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教養のエチュード賞,一番得をしたのは誰か

第二回教養のエチュード賞の入賞作品発表がありました。

この日を心待ちにしていた人は多いと思います。かくいう私もそのひとり。
副賞に選ばれたたちゃこさんが,こんなnoteを書いていました。

 謙遜ですね。
 私はこのドビュッシー,気に入ってましたから,副賞に選ばれてよかったなあと思いました。
 ちゃこさんは,「果たして、嶋津さんは何か得をしたんだろうか。」とえらく恐縮されていますが,(しかも太字で)一番得をしたのは嶋津さんでしょう。
 それは,17回にも及ぶ作品の紹介を読んでいて思ったことです。

 noteを読んでいただければわかる通り,私は高校教師をしていました(います。まだ)。
 その教師生活の中でのいくつかのターニングポイントに,成績通知表の所見(コメント)欄の書き方があります。
 成績通知表のこの欄を,生徒宛てのものと誤解していたのに気がついたときのこと。
 私は成績通知表は生徒宛てのものと思っていましたので(自分自身,大学まで)その時まで気がつかなかったのです。成績通知表は保護者宛て。あるいは保護者&生徒宛てのもの。
 したがって,所見欄に書くのは保護者へのコメント。

 そう思ったとき,じゃあ何を書くのか。
 ちょうど,「生徒のいい点をみつけてほめること」というのが,教育的であるという話を本で読んだ頃。そこで,1学期間を思い出して,その生徒のいいところを見つけようとしました。
 2割の生徒はすぐ書けます。成績がいい,委員として仕事をしてくれる,など。6割の生徒は少し悩みます。しかし2割の生徒が困る。成績はよくない,素行もいまひとつ。しかし,どんな生徒にも必ずいい点がある。あるはずだ。それを見つけていないだけ。
 始めのうちは,全教科を見回して1つでも成績がよくなったものあれば,たとえ10段階の4から5であってもそれをほめる。成績が全部落ちている場合は,日頃を思い出して,とにかく何か探す。
 それを始めたときは苦痛でもありました。ないんだもの。
 しかし2回目に少し変わりました。

 成績通知表に書くためには,40人の生徒全員について日頃の状況を観察していなければなりません。
 それをするようになって,書けることが出てきました。
 それは生徒を信じることにつながり,生徒が私を信じることにつながったのです。
 そのクラスの卒業式の日のことは,いまでも忘れません。忘れたクラスも多いのに。
 この話は,いままでのnote 「高校教師の明日のために」でちょっと書いたけれど,とっておきの話はまだです。

 嶋津さんの,第二回教養のエチュード賞応募作品の紹介を読んでいて,このときのことを思い出しました。
 紹介されたnote には私も目を通していますが,ざっと目を通しただけで終わったものと,読み返してスキをつけたものとがあります。すべてにスキをつけたわけではありませんし,つけなかった方が多い。
(私,あまりスキをつけない人。いま確かめたら,ちゃこさんのドビュッシーにもスキはつけていませんね。印象に残っていた作品なのに。スキがたくさんついていると自分はつけない,という習性があるのです。)
 しかし,嶋津さんは,私がほとんどスルーした作品も何度も読み込んで,コメントをつけているわけです。どんな作品にも必ずいいところがある。それを見つけるために。
 Vol.1 から,ずっと読んでいって,嶋津さんの「表現力」がどんどん増しているのを感じました。わずかなことをとらえてそれを的確に表現する。まあ,ご自身の仕事が「表現」の仕事ですから,その道のプロ,といえばそれまでかもしれませんが。
 全17回の後半からは,もう「参りました」の連続。そこまで「読み込める」のか,そう表現できるのか,と。私の作品のコメントへの期待感も高まりました。そうして,104回目,最大級のほめ言葉。「何者なのだろうか?」 これ以上のほめ言葉がありますか。

 全作品を読み込んでコメントを書く。ものすごく大変なことだったでしょう。私は40人でしたが,彼は128作品。とうてい真似できるものではありません。
 しかし,その作業を通じて,嶋津さん自身が,「読み込む力」と「表現力」が以前より格段に増していることに気がついておられると思います。
 そして,なにより,読み手としての嶋津さんへの信頼。表現者としての嶋津さんへの畏敬と感謝の念。みなさんが書かれている通りです。

 受賞された方々にあらためて「おめでとう」。
 嶋津さんに「ありがとう」 そして 「よかったですね」。
「お疲れさま」は? ありませんよ,そんな失礼なこと。(^^)

ありがとうございます。次の作品もよろしくお願いします。
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E.VはEnter Valleyの略。私の兄が学生時代に使っていたネームです。私は弟なのでジュニア。