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平野啓一郎さんは小説をどうやって書いているの? テーマ、プロット、キャラクターの創作過程を明かします。【#物語のつくりかた イベントレポート】

2011年に発表された小説『空白を満たしなさい』が、10年の時を経てNHKでドラマ化されました。noteではその放送記念として、原作者の平野啓一郎さんをお招きしたイベントを開催。『空白を満たしなさい』の執筆過程や、小説を書く際のテーマやキャラクターの深め方など、作品づくりについてじっくりお話をうかがいました。

小説やシナリオなどの物語を創作しているクリエイターの方にとって参考になるお話が満載です。

大好評だったイベントで平野さんが語った言葉を、ロングレポートにまとめました。

人間が亡くなったひとに対して思う
一番強い感情を作品のテーマに

━━『空白を満たしなさい』は2011年に発表された小説です。まずはこの小説を書かれたきっかけを教えてください。

平野さん この作品の主人公の設定にも反映されていますが、僕は1歳のときに当時36歳だった父を亡くしています。そのせいで子どものころから、自分も36歳以上まで生きられないんじゃないかという恐怖心みたいなものをずっと持っていたんです。父の死という、自分のなかでずっと気になっていた問題を小説に書くべきじゃないかと結構前から思っていました。

2011年に、父が亡くなった年である36歳になりました。その年に東日本大震災が起こり、1万5,000人以上ものひとが亡くなりました。そして同じころに自分の子どもが生まれたんです。父親という自分にとって最も近しい関係のひとの死と、震災で万単位のひとが亡くなったという現実と、1つの新しい命が生まれたという3つのことについてずっと考えていて。

小説家 平野啓一郎さん

平野さん 死について考えたときに、人間が亡くなったひとに対して思う一番強い感情を作品のテーマにしたいと思いました。亡くなったひとに対する一番強い想いとは何かというと、やっぱり「もう1回会いたい」に尽きるなと。そこで、「亡くなったひとと再会する」というビジョンを思い描きました。個人的な物語に収めるのではなく社会システム全体の問題を描きたかったので、たくさんのひとが生き返ってくるという話にしようと思ったんです。

もう1つ、自殺の問題を考えたいと思いました。自分の周りでも何人か自殺してしまったひとがいたり、当時は1998年ごろから年間自殺者数が3万人を超えて高止まりしていた時期だったので、これは書くべきテーマだと思っていました。そこで、生き返ってくるひとがじつは自殺をしていて、生き返ったときになぜ自分が自殺してしまったのかを考えていくというプロットを思いついたんです。

読者の規模が5,000人か5万人かで
小説の書き方は大きく変わる

━━『空白を満たしなさい』は最初は漫画雑誌で連載されました。純文学誌よりも読者の対象が広がったと思いますが、書き方の変化はありましたか?

平野さん 作家が自分の読者をどれぐらいの規模に想定するかによって、小説の書き方は大きく変わってきます。ターゲットが5,000人か5万人かでは全然違うんです。

『空白を満たしなさい』はテーマ的に重要な問題を書いているという意識があったので、数千人の純文学の読者にだけ読まれるのではなく、むしろその外側にいるひとにこそ読んでもらって文学を通じてこうしたテーマを考えてもらいたいなと思いました。ハードカバーの段階で5万人ぐらいのひとにリーチできるような規模感で小説を書きたいなと。

週刊の漫画雑誌から連載のオファーがあったとき、ふだんあまり小説を読まないひとたちに具体的に作品が届くように書くのは、万単位のひとたちに届くような文学作品を書くということなんじゃないかと思い、連載してみようと思いました。漫画ってやっぱりすごく多くのひとたちに届く分野ですよね。小説は漫画とは全然違うものだけど、「広い読者に届ける」という漫画の手法を吸収すれば自分の作品に生かせるのではと思ってトライしました。

週刊連載をやったことで程よいテンポ感をつかんだ

平野さん 僕は新聞でも連載したことがあるし、月刊の文芸誌でも何度も連載していますけど、一番大変なのは週刊の連載なんですよ。これは僕だけじゃなくてほかの作家も言っています。新聞のほうが日刊だから大変だと思われるかもしれないけれど、新聞は2週間分ぐらいをまとめて送るので、日々追われているという感じではないんです。でも週刊は、1週間ごとにきっちり締切が来て原稿を提出しないといけない。さらに編集者とやりとりして、原稿をこうすべきじゃないかとか、ああすべきじゃないかと議論するんです。

週刊連載をやって学んだことの1つは、テンポ感です。週刊の漫画はテンポ感がはっきりしていて、1週ごとに物語が展開して最後に強い引きがあって終わるから、来週どうなるんだろうと思わせますよね。小説でもやっぱり1週ごとに読者を惹きつけるものを書かないといけないなと。1回の原稿量は原稿用紙で15〜20枚ぐらいだったので、そのなかで1つ何か起伏があるものを意識して書きました。

