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ペトル・シュクラバーネク著、大脇幸志郎訳「健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭」感想


不自由に至る道はたくさんある。そのひとつには"HEALTH FOR ALL"(すべての人に健康を)と書かれた道しるべが立っている。――冒頭より
健康ファシズムが「友好的」であることにこそ本当の危険が潜んでいる。独裁的な健康政策に向かっていく傾向に誰も気付かず、誰も逆らわないままになるかもしれないのだ。――p197より

ペトル・シュクラバーネク著、大脇幸志郎訳「健康禍」読了。

少々禍々しい題名の通り、現在の医学および医療のあり方と、その強制的健康主義的価値観を強く批判した内容です。

日本語では初訳とのことですが、原著は20年以上前の発刊の少し古い本。コロナ禍で「感染者差別」や「自粛警察」といった倫理的問題も発生し、人はどこまで健康を重視するべきかが喫緊の課題となっている今、タイムリーで温故知新と言える絶妙の発刊タイミングと思います。


訳者の大脇氏もあとがきで指摘されてますが、本書の文章の際立った特徴は、歴史や文学、人物の語りなどの引用を多用し、エピソードやストーリーを主体とした記述で進められているところでしょう。この表現方法により読者は健康主義の問題を情緒的な厚みをもって感じることができます。これは、データやエビデンスといった抽象的な素材を元に淡々と論理的に話を進める現代医学の言語と極めて対照的で、この本の現代医学に対するアンチテーゼとしての立場を象徴しているように思います。著者はあえてこうした人文的な表現を取ることで現代医学が捨ててしまったものを取り戻そうとしてるのかもしれません。


本書の警鐘通り、確かに現代は、あまりにも健康を神聖視、絶対視しており、宗教的になってきてるように江草も思います。著者のシュクラバーネク氏は健康主義の基盤となっているとして、たびたび禁欲的な清教徒の思想に対する批判的記述をしており、そこはキリスト教的「奴隷道徳」を批判したニーチェにも通ずるところがありそうです。ニーチェが「神は死んだ」と神を葬ったけれど、人々は実存的苦悩に耐えられず、結局、医学の神の遺した「アスクレピオスの杖」を信仰の対象として「神本体」と置き換えただけなのかもしれません。


本書は、ところどころ、あやしいロジックの部分や、古さ(発刊から時間が経っているので仕方ないのですが)、行き過ぎた表現もあり、全面的に肯定できる内容ではありませんが、世の「健康のために、食事がどうこう、運動がどうこう」などの健康管理の言説に押し付けがましさや息苦しさを感じている人にはスッと染み入る内容ではないでしょうか。知らず知らずのうちに現代人みなに植え付けられている健康主義の感覚を相対化するのに役立つ貴重な一冊と思います。

ただ、同じく健康主義問題を取り上げている書籍として、訳者の大脇氏の著作『「健康」から生活を守る』の方が読みやすいのと、具体的で身近なテーマを最新の知見を用いて掘り下げており分かりやすいので、濃厚な本を読破する自信のない方は、まずは『「健康」から生活を守る』の方から読まれると、この健康主義問題の議論に入りやすいかもしれません。


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