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『怪対本部 序章 赤手事件』#パルプアドベントカレンダー2019

「これで出来上がりだ。最終的に全ては五芒星に帰結する。だから……あちこちにこれを描いたが、これを作れば晴れて完成なんだ。ついてきてくれてありがとう。正直心細かったんだ。こんなバカをするのは俺だけかと思ってた」

「なるほど。しかし疑問があるが、どうして今日なんだ? 別にクリスマスじゃなくても、仏滅だったり節分の日だって理由になり得る。時期なんていつだって妥当だろう」

「いってなかったか」
 彼は顔をこちらに向けた。真顔だ。
「クリスマスには五種類の悪い出来事が起こる。まず第一に人が死ぬ。俺の両親はクリスマスの午前三時二十五分に酔っ払い運転の軽自動車にふっとばされて死んだ。今日も十五件、人身事故が起きてる。第二に、人が生まれる。知ってるか? クリスマスの日の出生率は三倍を超えるんだ。おかしいだろ。いまはマイナスが当然の時期なのに、この日だけ異様に高い。たぶん俺は、二月に新しくできた記念日――政府が制定した、恋愛の日だかあれだよ――の影響だと思う。この地球温暖化と食糧危機のご時世に人口が増えるなんざろくでもない。第三に価格が暴騰する。普段はケーキを一ピース買えば五千円で済むが、今日に限っては八万円を超える。ありえない。十倍以上だぞ? 外車に乗ってるヤツはどんどんケーキを買い占めて転売してるが、一般家庭でケーキは贅沢と無理の象徴だ。第四、暴動」

「わかった。今日起きたあれだろう。いや、まだやってるのかもな」

「アオモリは俺の故郷なんだ。伝聞によると二百人が市庁舎に立て籠もっているが、荒れるぞ、どこまでも荒れる」

「よくわかった。それで、君はこの五芒星でケリをつけようってハラなんだろう。どこに設置したんだったかな、ヨヨギにアキハバラ――」

「第五にだな」
彼は私の言葉を無視していった。
「裏切りが起きる。それはここで起きている。相手は、お前だ」

 私と彼は血液で描いた五芒星の目の前に立っている。ここはシンバシの近くにある古びた元喫煙所だ。数年前まではタバコの煙で賑わっていたが、禁煙法が制定されてから廃墟になった。

 私は彼の脇腹に肘を食らわせた。とっさに腹をおさえた彼の腕を極める。拳銃を抜くまでもない。苦痛に呻く彼が暴れないうちに手錠を取り出し、ガチリと音を立てて嵌める。

「一つ聞こう。いつから気づいた?」
 私は息を整えて周りを見やる。仲間はいるのかどうか。胸のケータイに触れるが、通知はない。

「最初だ。あんたとすれ違った時、人間じゃない雰囲気を感じたんだ。さっきは冗談半分でいったが、本当はな、あんたは殺し屋か何かだと思っていた。命令で俺を殺しに来た、とな。だけど人と話すのが久しぶりだし、こういうやつに殺されるなら、まあいいかな、って思ったんだ。くそ! 畜生! 警察なのかよ!」

「期待に添えずにすまないな。なあ、オオタワラ。さっき増援を呼んだんだ。君はこれから、殺人未遂、傷害致死、他の罪状で逮捕される。最後にいい残すことはないか?」

「俺はオギーだ! 本名で呼ぶな!」
 オギーは涙ににごる声を隠そうともしない。
「どうして最後までやらせてくれない! あの五芒星に血さえ垂らせば、あれさえ完成すればクリスマスは終わるんだぞ!」

