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山の茶屋にて(3)

ここまでのあらすじ

夏の日,山の茶屋にて 
 真夏の暑い日,山の茶屋で水まんじゅうを食べた。かかっている葛が吉野葛ということから,店の娘を吉野に誘ってみた。
 猫野サラさんの夏のイラストから発想。

山の茶屋より始まりし
 船石ワカさんによる続編。娘の視点で描かれる吉野。

ちょっと吉野まで
 南葦ミトさんによる続編。文体模写のおまけつき。

山の茶屋にて(2) 
 猫野サラさんの秋のイラストが出たので,続編として書いたもの。
 登場人物の名前の設定などは船石さんのものとは異なりますが,どちらの,というのでもなく,「吉野に行った」ということを継承。宿泊地については,南葦さんの設定を借用。

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10時の開店を待って暖簾をくぐった。
出迎えたのはおかみさんだ。

「いらっしゃい。昨日はお泊まりでしたの」
「はい,前に紹介していただいた茜藤さんの近くに民宿がありますね」
「篠塚さん?」
「そうです,ゆうべはそちらに泊まりました」
「そうですか,篠塚さん,親切でしたでしょう」
「はい,茜藤さんはお風呂が広くて眺望もいいので,もう一度泊まろうかと思ったのですが,民宿ってのがちょっと興味を引いたので。篠塚さんは料理がおいしかったです」
「そうですね。民宿はどうも,って人もいらっしゃいますけど。大きな声ではいえないんですけど,田舎料理では篠塚さんにはちょっと敵わないんですよ。それは,お金使えばいくらでもいい料理が出せますけどね。うちは洋食もやっていますし,和食といっても普通で。」
身内の気安さか,「うちは」と言っている。

窓際に行こうとして,籐の椅子がなくて普通のテーブルと椅子になっているのに気づいた。そういえば,2部屋のうち,一方は絨毯敷きになって,肘つきのチェアが置いてある。

「籐の椅子は?」
「ああ,もうちょっと季節が合わないので,ゆうべ模様替えしたのです」

それでも,そのまま窓際の席に座った。
「モンブランとブレンド珈琲お願いします」
「はい,かしこまりました」
にこやかに返事をして下がっていった。

モンブランと珈琲を持ってきたのは娘だった。秋色の和服になっている。
「いらっしゃい」
「しのさんとおっしゃるんですか」
「はい,紫に,えーと,の は」
といって,コーヒーカップの横に指で 乃 と書いた。
「名字はなんとおっしゃるんですか。茜藤さん?」
「茜藤は本館の屋号です。宮脇といいます」
宮脇紫乃。和服が似合う名前だけど,ヴァイオリン風ではないな。
つい笑みがこぼれてしまった。
「あら,なにかおかしいですか」
「いえいえ,和服が似合う名前だと思いまして」
ヴァイオリンが似合わないとは言えない。
「それはどうも」
「ところで,ひとつお聞きしていいですか」
「なんでしょう」
「この間のことですけど,初対面の相手とよく付き合っていただけたと思って」
「あら,尻軽女と思われたかしら」
「いやいやそんなことは」
ちょっと冷や汗が出る。
「わたし,その人の話し方や物腰で,信用できる相手かどうかわかるんです。いままでに外したことはありません」
「それはどうも」

モンブランを見ると上に乗っている栗が普通と少し違う
「この栗ですけど」
そう訊くと,紫乃は椅子を横に持ってきて座った。
まだ他の客は来ていないからいいのだろう。
「ちょっと違いますでしょ」
にこにこして,いまからうんちくが始まりそうな気配だ。
「どう違うかわかります?」
まるで口頭試問だ。
「普通,もっと黄色かったり濃い茶色で,てりてりしていません?」
「はい,そうですね」
紫乃はにこにこしたままだ。まだ何か言えというのか。
黙っていると
「まあ,召し上がってごらんなさい」
一口で食べるのも何かと思い,皿に移して半分にしてみた。
フォークで簡単に半分になった。
食べてみると,甘味の少ない素朴な味がした。
「素朴な味ですね」
「いい表現ですね。あたりです」
「もしかして,何もしてない?」
「そうです。ほとんど茹でただけです。ま,ちょっとあることをしてますが」
「あること?」
「企業秘密です。マロンクリームで使っている洋酒も企業秘密」
紫乃は楽しそうだ。
「栗は朝採れなんですよ。新鮮な栗だから茹でただけでいいんです」
「朝採れ?」
「そこの山で毎朝100個ほど拾ってきます。でも,無尽蔵にあるわけではないので期間限定ですし,一日の数量も限定です。」
「紫乃さんも拾いに行くんですか」
「はい。栗拾い,やったことあります?」
「いいえ。栗拾いどころか,栗の木のあるところに入ったこともありません。」
「そうですか。農家のひとは大変ですけど,私みたいにお手伝いでいくぶんには楽しいですよ。」
といって,誘う様子でもない。早朝だから遠慮しているのか。