結果的には、長編小説でも15〜20枚の単位で引きをつくるのがちょうどいいとわかったんです。それより長くなるとちょっと長いと感じるし、短いと十分に物語を展開できないから物足りなさが残る。たとえば、寝る前に本をちょっと読みはじめてここまでで終わろうというひと区切りが、やっぱり15〜20枚ぐらいなんですよね。このテンポ感で書いていくことをトレーニングとしてやったのは、週刊誌で連載してよかったことです。

小説全体は音楽のように、
場面は絵画のようにイメージする

━━平野さんは小説を書くときには、全体のストーリーや最後の終わり方を考えた上で書き進めているんですか?

平野さん 僕の場合は最初にクライマックスを考えます。その小説が何を書こうとしているのかということを象徴的に示しているようなクライマックスの場面が思い描けたら、この小説は書けるなと思うんです。そのクライマックスさえ思い描けたら、あとはそこに向かってどういうふうに物語を進めていくかを遡って考えればいいだけなので。音楽でもAメロからつくるひとってあまりいなくて、やっぱりサビからつくると思うんですよ。

全体の構成を練る際は、オーソドックスですが、最初はこんな話で途中でこうなって最後こうなるみたいなプロットをパソコンで書き出し、それにどんどん書き加えていきます。僕の場合はそのとき、レイヤー構造を考えます。そのテーマのなかで、プロットで書かなきゃいけないこと、社会的な問題としてアプローチしなきゃいけないこと、それからそこには収まらない文学ならではの言葉にならない深い問題を、レイヤーごとに整理していくんです。

パソコンではなく手書きの図を書くこともあります。小説がなんとなくうまく進まないときは、必ず作者自身が混乱してるんですよ。何かが自分のなかでわかってないんですね。そういうときは図に書くと、何を書こうとしているのかが非常にクリアになります。

平野さん 小説は時間芸術なので、全体を音楽的に捉えています。大きな波のようなイメージです。登場人物の構成は楽器構成を考えるように考えています。主人公というのは、バンドで言うとボーカルみたいなひと。そのバンドの世界観に入っていくのはボーカルを通じてなので、やっぱり主人公はボーカリストみたいなひとじゃないといけないんです。そしてその周りにギターであったりベースであったり、主人公に伴走するひとを配していく。

全体としては音楽的に流れを考えるけれど、15〜20枚ぐらいの短い場面に関しては、どちらかというと絵画的に考えています。クラシックな具象画を見ると、だいたい前景に何かが描かれていて背景でだれかが何かしている様が見えるという構成になっていますよね。そういうイメージで書いたほうが、場面ごとにはかっちりとまとまりやすいんです。その場面で前に出てくるひとたちはだれで、背景に描かれるべきは何かということを絵のようにイメージします。

こうしたやり方は、僕が音楽や絵が好きだということもありますが、やっぱり小説は没入して体感するようなものなので、文字だけで聴覚や視覚に訴える要素も必要です。小説以外のジャンルのものの利点を導入すると、生き生きとした小説になると思います。

「本当の自分」は1つだけではない

━━平野さんの小説のテーマとして「分人」という概念がありますが、これを最初に具体的に取り上げた作品は?

平野さん 「分人」という言葉を具体的に提示したのは『ドーン』という小説です。「本当の自分」というものが1つだけ存在すると考えられている「個人」に対し、分人は対人関係ごと、環境ごとに分化した異なる人格のことです。中心に1つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、複数の人格すべてを「本当の自分」と捉える考え方が「分人主義」です。

▼分人主義について詳しくはこちら

平野さん 『ドーン』の1つ前に発表した『決壊』という小説は個人という概念に基づいて書きました。でも、社会がすごく複雑化して、まったく異なるバックグラウンドのひとたちともコミュニケーションをとらざるを得なくなっていくなかで、一体性を保った個人のなかで起きている人間の現象を描こうとするとちょっと限界があるなと感じたんです。

『決壊』はどうやってもハッピーエンドにすることができなかったんですよ。もちろん、実際に取材して、犯罪被害者のひとたちがなかなか簡単にはハッピーエンドになっていかないというリアルな現実もありましたが、やっぱり個人という概念をベースにしたシステムで社会を捉えている以上は、どうやっても物語が破綻にしか向かっていかないなと思いました。

複数の自分の分人のバランスのなかで生きていく

平野さん 僕たちは2つの矛盾するメッセージを社会から押しつけられています。1つは「コミュニケーション能力を高めなさい」ということ。もう1つは「自分らしく生きなさい」ということ。でも、自分らしさを貫こうとするとコミュニケーションは難しくなりますし、コミュニケーション能力を高めようとしたら、やっぱり対人関係のなかでいろいろな自分になるしかないですよね。この2つが矛盾したメッセージとして求められているところに社会の難しさがある気がしていて。

