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読解力をつける(5) これ一冊で必ず国語読解力がつく本

 「これ一冊で必ず国語読解力がつく本」(後藤武士 宝島社 2005)を読んだ。
読解力をつける(1) で読んだ「やさしい 国語読解力」と同じ著者のものだ。出版社も同じだが,こちらの方が1年早い。
 やさしい 国語読解力」の中で,この本について次のように書いている。

困ったことに,読書の大切さや読解力の重要さを説く人が,じゃあどうすれば読解力がつくのかをちっとも教えてくれないのもこれまで通り。せいぜい「本を読みなさい」っていう程度。〜中略〜 漢字とか,四字熟語とか,挙げ句の果てには有名な小説のあらすじとか,まあそれも大事だけど,一番大切な文章読解ができるようにする方法を書いてくれないとねえ。そんなわけで,有名な先生方でも手をつけられないこの難問にぼくはチャレンジしてみました。なんせ十数年間,目の前で読みたくても読めない,学びたくてもどうやったりいかわからない,そんな子供たちをいっぱい見てきて,ずっと歯がゆい思いをしてきたから。
 その結晶が「これ一冊で必ず国語読解力がつく本」という本でした。

なお,後藤氏は,大手予備校に勤務後起業した人。国語だけでなく,日本史や散りの本も出している。

 「やさしい 国語読解力」は「これ一冊で必ず国語読解力がつく本」を出版後に,毎日中学生新聞に連載したものをまとめた本だ。したがって,内容として重なるものはある。ただし,例文は異なる。
 対象としては,「やさしい 国語読解力」が小学校高学年から中学生,「これ一冊で必ず国語読解力がつく本」が中学2,3年生から高校生と考えていいだろう。
 違いとしては,「やさしい 国語読解力」の方が内容は多岐にわたっているものの,1テーマを4ページで書いているのに対し(新聞の連載なので)こちらはそうではなく,問題と解答・解説という形式で数ページをとっていることだ。たとえば,「主観と客観」について,こちらでは,5つの講義に分けて,45ページを費やしている。それだけ,詳しいとも言えよう。

 この,「主観と客観」の第5講義では「「好き」と「正しく読む」は違う」として,次のように述べている。

 力のある先生に教わる国語とそうでない先生に教わる国語の決定的な違いがここにある。
 力のない先生に教わる国語ってのはほとんどが鑑賞。鑑賞と言うのは評論や小説について意見を述べたり感想を述べたりすること。ひどいときには先生が自分の意見を板書してしまって,それがそのまま問題の答えになってしまったりしている。
 でも言うまでもなくそれは国語ではない。
 国語の目的はあくまでも「相手が何を言っているのか」を正しく読み取ることであって,その相手の言い分が正しいかどうかはそのあとのことになる。

 また,第17講義の「事実と考えの区別」では次のように書かれている。

国語がわかっていない人は事実と考えの区別ができていないことが多い。

このことは,PISAの問題にあらわれている。2018年の問3である。


下の表のそれぞれの文は,書評『文明崩壊』からの抜粋です。これらは事実または意見のどちらですか。

という問題だ。この正答率がどうであったかわからないが,このような問題が出題されているということだ。
 このような問題は,読解力をつける(3) の「「読む力」はこうしてつける」紹介した図(再掲)のAのレベルだろう。

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後藤氏が「読書の大切さや読解力の重要さを説く人が,じゃあどうすれば読解力がつくのかをちっとも教えてくれないのもこれまで通り」と書いてある通り,このレベルの読解力がついていないのが実情なのである。

 しかし,ここで疑問に思うことはある。本当にこのAレベルのことを国語の授業ではきちんと教えられていないのだろうか。
 小学校の国語の先生何人かにインタビューすることが考えられるが,当方は記者でも研究者でもないのでそれは難しい相談だ。そこで,何らかの方法でそれを探ることを考えてみたい。