戦争をいかに終わらせるかとの思索は、開戦に踏み切る前も、戦争中も、君主や将軍が常に念頭に置くべき最優先の課題となる。

つまり、戦争とは政治上の目的の一つの手段に過ぎず、戦争自体を目的にしても意味はないと言っているのです。

費留ひりゅうとは、軍隊に無駄な費用をかけて駐留することです。ベトナム戦争や近年のアメリカ軍の動向を見ても、戦いが長引けば長引くほど何のために戦争をやっているのか?かが見えなくなり、疲弊だけを繰り返すことになります。

勝負を挑む以上、勝利を目指すことは当然ですが、勝っても負けても執着することは避けた方が無難です。

なぜなら執着とは、ある一点だけにスポットライトを当て、周りを暗闇で覆う危険性があるからです。

王騎は今までの豊富な経験から、援軍に挟まれればこの戦場が死地に変わることを予想し、謎の部隊が到着するまでに決着をつけようと勝利を急ぎました。

しかし、李牧が率いた援軍は驚異的な脚足を持つ北方の騎兵部隊であり、これまでの常識を覆す驚異的なスピードで王騎を後ろから挟み打ちにしたのです。

つまり、数々の戦歴を持つ王騎でさえも自らの過信ゆえに招いた敗北でした。僕はこのエピソードから、視野の狭さは慢心につながり、身を滅ぼしかねないという教訓を学びました。

もしも、自分が何かの競争に巻き込まれ、勝ったと思ったら、そもそも自分は何のために戦い、またその結果をどう今後に活かすかを考えたいと思います。

『キングダム』は一見すると、ただの力比べのバトル漫画に見えるかもしれませんが、読み方によっていろんなことが学べる作品だと思います。

以前、音声配信で紹介した『孫子』がなぜこんなにも長く読まれているのかという通底しています。読む度に気づきが得られる素敵な作品ですね。


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