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プログラミング教育を考える(2) 「なぜ,今学校でプログラミングを学ぶのか」を斬る

 私はずっと以前から,小学校でのプログラミング教育の必修には反対の立場である。
 といって,私がわーわー言ってもどうなるものではなかろう。と思いつつも,note でこうして書きはじめたのは,「なぜ,今学校でプログラミングを学ぶのか」(平井・利根川 技術評論社 2020 2月)を読んでがっかりしたからだ。
 こんなことで,学校でプログラミングを学ぶ意義を語るんだったらやめた方がいい。少なくとも「必修」はやめるべきだ。

 前回述べた通り,発端は,文科省の「小学校プログラミング教育の手引き」である。現在は第3版になっている。
 世の中の動きが,もともとの文科省のいう「小学校でのプログラミング教育」とは違う方向に進んでいるのではないか,という疑問もある。
 数年間,高校でプログラミングを指導してきて,小学校でやるべきなのはそこじゃない,という考えもある。
 いろいろあるが,ともかくは,その「がっかり」した内容について書いておこう。

 著者の一人,平井さんは小中学校の教員,校長,指導主事を歴任し,文科省や総務省で委員を務めた人だから,プログラミング教育推進者のひとりと考えてよい。その立場で書かれたこの本は,本のタイトル通り,「なぜ,今学校でプログラミングを学ぶのか」についてよくまとめられており,一読に値する。プログラミング授業の始めかたのガイドや実践例もあり,参考になる。よくまとめられているから問題点も浮き彫りになる。
 以下,何点か指摘しておく。

これからの時代に求められる3つのスキル

「序章「プログラミング」にどんなイメージを持っていますか?」に,これからの時代に求められる3つのスキルを挙げている。
 1.コミュニケーション能力
 2.クリエイティビティ
 3.スペシャリティ

これについて,つぎのように書いている。

しかし,これらのスキルはこれまでの教師主導の知識伝達型の授業のみで身につくものでしょうか? 教科書や本を読んで得られるようなものでしょうか? だから,「今こそ学校の学びかたが変わらなければならない」と私は考えています。
 いや「変わらなければならないときが来た」というべきでしょう。そのために2020年度に学習指導要領が変わるのです。その変革の切り口の一つがプログラミングの体験となるわけです。すべての児童生徒が小学校からプログラミングにふれることで,これら3つのスキルを全員が身につけることができるのではないかと期待しています。

前半については同意できる。しかし,「プログラミングにふれることで,これら3つのスキルを全員が身につけることができる」というのはあまりにも飛躍ではないか。別にプログラミングでなくてもいいではないか。

家の中にコンピュータは何台ある?

「皆さんの家に,コンピュータはいくつありますか」
これは,私が講演を行うときに最初によくする質問です。
〜中略〜
正解は「11台以上」。これは,実はひっかけ問題なのです。
 多くの方はスマートフォンやパソコンの台数を思い浮かべるのか「10台以下」の答えが多いのです。しかし,質問は「パソコンの台数は何台ありますか」ではなく,「コンピュータは何台ありますか」。コンピュータは皆さんが思っている以上に家の中でさまざまなところで使われています。

これは,文科省の「小学校プログラミング教育の手引き」の冒頭

今日、コンピュータは人々の生活の様々な場面で活用されています。家電 や自動車をはじめ身近なものの多くにもコンピュータが内蔵され、人々の生 活を便利で豊かなものにしています。

および,「第2章 小学校プログラミング教育で育む力 (1)プログラミング教育のねらい」にある

情報社会がコ ンピュータ等の情報技術によって支えられていることなどに気付くことがで きるようにする

に対応するものである。

 これを読んで,「確かにそうだ」,と思われるだろうか。「ひっかけ問題なのです」と書いてあるが,まさにその通り。家電の中にあるコンピュータを「台」で数えるだろうか。さらにいえば,「コンピュータとは何か」という定義があいまいなままの発問ではないか。
 もちろん,このことによって「コンピュータとは何か」を考えていく,という方向はあるだろう。しかし,このように「いろいろなものにコンピュータが内蔵されており,その働きで動いている」と納得したとすると,次の話はいかにもおかしいことになる。
 コラム「なぜコンピュータサイエンスを学ばなければならないか」に,東京大学大学院の越塚先生の講演を引用している。

電卓とコンピュータ,両方とも計算はできますが,電卓は計算方法を変えることはできません。コンピュータは「計算のしかたを計算できる」ので,計算方法を変え,組み直し,別の計算方法を用いることができます。

先ほどの話では,「いろいろなものにコンピュータが内蔵されている」のだから,電卓の中にもコンピュータが内蔵されているわけだ。すると,電卓とコンピュータを比較するのはおかしいではないか。電子レンジとコンピュータを比較するようなものではないか。「電子レンジとコンピュータ,両方とも時間を計って処理することはできますが・・・」

 「情報社会がコ ンピュータ等の情報技術によって支えられていることなどに気付くこと」をちゃんと教えたいのであれば,ENIACからはじまるコンピュータ=電子計算機の歴史を学び,いまやコンピュータは小さな「チップ」の中に埋め込まれ,身近ないろいろな物の中に組み込まれている,ということを教える方がずっと意義があるだろう。

学校教育の現状

 多くの人が指摘しているように,今の小学校では,道徳が入り,英語が入りでそれだけでも大変なのにこのうえプログラミングまでやるのか,という大きな疑問がある。
 学校教育の現状がわかっているのだろうか。
 この本の末尾に,著者二人の対談「プログラミング教育を本音でトーク」が載っている。小学校でのプログラミング教育必修が打ち出されてから世の中がどう動いているか,必修化についての様々な課題が「本音でトーク」されており,読む価値があると思う。
 しかし,次の箇所には本当にがっかりしてしまった。AIの時代になり,先生の仕事がどう変わるかについての箇所である。

利根川 たとえば,黒板に板書するような決まった仕事は,コンピュータが得意なことだからロボットに置き換えられます。逆に,低学年の子どもたちの気持ちを察するのは,コンピュータに置き換わるのはまだ時間がかかるから,先生のスキルが求められる。〜中略〜 先生たちの仕事ってどの部分が強みなのか,どこを頑張ればいいのか,そこに気づいてもらいたくて。
平井 これ,野村総研が出している「生き残る仕事100」。これを見るとわかるけど,小学校と中学校の先生は残る仕事として書かれているけど,高校の先生はない。なぜかわかる?高校の授業って,教科書に書いてあることを教えるような授業が多いでしょ。だったらロボットが代替できるってことなんだよね。

 確かに,野村総研が出している「生き残る仕事100」には,幼稚園,小中学校,大学・短期大学教員が含まれていて高校教員は含まれていない。しかし,「人工知能やロボット等による代替可能性が高い100種の職業」にも高校教員は含まれていないのだ。「だったらロボットが代替できるってことなんだよね。」は間違いである。
 それよりも問題は「高校の授業って,教科書に書いてあることを教えるような授業が多いでしょ」だ。
 小中学校でも教科書に書いてあることを教える授業がほとんどではないのか。「低学年の子どもたちの気持ちを察するのは,コンピュータに置き換わるのはまだ時間がかかるから,先生のスキルが求められる」というが,高校でも生徒の理解度に応じて柔軟な対処が求められる。状況は同じなのである。
 学校教育に対して,この程度の認識しか持たない人に,はたして学校でのプログラミング教育を論じる資格があるのだろうか。(バッサリ)