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【モータル・アンド・イモータル】プラス・ヴィジョン#6(完結)

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 ゴリ……ゴリ……何かを削る音がする。鬱々とした部屋に音が響く。

「ン……」クロスヘアーが目を覚ます。彼は自分が戦いの最中にあったことを思い出して起き上がろうとするが、立てない。麻痺毒が未だ続いていることに彼は気づいていない。

 そして驚く。足から腰を……腕に至るまでを締め付ける拘束具を見て。その場所がドバシが隠れていた秘匿建物の一つであること、拘束具が備え付けの備品であることにクロスヘアーは気づかない。無線機も武器も全て外されている。彼は舌打ちした。

 そしてクロスヘアーは見た。背を向けてチャブの前に座るドバシ。「おいドバシ=サン、ちょっと説明を、」と言うとゴリリと削る音が途切れた。それはクロスヘアーを見て……久方ぶりにニンジャは、自身が恐怖と無縁であったことを、這い登ってきた感情を見て感じ取った。

 ドバシは削りを終え、何かを口に運んでいた。食っているのは……ニンジャの皮! 横に転がるのはマルチプルだったものの頭部の残骸! 乾いた脳漿! ナ、ナ、ナムアミダブツ! カニバリズムの顕現もまた、古事記に予言されたマッポーの一側面なのか!? コワイ!

「ア……もう目覚めましたか。ニンジャは、やっぱり回復が早いですね」彼は腹が膨れた者特有の余裕綽々な声で立ち上がる。ドバシの眼からは延々と血涙が流れているが、既に涙は黄色く変色しはじめている。イヒヒと理性をなくした声で彼は笑った。

「また麻痺させましょう。あなたの毒は、とても便利だ」ブッダ! 薬物もやじりもドバシの手の中! クロスヘアーは全力で拘束具に抗ったが、麻痺毒の威力は使用した己自身が一番わかっている! カラテを発揮しようにも武器はドバシの手の中だ!

「テメェ……何してるか分かってンのか?」少しでも時間を稼ぐためにクロスヘアーは問いを続行する。彼は口を湿らせた。「ンなことしてもマズイだけだ。それに俺を殺したら、もうアマクダリには入れんぞ。逆にだな、そのマルチプルの首を持っていけば報奨金ももらえる」

 既にクロスヘアーの中でドバシは戦力外だ。狂人を入れる組織ではないし、かえって彼がセプクさせられかねない。ドバシを殺す算段を固めていたクロスヘアーの下腹部にZDOM! 彼の持つやじりが刺突!「グワーッ麻痺毒!」ニンジャは悶える!

「組織に入ったって、体よく壊されてサヨナラですよ。ずっと昔に私は学びました。だからですね、ニンジャに学ぶことにしました。ハリケーンですよ」「モータルが何をほざく……!」「新しい世界が開けるじゃないですかァ」ドバシは笑った。

「それでですねえ、マルチプル=サンは食べることでカラテを高めました。そうですよねえ、非常に明るいボンボリの真ん前はかえって見にくい。だから実践しますよ。最初はあなたからカラテにすることにしました。食べます。これで俺も暴力だ!」

 ドバシの平坦な物言いによってクロスヘアーは恐怖! マルチプルを取り込んだドバシは既に半イモータルとなりかかっており、その形相は喜怒哀楽のどれとも似ていない!「俺も殺すつもりか! ヤメロー! ヤメロー!」このままでは全身麻痺! 形振り構わないクロスヘアーがもがく!

「イヤーッ!」残るやじりをドバシはクロスヘアーの腹に突き立てる! ZDOM!「グワーッ!」視界が混濁するクロスヘアーに映るのは、非人間的様相を帯び始めたドバシの姿。奇妙に膨らんだメンポ、でっぷりと目覚める前よりも太った顎、肥満……そしてイモータル。

「せめて……せめてハイクを……」クロスヘアーは呻いて、生涯初となる懇願をした。ドバシだった者は力のない笑みを浮かべると、今度は眠り薬入りの鏃をニンジャの首に突き刺した。二十時間後、生きながら食され解体されたニンジャは密やかに爆発四散することになる。

 その頃にドバシはもはや人ですらなく、マルチプルとクロスヘアーのニンジャソウル残骸を取り込んだ、モータルでもイモータルでもない名状し難いものに成り果てていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 高架下を歩むエーリアスの足取りは重い。ウシミツ・アワー。以前この場所を通りがかった際の物品は持ち去られて久しい。ここでエーリアスはニンジャに襲われる浮浪者を助けた。名前は、多分ドバシ。後で新聞に出た。今もまだ新聞に出ている。

 彼は実際……どれくらいの人を殺したのか。新聞ではヤクザ殺しも通り魔も、今日まで続いている殺人事件も全て混同してまとめられていた。手口や状況のせいか、あるいはニンジャとモータルの犯罪に違いなどないのだろうか。エーリアスは何度目か分からないため息をついた。

