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ブログはどこへ消えた?

ネットメディアとしてのブログの凋落が言われて久しくなっています。



確かに往年の「個人が意見を発信する」という形でのブログのスタイルは不人気化し、多くの人が訪れるのは検索で流れ着いたマネタイズ目的のアフィリエイトブログばかりでしょう。

長文でバズるのも「イケイケなパーフェクトヒューマンになるための3つの方法」みたいな自己啓発的であったり、ノウハウ的なものが多くなりました。

ブログやnoteの長文がバズること自体ももはや稀で、文字ベースではtwitterの短文つぶやきが炎上したり喝采を浴びたりする程度。

文字ベースのSNSよりも、画像や動画、音声メディアを駆使するYoutube, Instagram, TiktokなどのAudio&Visual系のSNSの方が今はユーザー数も多そうですし、バズり度も、儲けやすさも圧倒してそうです。


なのでまあ、倉下氏の言う通り、ブログのパワーが失われたのは確かにそうなのだと思うのです。


しかし、じゃあ、かつてあれだけいたブロガーやその読み手はいったいどこにいってしまったのか。

いくらYouTubeやTiktok界隈が華やかであろうとも、そういったAudio&Visualメディアよりも、「読み書き」ベースのメディアを好む人は一定数いるはずと思うんですよね。
本能的に、体質的に、テレビよりも読書を好む層がやはり居るように。

そうした人たちがネットを離れて消え去ったというのも考えにくいでしょう。


それで、ブログが持つパワーが衰退したのは、文字ベースの発信が飽きられ捨てられたからではなくて、むしろ逆に広く普及したからではないかと思うんですよね。

実際、 このnoteであったり、twitterでもいいですが、なんだかんだ「書いてる人」や「読んでる人」は無数にいるように感じます。

そうやって、今や誰もがネット上で書き、少なくとも読んでいて、それが空気のように当たり前になったからこそ、パワーが失われたのではないかと。


香辛料が、かつては大航海を経てまで手に入れようとする高級品であったのに、今はその辺のラーメン屋のテーブルに無造作に置かれるようになったように。

世の中「希少なものに価値がある」とみなされ、希少なものだから力を持つところがあります。

しかして、ブログなどの文字ベースの発信が当初は希少だったものが、万人に普及したからこそ力がなくなった。

そう考えるとしっくりくるのかなとも思うのです。

これは悲しむべきことなのか、喜ぶべきことなのかというと難しいのですけれど、ポジティブにとらえることもできそうなのかなと感じてます。

誰もが飢えに苦しむ時代よりも、飽食に悩む時代の方が、なんだかんだ幸せなことであるように。


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