見出し画像

社会不安障害でも営業マンになれる? Vol.1

社会不安障害の人でも営業マン (就労) できるのか?           この問いは私の中で現在進行形でのテーマでもある。          私自身、診断が出たのは社会人6年目のことだが、恐らく大学留年    時代?もしくは中学2年の不登校時代から始まっていたような気がする。                                今思えば、思春期の転換期である14歳で不登校となり、経験すべきだった集団行動から離れ、いわゆる一般的なレールから脱線したことも影響があったと思われる。                            また、多くの方が経験されたであろう就活時のお祈りメール(不採用)連続被弾!これもまた精神を削られた。                   ※私の場合、当時の彼女(現在の妻)との将来や、単位がギリギリで卒業もできるのか?というトリプルパンチ状態だったことも要因かと.....。     

画像1

このような状態の時点で既に私は人からどう見られているか?や     理想の自分とのギャップに苦しみ、それらの苦しみ、ギャップから目をそらし続けてきた。                           大学ネームパワー (いってもFラン)で結果的には、奇跡的に1社のみ内定 ( ブラック企業 )を頂いたが、この時点でもはや働ける状態ではなかった。  しかし、辞めるわけにはいかなかった。                現在の妻との結婚も考えていたし、自分自身も働き、出世し、そして地元で静かにハゲジジイとなっていくのだろう...とボンヤリ考えていた。    今思えば、情報弱者、かつ思考停止状態だったと思う。

画像2

1社目は親会社は大企業だがその子会社で、良くも悪くもザ.日本企業!だった。しかも周りは、ほぼ暴走族上がり(今の人は知らないであろう)の中卒の方々が出迎えてくれた。                       毎日のように飛び交う「死ね」、「辞めろ」etc....などの罵詈雑言。    分かりやすい好き嫌い人事。( これは正直どこの企業でも大なり小なりあるが....)                                そんな中で大卒として入社した私は、一応出世コース(出来レース)の採用だったので、デスクも上長の隣として頂き、無事不安障害悪化コースをスタートさせたのである。                         ビクビク、オドオドし、当時既にハゲ始めてもいた私は周りの雰囲気に馴染めず、自分でも自分を異物と認識していた。              

画像3

【地獄の始まり】                          今思えば、性根から悪い人はいなかったが、周りの反応、環境にばかり気を取られていた私は、狭い空間の事務所 (誰かに変だと見られているのでは?と思っていた)でPCを起動させるのにも手が震え出すということに驚愕した。PCを立ち上げてもタイピングが全くできず、視線恐怖から自分の視線も静止できず、パニック状態で常に半笑い。周りをキョロキョロ見てしまう完全な変なヤツと化したのである。                                そんなある日、上司が私の近くで                   「キモイわー」                           と一言おっしゃられた。                       これは、私の精神の崩壊を加速させるのに十分すぎる一言だった。    今思えば、やたらこっちを見てくる、キョドった若ハゲ。しかも微振動しながらPCも触らず、常に半笑いをしているやつがいたら十分変人だ。   この一言も私に向けての言葉だったかは定かではない....。        ただ、ここまできても耐えるしかなかった。出世欲があったわけではないが、入社した会社で一生を全うするものだと思い込んでいたし、     入社1年経ったら結婚する予定だったのだ。

画像4

【社会不安障害編 正式スタート】                   そんな年間休日100日を切っている会社で約6年働き続けていたある日、私はさすがにこれはおかしいのでは?と感じ、勇気を振り絞り心療内科を受診した。存在は知っていたが、自分が変だという正式な烙印をおされる恐怖と、薬物まみれになるのでは?という恐怖で受診できずにいたのである。                                初めて受診した先生はファンキーな方で、アロハシャツを着こなし、やけに使用感のある木製バットが机の横に置かれていた。           問診を受け、検査をした後、先生は                  「ハイ!社会不安障害!この病気は治りません。」                               とハッキリと宣告してくれた。                    やけに納得した自分がいたことを鮮明に覚えている。          この瞬間から私の薬漬け生活が始まるのであった。 

【SNS】よければ視聴、コメント頂ければ幸いです。