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「書けない」のは「読まない」からではないか

「科学技術文を書くための基礎知識」 深尾百合子著 アグネ技術センター 2013年3月発行

 この本は,2010年から2年ほど書いたブログを修正・加筆したものとして,はしがきに次のように書かれている。

ブログを書こうと思ったきっかけは,学部学生の実験レポートを見せてもらったとき,ほとんどが「話し言葉」の入り混じった文章で,「書き言葉」という概念を知らないのではないかと思ったことです。学生に聞くと実験レポートの文章を添削してもらったことはないそうです。これでは科学技術文の「書き言葉」を習得する機会が卒論を書くまで全くないことになります。

 ここでいう「書き言葉」とは,科学技術分野での文章語,としているが,必ずしも「科学技術分野」でなくても同様のことはいえるだろう。「お話」ではない文章は一般的にそうだ。
 たとえば,ビジネスで使う文書で,「なので」や「だから」は使わないだろう。これらは「話し言葉」である。
 高校では,「小論文」の作成指導をしているが,このような「言葉の使い方」について,どこまで指導しているかというとちょっと疑問である。内容や論理展開については添削をするが,言葉の使い方についてはどこまでやっているだろう。指導するためには,教員がそのような「言葉の使い方」について知っている必要があるし,知っているだけではなく,「意識して」いなければ添削の場面では使えないからだ。自分ではごく自然に使い分けているとすると,「自然」であるがために,意識したチェックに向かないからだ。

 この本では,助詞の使い方,接続詞の使い方など,細かい添削例を多くあげている。たとえば,

今回の実験結果を見るかぎりではデジタルインジケータが最も精度がよく,すきまゲージの厚み測定には適していたと思われる。しかしながら,形状が複雑なものの測定には不適であると考えられる。

という,なんでもなさそうな文に対して

・「見る限り」は科学技術文では使わない。
・「しかしながら」は「しかし」と同じ。

として,次の修正例を挙げている。

今回の実験結果ではデジタルインジケータが最も精度がよく,すきまゲージの厚み測定には適していたと思われる。しかし,形状が複雑なものの測定には不適であると考えられる。

さらに,アドバイスの,「しかしながら」について

工学系論文に使われていることもありますが,高校の理系教科書には全く使われていません。

と書いている。

 この文の意味は大きい。
 高校で教科書をちゃんと読み,教科書の文体に慣れていればそんな使い方はしないでしょう,と言っているのだ。

例として,数学の教科書を見てみよう。

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 授業でこの例題を取り上げるとき,「生徒が教科書を読んでいない」ことを前提としていることが多いだろう。予習してきなさい,と言っても,予習してこないからだ。中には教科書を伏せさせて授業を進める人もいる。授業では,問題を板書し,説明しながら解答を書いていくのだが,この通りには書かないことが多い。たいていは説明しながらポイントを書いていく。
 ほとんどの生徒は,板書を写すことに精いっぱいだ。中には,次の例題に進んでいるのに,前の部分を一生懸命写している生徒もいる。書くのが遅いからだ。「写す」ことに精いっぱいで,聞くことも読むこともしていない。
 結果として,問題を解かせるとどうなるか,というと,次のような解答を書く。

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初めの「品物Bをx個買うとすると」を書かない生徒も多い。
計算をずらずらと書き連ねる。
教科書のように「整理すると」を書くどころか,「整理する」ことがそもそも念頭にない。
∴ の記号を知っていて書くが,「よって」というような接続の言葉を書かない。

 私は「もっと言葉を」というゴム印を作っていて,言葉が足りない答案にはどんどん押す。「整理して」というゴム印もある。しかし,いっこうに直る様子がない。
 もちろん,論理的に整理して,「文章」として答案を書く生徒もいる。しかし,その割合は,進学校でも10%程度だろうか。

 授業の前にちゃんと教科書を読み(これを「予習」という),教科書の記述を真似て答案を書けばよいのだ。授業で教科書の例題をそのまま解説しているのであれば,板書する必要はない。しかし,そのような授業の受け方をしている生徒はほんのわずかである。
 これは,数学に限ったことではないだろう。

 著者の深尾さんが「高校の理系教科書には全く使われていません」と書いているが,そもそも,教科書をちゃんと読んでその文章を真似て身に付ける,ということがなされていないのだ。

学校で文章の書き方を指導しない。(なされているのは「作文」だけ)
教科書のみならず,本を読まない。

「書けない」ことの根は相当深い。