「覚える」のか「理解する」のか
中学時代から「覚える」のが苦手だった。
英単語が覚えられない。意味,つづり,イントネーション。
英語の成績は5段階の5だったけれど,なにしろ田舎の中学校。
高校生になったらとたんに赤点になった。
歴史の年代なども覚えられないから,社会科の成績は悪かった。
数学はどうか。
中学では得意だった。覚えることが少ないからだ。覚えなくても,わかれば(理解すれば)問題は解ける。
友人からは,「応用が利く」といわれた。
たしかに。原理を理解すれば応用はできる。
高校ではどうか。
1年生で因数分解につまづいた。
因数分解は展開の逆,ということをちゃんと理解していなかったからだ。
式の展開がどのように行われるかを理解して,その逆をたどることができれば公式の意味も理解できる。
それをしないで,ただ公式の暗記だけでは因数分解はできない。
あるとき,勉強のしかたを変えた。
ノートを取るのをやめたのだ。
先生が話していることは教科書に書いてある。
板書を写すより,いま,ここで,先生の解説を理解することが大切。
聞くことに専念した。
場合によっては教科書にメモを書き込む。
同じようなことは他の教科でもあったが,すべての教科が同じなわけではない。
社会科は,教科書に書いていないことも結構あるからノートする。
ただし,板書をそのままノートに写すという愚はやらない。
ノートの取りかたについての本が出ている。
ほとんど読んだことはない。
なぜなら,参考にならないからだ。
「ノートは取らない」という本が出たら,きっと読むと思う。
ノートの取り方はひとそれぞれ。自分に合った取り方をするべきだ。
では,「自分に合った」とは何か。
授業をしていると,いま説明をしている箇所よりずっと前のところの板書をノートに写している生徒がいる。
話を聞いていないから,内容を理解していない。
聞くことと書くことを同時に行うのは難しい。
自分はどのくらいのペースで聞きながら書けるのか,書いたことをあとでどのくらい見直すのか。そこがひとそれぞれなのだ。
授業中の板書をノートにとらずにどうやって復習するか。
教科書を読み直す。わかるところまでさかのぼって読み直す。
その方式で,数学の成績は上がった。
その一方で,英語や世界史は苦手のままだった。
覚えられないのだから。
日本史は好きだったが,やはり用語を覚えられないので成績は悪かった。
今も,特に古代史が好きで,本が何冊もある。
時代の流れを追うのは面白い。しかし用語とともに理解するのは大変だ。
記憶力のいい人を,つくづくうらやましいと思う。
さて,指導する立場になって,生徒をどう見ているか。
前述のように,理解をしようとせず,ただノートをとっている生徒,ただ暗記しようとする生徒が結構いる。
しかも,そういう生徒が増えている。
最近は,教科書に書いてあることがわからない(教科書が読めない)生徒も増えた。
「東ロボ」を主導した新井紀子氏が出しているリーディングスキルに関する本がある。
「AI vs 教科書が読めない子どもたち」「AIに負けない子どもを育てる」の2冊。いずれも東洋経済新報社から出ている。
リーディングスキルテストと同じような形式の設問を作って,教科書を読んで答えさせることをしてみたら,確かに「読めていない」ということがわかった。
情報でプログラミングを教えているが,テキストに載せてあるコードを打ち込んで,一見できたようでも,ちゃんと説明を読んでいないから何をやっているかを理解しておらず,エラーが起きても原因を突き止めることができない。
また,問題形式にするとできない。テキストの例をほんの少し変えるだけなのにできない。
意味を考えずに例のコードを打ち込んでいるからだ。
インターネットでなんでも検索できる今の時代,覚えていなくても検索すれば出てくる。しかし,テキストを読み込むことができないのであれば何も理解できないではないか。