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29.悔しさは最強の原動力だ。

幼稚園のころの思い出して、深く印象に残っているのは、運動会だ。運動会の定番種目といったら、徒競走。やはり、競うだけあって、負けたくないというのが心情である。
徒競走は、年齢が低い時は、直線勝負かもしれないが、年齢が高くなると距離ものびて、園庭を1周とか半周を走ることになる。

本番でのできごとだ。
いくら一生懸命走っても、走っても、ライバルたちとの差が縮まらない。

残念ながら、最下位という結果に終わった。

自分の足が遅いだけなのか?
いや、それだけが理由ではないようだ。

競技終了後、母親から、「何やってるの?」と言われた。
これは、足が遅かったことに対しての言葉ではない。
私の行動に対しての言葉である。

陸上などの大会では、決められたレーンをゴールまで走ることになる。これは、レーンによって、スタートの位置が違うためだ。
一方で、学校の校庭を走るような運動会にそんな仕組みなんてない。スタート地点はまったく同じ場所。だから、一番外側のレーンでスタートしても、一番内側を走るものである。もちろん、抜きたいときは、外側から抜かなければいけないという大変さはある。

そんなルールを知らなかったのか、練習時にも一切注意されなかったのか、されていてもそれを修正できなかったのかは定かではないが、私は、ずっと、レーンの一番外側を走り続けていたのだ。これでは勝てるわけがない。圧倒的に他の生徒よりも、走る距離が長すぎる。
 
 母親から注意を受けたときはショックだった。今となれば、かわいい幼児の笑い話であるが、当事者はショックである。

 それがあってかわからないが、小学校・中学校に入ってからの運動会で、特に、徒競走に関しては、絶対に負けたくないという思いが強くなった。そんな思いもあってか、運動会の徒競走では、常に1位をとり続けた。

 悔しさはときには、大きなプラスのエネルギーになりうる。むしろ、そうすべきなのである。それは、「悔しさ」自体に大きなエネルギーがあるからだ。悔しさにはエネルギーがある。このエネルギーを、プラスのエネルギーにするか、マイナスのエネルギーにするかは自分次第なのである。

まとめ
悔しさを最強のエネルギー(原動力)に変えろ。

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