 粘性のフートンもトークンの残滓も、とっくにどこかに消え失せた。豚貯金箱の欠片もない。エーリアスは買ったサケを袋から取り出すと、浮浪者がいた場所に置いた。はなむけだろうか? いかにもそれらしい。あのマルチプルによるインシデントで浮浪者は死んだ。もう他の犠牲者と同じく、ブッダと同じ場所にいる。

 そう考えればつじつまが合う。それでいいじゃないか。(((もうニンポなんて嫌なんだよ……!)))彼の絶叫を思い出す。フジキドの推測では、おそらく用済みになった彼はニンジャに殺されたか、それに近い事態になっただろうという。

 だが、本当にそうなのか。言葉にすれば呆れるほどバカバカしく、そして虚しくもおぞましいものがこの地下に広がっている気がする。だがエーリアスは探偵でも学者でもない。そしてフジキドは浮浪者捜索を打ち切ってニンジャ狩りに戻った。全ては推測だ。

 今夜も重金属酸性雨が降り注ぐネオサイタマの向こう、何かが蠢いた。巨大なボールのようであった。転がりつつ時に跳ねながら、異形化したバレーボールのようなそれはゆっくりとエーリアスに近づいてくる。BOMBOMと音が聞こえる。

 推測だった。行動しなければ、推測で終わったままだったのだ。

「ドーモ、カニバーです」「ドーモ、カニバー=サン、エーリアスです」アイサツを行いながら、エーリアスの中に薄白い靄が通り抜けた。「やっぱアンタだったのか」エーリアスの声色は暗い。「なんでそんなことになっちまったんだ?」

「アー……したかったからですよ、これを」不定形なボールの中から声。球形のプール内に浮かぶ人のイメージ。「暴力とニンジャはおいしいしタノシイで、私は気分が楽なんですいつも。実はニンポじゃないんですね。ジツなんですね。バカでした」イヒヒと余裕綽々の笑い声がする。

 彼の変貌ぶりにエーリアスは言葉を失った。口を開く前に彼が続けた。「もう誰も私を踏みつけにしないんですよ。私が踏みつけにするんですよ! イイじゃないですか。たくさんの死と暴力が世界に満ちている。私はそれらを食べますし、一緒に棒で叩くんですよ!」

「多分、俺が原因だろう」エーリアスは言った。返答ではない。「俺のジツであんたのニューロンをいじったから、あんたはおかしくなった。その前にもニンジャに狙われたり色々あっただろう。あんたの人生無茶苦茶だっただろう。だけど俺のジツのせいだ。絶対そうだ。だから、最後は俺がケリをつけなきゃ」

 エーリアスは決断的にカニバーに歩み寄る。「いいんですかそれで? あなたカラテ弱いでしょ? 私たくさん食べたから強いですよ? 食べてイイんですよね? イヤーッ!」突如としてマリのように跳ね上がるカニバー! 弾力性!「イタダキマス!」

「イヤーッ!」それを横からインターラプト! キックがカニバーの側面に激突し、ボールは跳ね飛ばされる! サケが倒れる!「効果無しか」ニンジャスレイヤーは落ち着いた口調。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、カニバーです」カニバーが遠くで転げまわりながらアイサツする。

「ドーモ、カニバー=サン、ニンジャスレイヤーです。イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはムチめいて腕をしならせスリケン投擲!「イヤーッ!」カニバー内部に小型の穴が開くとやじりが迎撃! クロスヘアーの物らしきボウガンは肉色!「あなたもイタダキマス! カラテになれ!」

「悪食め」ニンジャスレイヤーは吐き捨てカラテ攻撃に挑む!「イヤーッ!」「イヤーッ!」カニバーはボール内から伸びた腕で弾く!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーのヤリめいたサイドキック!「グワーッ!」カニバーは後ろに飛ばされるが効果がない! ミートバリア!

「イタダキマス!」シャウトと同時に突撃するカニバー!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは咄嗟に身を捩るが回避前にボールが軌道変化!中のニンジャが慣性を変化させている! 激突したニンジャスレイヤーの真上にボールがのしかかる! ナムアミダブツ!

「クソッタレ!」ボールが止まった隙をついてエーリアスが突撃してグラップ! 背後からカニバーを鷲掴みにする!「グワーッ!」カニバーは呻くが、肉壁はそれ自体が意思を持ったようにニンジャスレイヤーに絡む! それを防ぐ殺戮者!

(((これが最後だ、もうやめてくれ……!)))エーリアスがニューロン内に潜入! だがどこまでも底は深く……そして、カニバーとは毛色の違うものが混ざっている。ところどころに色違いのフィルムの如く挟まれる他人の声! 記憶!

 アナヤ! これは他者を食ったカニバーならではの混沌空間! 常人では自我が保たず破壊されるエリア! だがニンジャであるエーリアスは潜行を続ける。(((ザッケンナコラーッ!)))どこかで男の怒声が……悲鳴が……打ちひしがれる……落ちる……諦める……果てのない闇……無……トークン……

 これがカニバーの前半部であったことにエーリアスは気づく。彼女がカニバーだったものの脳を破壊する前の出来事。彼を苛み、浮浪者に落とした出来事の全てが……あらゆる事が……(((人の傷を見てタノシイですか?)))憤怒と共にカニバーが出現!

