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海を渡る祭禮

 なんで祭は、真夏とか真冬とかそんな極端に暑い寒いという時期にあるのだろうか…。

 そんなわけで、宮崎市内の観光地、青島にある青島神社のお祭りに初めて行ってみた。

 スケジュールを見ると、これが朝から夕刻まである。この暑さの中、一日中は辛いと思い、朝から行くのはやめた。狙うは神輿が海に入るとき。そう考えて車を走らせた。

 駅前の駐車場に車を停めて、そこから音が聞こえる方へ歩いて行く。
 ところどころで、道路が水に濡れているのを見かける。ついさっきまで神輿がそこにいたことを示す。日差しは容赦なく降り注ぐものの、風がある日だったので、なんとか正気を保つことができている。道端で話し込んでいる地元の人たちに神輿はどちらへ向かったかと聞くと、小学校へ行ったと教えてくれた。やれやれ1キロ以上を歩かねばならない。この祭、と言うか神輿を担いで練り歩く祭りの類は、かなり歩くことを覚悟せねばならない。

 神輿に出会って、そこから追いかけて歩く。
 多くの担ぎ手さんから子どもたち、この暑さのなか、元気いっぱい、威勢よく町を練り歩いている。

 うむ、自転車を持ってくるべきであった。

それから中学校へ行き、浜辺へ向かい、そこで小休止。知り合いのカメラマンさんに会う。何度か撮影されているようで、この後の動きなどを教えてもらう。
彼の撮影の動きを見ていると、祭の人たちとコミュニケーションをよく取られている。

さあて、いよいよ神輿が再開、海へと向かう。

浜辺を横切る様子は、なんだか、イランのオムニバス映画、「キシュ島の物語」の「ドア(モフセン マフマルバフ)」に通じる異質感があった。

この感じ。マルズィエ・メシュキニの「私が女になった日」にも通じる「不安になるくらいの明るさ」がある。

海に入る前に神輿を回す。スピードが早くて、うまく合わせられない。先日の太鼓台なんかはもっとゆっくり動くので動かない部分を作れるのだけど、そうはなかなか問屋がおろさない。

いよいよ海に。

神様は神輿にお乗りになって車酔いみたいになってらっしゃらないのだろか…。

 海から上がると神輿は車に乗せられて、今度は青島港の方へ。担ぎ手さんは歩いて移動するもんだと思いきやバスに乗り込み移動。僕は徒歩。太陽にやられながら30分ほどの道のりをおっちら歩くうちに、神輿が船に乗っていくのを音で判断する。その瞬間を撮りたかったのに、間に合わない。

…うむ、自転車で来るべきであった…。

 こう言う催事を撮影するとき、いちばん最初は色々下調べをした方がこんなロスをしないで済む。けれど、こうした失敗とか苦労をするとまた来年撮りに行きたいと思わせてくれるのもたしか。それに下調べしても細かなことがわからなかったり、言っている意味がよく理解できなかったりする。
 百聞不如一見である(かと言って無手で行くことを推奨するわけではないけれど)。
 ただ、暑い暑いと言いながら、そこにずっとついて行って撮った写真は、なんの変哲もないものだとしても、その歩いた分は多少なりともなんらかの意味を持っているとは思いたいものだ。つまりはまず記録することだ。そこからこの祭事をどう見つめてみるか、と言うことが始まるのだと思う。

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