「そうそう,うちのモンブランには紅茶が似合うんですよ。もっとも好みですけど」
「えーっ 珈琲にしちゃった」
思わず言った,「してしまいました」ではなく「しちゃった」だった。
「ああ,母がお勧めしなかったんですね。セイロン・ウバです。ちょっと渋味がありますがモンブランが甘いので。よろしかったら替えましょうか」
すでに飲みかけている珈琲だ。迷っていると
「あ,お代はそのままで結構ですから。ちゃんとご案内しなかった母が悪いので。では持ってきますね」

持ってきたのはおかみさんの方だった。
「何か,娘が無理に勧めたようで失礼しました」
「いえ。明るいお嬢さんでいいですね」
「ええ,あれでね,ヴァイオリンを弾いているときは別人みたいに怖い顔になるんですよ」
どんな顔だろう。ヴァイオリンを弾く紫乃を見てみたいと思った。

結局,その日は昼食もそこで食べた。メニューはサンドイッチだけ。食事にはあまり力を入れていないようだ。でも,サンドイッチはおいしかった。
昼食後,支払いを済ませると紫乃が見送りに来た。

「鏑木さん,午後はお忙しいのですか」
「いや,とくに予定はありません」
「いまから栗拾いに行くのですが,よろしかったらご一緒しませんか」
「え? 栗は朝じゃないんですか」
「今夜雨が降りそうなので,母が今のうちに拾ってきてというので」
茜藤のチェックインにはまだ時間がある。どうしようかと思っていたところだ。これを,渡りに船というのだろう。
「ではお供します」
ワンワン,といいかけたが,やめておいた。

「じゃ,篭をお願いしますね。軍手と火ばさみは持ちましたので」
篭といってもそれほど大きなものではない。栗100個くらいならこのサイズでいいのか。

清流にかかる橋を渡り,向かいの山に入っていく。ほどなく栗林に着いた。

「ここはお宅の山なんですか」
「篠塚さんの山です。ですから,篠塚さんでは,春や初夏には山菜など,山の恵みがいろいろ出るんです。椎茸も栽培してますし。うちは篠塚さんと契約して,栗をいただいているんです。それでも,市販のものを買うよりずっと低コストですけどね。さあ,拾いましょう」

地面に茶色の栗のイガが落ちている。まだ緑が残っているものもある。火ばさみを使って開けてみると,中に栗が2つ3つはいっている。すると40個も拾えば栗は100個になるわけだ。見上げると,木にはまだたくさんのイガが見える。

「とったあとのイガは,まとめて捨て場に置きます。」
地面に放置はしないのだ。

「あー,朝とったのであまりないかな。ちょっと,木をゆすってみてください」

木をゆすってみると,2つ3つ上から落ちてきた。ひとつが頭に当たった。

「いてて」
「あ,大丈夫ですか。帽子を持ってこなくてはいけませんでしたね。私,自分の分だけかぶって,鏑木さんの分を忘れました」
「大丈夫です」

それから,何本も木をゆすっては落ちてくる栗を拾った。落ちてこない木もあった。

「このくらいかな,もうなさそうですね」
「まだ奥にあるんじゃないですか」
「篠塚さんとの約束で,うちでとれる範囲は決まってるんです。ここから先は結界が張ってあるんですよ」
紫乃がいたずらっぽく笑った。

「よし,じゃあ」
結界に向かう。
「あ,そっちは」
「うわあ,結界だ」
結界に触れてしびれた真似をした。中国のドラマでよくあるやつだ。
「あははは,鏑木さん,面白い」
紫乃は大笑いだ。

自分でも不思議だった。先ほどは「ワンワン」と言おうかと思ったり。普段,こんなことはない。それだけ,心が自由に解放されているということか。

清流を渡って店に戻った。
「またいらしてくださいね」
「はい,今日は茜藤さんに泊まるので,また明日こようかな。紫乃さんはまだいらっしゃる?」
「はい。あの,もしお急ぎでなかったら,午後の2時からヴァイオリンを演奏するんですが」
「え,それは楽しみ。じゃあ,こんどは抹茶のロールケーキをいただきにきます。」

夏の照り返しがすっかりなくなった道を茜藤に向かった。