 彼のニューロン内での姿は……ナムアミダブツ、かつてエーリアスが手を掴んだドバシそのものであった。ローカル・コトダマ空間内は人が悪夢に見るジゴクそのものであった。(((全然楽しくないね。それに、今から俺はあんたをここでスレイしなきゃならない。これも楽しくない)))

(((そうかい、なら私はアンタを食うよ)))ドバシの周りにかつてマルチプルとして、そしてクロスヘアーやその他ニンジャとして残った者たちの首が浮かぶ! 高速接近!(((イヤーッ!)))エーリアスのカラテ!(((クソ、こういう所じゃ絶好調だな)))
 
 ニューロン内部のエーリアスの影にニンジャが明滅する。苦痛に歪む首たちをところどころ撃ち落しながらエーリアスが肉薄。鉄パイプを振り下ろすドバシを回避してカラテストレート! 腕が内部へ潜る!(((グワーッ!)))ドバシは……カニバーは叫ぶが、エーリアスを睨む瞳はあくまでも冷たく濁っている。

(((本当に私を殺すのか。命を助けた私を! 哀れな浮浪者を!)))カニバーの声は居丈高に挑みかかる者のそれだ。エーリアスはもはや答えない。カニバーは痛みなどないかのように鼻で笑う。(((情にほだされるかと思ったが、やはりニンジャだな)))

(((俺はな)))エーリアスは自身もまた赫怒に満ちた声で言う。(((俺はもうニンジャだよ。血も涙もないイモータルだ。福祉職員でもボランティアでもない。だからな、手が届く奴だけをな、助けられる奴だけを助けるんだ! あんたはもうねじ曲がりきった……!)))カニバーの空間に怒色が満ちる!

(((何が私をねじ曲げたと思って……!)))(((あんたみたいに落ちぶれても曲がらないでいる奴はたくさんいるさ! 甘ったれんな!)))かつてエーリアスが出会った人々が、ネオサイタマの人々のイメージがカニバー空間に拡散。コトダマ同士がリンクする。カニバーは黙った。

 既に勝敗は決している。直にエーリアスが全ての主導権を得る。ケオス空間が収束する。(((あんたのニンポ、見たことがあるんだ。楽しかったよ)))最後にエーリアスは呟いた。カニバーの顔面に亀裂が走る。(((カエン・ニンポ、もう一度、見たかったな)))(((アンタ……!)))

 ニューロンジャックは成功し、カニバーだった者はニンジャスレイヤーから離れると、ザンシンする殺戮者の前で己の皮膚を剥ぎ始めた。服を脱ぐようにそれにはためらいがなかった。ボール外壁のおぞましい肉色が音を立てて剥がれていき、湯気とともに中身が顕になる。無言。

 やがて何重もの防壁が破られて後、カニバーの本体が姿を表した。溶け残った残骸の如き形にドバシを想起させる材料は何もない。エーリアスのログアウトを確認してから、「イヤーッ!」殺戮者のチョップが残骸の首を跳ね飛ばす!「サヨナラ!」カニバーは爆発四散!

 ニンジャは四散する姿でさえ異常であった。肉が盛り上がったと思うと液状としか言い様のない爆発が起こる。水面に泡が弾けるかの如く、GBOMGBOMGBOM……カニバーに取り込まれたニンジャソウルの残骸が、改めて爆発しているのだ。ニンジャスレイヤーはエーリアスとともに後退する。

 少しして意識を取り戻したエーリアスは、吐き気に辟易しながら起き上がった。倒れたサケを直す。「終わったか」「ああ。終わった」ニンジャスレイヤーはザンシンを解き、その言動は静かだった。「結局、ゼンブ無駄だったな」「……」

「俺が助けた奴は死んだ、関係ない奴も死んだ、大勢巻き込まれた」「……」「ニンジャの世界は……本当に……やり切れないな、ブッダ」エーリアスは溜息をついた。「だがニンジャはスレイした」フジキドはニンジャ装束から探偵装束に着替え始めている。

「私はすべき事をした、オヌシもすべき事をした。行動は終わった。それで良いではないか」上空をバイオカラスが舞い始めた。やがてそれらはカニバーの屍肉を啄むだろう。「そうだな」エーリアスは呟き、考えた。(((だから俺は、助けられる奴だけ助ける……それで、たぶん正しい)))

「今日は思いっきりスシを握りたい気分なんだ。これから作らせてもらってもいいか?」「いいだろう。サケは私が奢る」「じゃあ買い出しはアンタに任せるよ」「銘柄は」……

 やがて二人は高架下から姿を消した。再びサケは風に転び、やがて闇に消えた。高架下には新しい者が住み着き、新しい事を始めるのだろう。

『モータル・アンド・イモータル』プラス・ヴィジョン 終わり

〈後日ニンジャ名鑑を掲載する予定です〉 

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