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ことばの教育と大学入試改革問題

ことばの教育を問いなおす 鳥飼玖美子,刈谷夏子,刈谷剛彦著 ちくま新書

 2019年12月10日の発行。2021年の大学入試での英語や国語などの記述式試験の不備が顕在化し,「延期」に追い込まれたが(まだ中止ではない),その内容も含んでいる。
 構成は,刈谷夏子と鳥飼玖美子の「対書」となっている。「対話」ではく「対書」。
 まず,刈谷夏子が大村はまの国語教育を軸に問題提起する。
 それをうけて,鳥飼玖美子が「書を返す」のであるが,両者の接点が「大村はま」である。
 内容は,それぞれの章のタイトルに凝縮されている。

第一部
第1章 「国語力」は大丈夫か
第2章 母語と国語,外国語と英語
第3章 いきいきとした教室へ
第二部
第4章 理論とは何か
第5章 演繹的思考と帰納的思考
第6章 英語と国語の連携
第三部
第7章 言語能力を鍛えるために
第8章 これからの言語教育へ向けて
第9章 大学入試改革を考える
第10章 徹底的に読み,書き,考える

 鳥飼玖美子は英語の入試改革に反対の立場でずっと意見を発信してきた人であるが,その立場で,先の「改革延期」問題について整理している。
 また,刈谷夏子は,「入学試験が教育の目的でよいのか」として,大学入試と教育についての核心に触れている。
 第10章では,刈谷剛彦がアクティブラーニングや文科省のいう「深い学び」について言及し,その問題点をあぶり出している。

文科省の政策文書やその解説書などを読む限り,具体性に欠ける,(エセ)演繹型の思考でわかったつもりになるレベルに留まっています。「深い学び」の理解が不十分になり,「主体的」と「対話的」が表層的な理解にとどまってしまうと,口頭によるコミュニケーションを重視する教育は,そもそもの目標を達成するには至らず,かえって,ことばの力の育成を妨げるものとなってしまう可能性があります。

と,なかなか手厳しいが,これが現場感覚に近い意見であるといえるだろう。
「思考力を鍛える」では,「読むことが書くことの基礎になります」としているし,「さらに「書く」が上達すれば,読むときにも予測的な読み方ができます」としている。

この順番を間違えると,それこそ,口先だけのオーラル・コミュニケーションとなったり,内容の伴わない,議論の展開の稚拙な探求学習(の発表)となったりします。いや,私見では,日本の大学までの教育は,徹底して読んで書くということをなおざりにしているように見えます。今の改革もそれに棹さすようです。現状でも若者が本を読む時間が国際的にも少ないというのに,です。

 まさに正鵠を射ているといえるだろう。いつそうなったのかはわからないのだけれど,生徒の「読む力」がどんどん弱くなっているというのが現場感覚である。
 今回の「入試改革延期」が,単なる入試問題形式の問題ではなく,いかに,何を教育するのかという根本問題に立ち入っていかないと,日本の教育の未来はない。
 現場の教員は,「学習指導要領」や教科書の「指導書」にこう書いてあるから,ではなく,児童・生徒が,何をどう理解し,どう思考しているかについてよく観察し,自分の授業・教育方法を見直していくべきだろう。