『決壊』の主人公も非常にコミュニケーション能力が高いんだけど、結局は対人関係のなかでいろいろな自分を巧みに使い分けているだけだという認識があって、そのせいで空虚感を抱いているんです。『決壊』を書いていて、個人という概念で考えている以上はやっぱりどうやってもその先に進めないんだと思いました。『決壊』を読んでくれた読者にも、「すごく感動したんだけど、本当にどうやって生きていったらいいのかわからなくなりました」というようなことをかなり多くのひとから言われて。それは真剣に受け止めましたね。自分自身が生きていくためにも、作家として考えていくためにも。

それで、個人という概念は主体の一貫性ということを非常に強調しているけれど、そうじゃなくて、人間が対人関係ごとにいろいろな人格に分化していくということを客観的な現象として認めなければならないんじゃないかと考えたんです。唯一不変の本当の自分というものを探し求めるのではない形で、複数の自分の分人のバランスのなかで生きていくということを肯定的に捉えるような考え方が必要だと。

分人化という現象を客観視する

━━平野さんが「分人」という考え方を自身のテーマとして深めていった経緯を教えてください。

平野さん まず、個人という考え方が重視されたのは、就職を契機に「自分は本当はどういう人間なのか」を見つめてそれに対応する仕事を探し求めるということが大きいと思うんです。就職を通じて自己実現するというモデルがあるので、いろいろな自分があっても1つに絞り込まなきゃいけない。いまはサラリーマンをやりながらYouTubeの動画をつくったりとか、いくつかの自分を生きることは結構可能になってきているけれど、昔は就職のために1つの自分に絞らなきゃいけなくて、ほかの特技を「趣味」とすることである意味、断念したひともたくさんいると思います。

また、『空白を満たしなさい』のテーマでもある自殺の問題があります。自己肯定するのはなかなか難しいけれど、自己否定には簡単に陥ってしまう。「自分」というものを、分けることができない一体のものと捉えていると、何か嫌なことがあったときにそれが自分の全体の問題になってしまうんですよね。そういうなかで自殺をしてしまうひとがいると考えたときに、たとえば会社で嫌なことがあって自殺したひとも、会社以外のところでは生きていて幸福だった人格があったはずだと思って。それを「分人」という形で、対人関係ごとの自分というものを相対化して見ることができれば、自分の全部を否定するのではなく、「いま辛いのはこの分人だからここの問題をなんとかしよう」というふうに具体的に考えることができるのではと思いました。

平野さん それからもう1つは、僕自身の体験も元になっています。僕は自傷行為そのものをしたことはありませんが、10代のころに自傷的な妄想を抱くことがあったんです。残酷な方法で自分を切り刻むようなイメージを抱くと、そのときに感じている自分の苦しみが癒されるという感覚があって。これは何なんだろうと考えると、恥ずかしい思いをしたときにそういう自分を否定したくなって、自分を傷つけるようなイメージが湧いていたんですね。これはアイデンティティの問題で、自分の全部を否定しているというよりも、自分が「こうありたい」と願う自己像にそぐわない自己像を自分のなかで否定しようとしているんじゃないかと思ったんです。

分人という概念で考えると、自己否定的な感情を抱くのは、自分の全部を否定するというよりも「自分はその分人は生きたくない」ということなんじゃないかと思って。『空白を満たしなさい』で考えたことは、自己否定的な感情を持ったときに、それを自殺というフィジカルな行動に直結させないために、分人化という現象を客観視して、自分を全否定するのではない形での解決を考えていくべきじゃないかということです。

健康と幸福が人生の目標になると苦しくなる

━━『空白を満たしなさい』の主人公である徹生というキャラクターは、ご自身をモデルにして書かれたのでしょうか?

平野さん 徹生の父が亡くなった状況は、僕の父が亡くなった状況そのままなんです。そういう意味では色濃く反映されていますが、性格的には結構違います。徹生は僕のように文学を読んで考えたりしている人物ではなく、ストレートにいろいろなことを信じて家族が一番大事だと考えているひと。ある時代の典型みたいなひとにしたいと思ったんですよね。

というのは、幸福になりたいとか健康になりたいとかいうのは、だれも否定しない価値観じゃないですか。社会のいろいろな規範が壊れていって、どうやって生きていったらいいのかわからないという時代に、健康と幸福というのはとりあえずだれも否定しない価値観として絶対的に肯定されている。でも、それ自体を否定するわけではないけれど、健康と幸福が人生の目標みたいになると非常に辛いと思うんですよね。

現に健康じゃないひともいるし、幸福というのも相対的なものだし。相対的なものということは、ひとと比べてどうだということになります。「親ガチャ」という言葉が流行るぐらい生まれながらにしてスタート地点が違うなかで幸福を目指そうとすると、どうしても苦しくなってしまう。けれど、健康や幸福が大事という価値観のなかで、徹生のように一生懸命働いているというのは特殊なことではなく、多くのひとがいま共通して抱えていることじゃないかなと思ったんです。

脳内オーディションをしてキャラクターを造形する

━━キャラクターの造形はどのようにされていますか?

