あなたに捧げる物語
チバが得体の知れない朗読の仕事を引き受けたのは、日当五万円だったからだ。仕事が来ない声優にとって五万円は生命線だ。マネージャーを通さない依頼でも。
「ラー、シゥワーズ、シゥワーズ……」チバはあらゆるものを無視して現場入りした。雑居ビル、付き添いの大男、日本語ではない台本。そして彼の前に座る、全身が包帯で包まれた老婦人。仕事と金がなければ環境を選べない。
老婦人は椅子に縛られていた。唸り、足をばたつかせる。
大男は「優しげな声で読み聞かせをしてほしいんです」。
「ルルロッド、アスケントゥス……ジャァラ」チバはいつものように本の世界に入る。程なく、自分が求められているものがわかってきた。昔話だ。日本語でなくても、言葉の入りと音の継ぎ具合から判断できる。
老婦人の包帯が血でにじむ。嘔吐した。
「クセですよ。気にしないでください」
音読は続く。不思議とチバは居心地の良さを覚えている。上の采配、本、自分、オーディエンスを通して声優は実現する。チバは業界に入ったことを後悔していた。しかしいま、この業界で初めて、納得のいく仕事をやれている。気分がいい。この空間は調和が取れている。老婦人は悶えながら仰向き、口を開いた。
「オッチョ、」
「ガダ!」大男が怒鳴った。チバは音読を続けながら眉をひそめる。
朗読をしていると、老婦人は動かなくなった。この昔話はどういう意味を持つのか、チバは考える。これは文章なのか、魔法なのか? 老婦人はなぜ聞かされているのか、どうして大男は自分でやらず、人に朗読させるのか……
大男が「もういいですよ」と言った。「今日は十分です。また明日お願いしますね」大男は封筒を差し出した。チバは中身も見ずに懐へ入れた。
「明日もあるんですか?」
「お伝えしていませんでしたね。しばらくかかります。やってもらえますか?」
チバは老婦人を見た。動かない。チバは言った。
「同じ時間に伺います」
【続く】
(800文字)
Photo by Daniil Silantev on Unsplash
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