平野さん 小説のキャラクターはイメージだけでなく、具体的な属性を集めることが必要です。男か女か、あるいはノンバイナリーなひとか、何歳か、どこに住んでいるか。そういったことを決めていくプロセスで具体化していくこともあります。

僕の場合は脳内オーディションみたいなことをしますね。それぞれのキャラクターに、このくらいの年齢でこういうひとだったらというのを演じさせてみるんです。頭のなかでイメージすることもあれば、実際に書いてみることもあります。そうすると、このキャラクターだとちょっとこの物語を演じきれないなということもわかるんです。俳優のキャスティングと似てますね。

とくに主人公はバンドで言うとボーカルみたいなものなので、キャスティングが大事です。たとえば、アクション映画の主人公が用心深かったら話が進まないじゃないですか。アクション映画の主人公は無鉄砲じゃないといけないんですよね。文学の場合も、主人公が人生の困難にぶつかったときに、それをどの程度自分の問題として受け止めて考えることができるかによって、描ける物語の深みがすごく変わってくるんです。主人公がそこまで深いことを考えられないけど魅力のある人物であれば、いろいろな話をするひとが脇役として登場しないといけない。だから、何人かの主人公の候補を集めて脳内オーディションをすることで、そのひとの口調や表情や風貌が定まっていくことが結構多いですね。

━━そのキャラクターのセリフなどは、具体的にどう落とし込んでいくんですか?

平野さん 『空白を満たしなさい』がドラマ化されたとき、主演の柄本佑さんと対談させていただいたんです。そのなかで柄本さんが、「会話の場面は相手の役者さんがどういうふうにセリフを言ってくるかによって自分の反応も変わってくる」とおっしゃっていて。小説もそういうところがあります。この場面ではこういう内容を話させようと事前にある程度設計していても、主人公がこう言ったから相手がこう反応したということがその場のやりとりのなかで出てくることが結構あるんです。

先ほどの分人の話にもつながりますが、1人の人物がだれと話をするかで会話の内容は変わってきます。『空白を満たしなさい』の徹生も、佐伯という人物としゃべっているときと奥さんといるときでは全然違う。その違いを描くと、1人の人物が立体的に浮かび上がってきます。このひとはこの相手の前ではこういう人格になるということを意識しながら会話の場面を書くと、生き生きとした会話になると思います。

とにかく書きたいことを書くべき

━━ありがとうございます。最後に、創作を志している方たちに向けてアドバイスをいただければと思います。

平野さん これから作家になりたいひとは、やっぱり自分はどういうものを書きたいのかというテーマをしっかり持って、書きたいことを書くべきだと思います。僕は作家になったときに、大江健三郎さんに「30歳になるまでは、決して自分の書きたいもの以外は書いてはいけない」と助言をいただいたんです。僕は大江さんを尊敬していたので、それは守ろうと思いましたね。

ある程度書き続けていると選択肢が広がってくるので、次の段階でやるべきことというのも見えてきます。でも最初はとにかく書きたいことですよね。もう絶対それしかないし、それが売れるかどうかということは最初からあまり考えるべきじゃないという気はします。

今日はいろいろお話しさせていただきましたが、僕という1作家が言っていることとして参考程度に心に留めておいていただけるといいかなと思います。ほかの書き方をしている人もいるし、やっぱり小説は我流ですから、自分で合うやり方を見つけていくしかないんです。そのなかでも実践的に僕のなかで役に立ったことはお話しさせていただきましたが、それぞれの考え方で受け止めてもらうといいかなと思いますね。

▼イベントのアーカイブ動画はこちらからご覧いただけます。

登壇者プロフィール

平野啓一郎(小説家)

1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。
著書に、小説『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』等、エッセイに『本の読み方 スロー・リーディングの実践』、『小説の読み方』、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』等がある。最新作は、「自由死」が合法化された近未来の日本を舞台に、最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子が、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする長編小説『本心』。
2019年に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計60万部超のロングセラーとなっている。『空白を満たしなさい』の連続ドラマ化に続き、『ある男』を原作とする映画が2022年11月18日に公開予定。
note: https://note.com/hiranok/

interview by 志村優衣 text by 渡邊敏恵


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