「やはりその五芒星が鍵か」

 私は立ち上がると懐から小型スプレーを取り出す。血で作られた五芒星をデジカメで撮影してから、私はスプレーで五芒星を塗りつぶしていく。オギーの泣き声が大きくなる。

*****

 十一月から十二月にかけてトウキョウでは殺人事件が増加していた。例年の三倍以上である。特に今年に入ってからは自殺・他殺・間接殺人が相次ぎ、波打つように他の犯罪も発生する。あまりにも警察の手が回らないため、ウチの部署へ要請が来た。先月は通り魔が三件発生している。新聞は戦後最悪のクリスマスとはやし立てた。四方八方から無茶な依頼を受けた上司は、笑顔で私に仕事を押し付けてきた。こっちも業務量に押しつぶされそうだが、嫌とはいえない。

 私は二十年この仕事を続けてきた。国は変わった。両親や兄弟は既に亡くなったし、同窓生は何人か行方知れずになった。あるいは海外に逃げたりした。機械は大きく進化し、人間は大きく弱くなった。街を歩けば虚弱体質にしか見えない男女がうろうろしているし、最近はそれが標準になった。空では法律に則って無人機が飛ぶ。

 しかし仕事は変わらない。私にとってそれは救いだった。どんなに過酷な日常でも、過酷な業務でも、最終的な目的は悪人を見つけて裁く。それが日本人でも外国人でも変わらない。悪人はどこまでも悪人であり、私は裁く立場にいるならば、正義の立場だ。独り身で友人はおらず、預金通帳だけが虚しく貯まる。だが仕事は私に多くを与えてくれる。私はその考えに至り、いつも安心する。

 だが今回、捜査としては難易度が高い。おまけに人材不足も相まって一人でしか作業できない。他の仕事の合間に膨大な捜査資料に目を走らせ、実地に向かいもしたが、一週間進展はなかった。上司は笑顔で小言をいう人だ。コーヒーブレイクの際に上司は愚痴をもらし、私の砂糖を持っていってしまった。ブラックコーヒーとともに残された私は仕方なくケータイでネットロアのページを見た。

 そして、あった。

 記事は飛び飛びで、しかもあちこちが削除されている。アメリカや中国、ロシアのポータルサイトを介してようやく見つけた記事もあった。慌ててデスクに戻ってPCで調査する。

 概要はこうだ。

【日本終了】血の五芒星で人が病む【マジで終わるかも】(タイトルだけ検索に引っかかったが、内容は削除されている)
(ロシアの動画サイトに上がっていた日本人が出演する動画。ロシア語の字幕がついている)皆さんこんにちは、おなじみネットギークです!実は昨日、すごい都市伝説発見しちゃったんですよ!それは〈血の五芒星〉というものです。昔の映画を観ていたんですが、血の五芒星によってゾンビを作り出すシーンがあったんですよ。ほら、旧日本軍がどうとかいってた有名な映画です。調べてみました!(ここで動画は終了している)

(韓国のポータルサイト内の動画検索で見つけた動画。投稿者は同じだが、頭に包帯を巻いている。字幕無し)やられました。最近のインコはヤバいっすね。映画の内容をブリティッシュ・モンスター・ジャーナルで検索したら、引っかかったんですよ。で、イギリスの記事を基に五芒星作りました。インコを買ってきてかごを置いて、その周りに五芒星を十個作りました。あ、五芒星は人間の血液じゃないとダメです。違う人のはダメです。同じ人の血液ですよ。私がどうやって作ったかは、秘密にしておきます(笑)ヒントじゃないですけど、赤十字にほんと感謝してます(笑)
 それとこれはマジなんですが、五芒星作った瞬間にインコ入れたかごが真っ赤に染まりました。なんだろうなあ。もうマグマに飲まれた感じというか、信号の赤を一身に浴びた感じでしたね。インコの叫びがすごいの何の。まるで巨人の手に握りつぶされるみたいな声でしたよ。そしたら、インコが叫んでかごに体当たりして、やっすいかごだったんで壊してこっちに飛んできました。頭ズタズタですよ。ほら、これ見てください。これ……(動画はここで途切れている)

(中国ポータルサイト、中国語の掲示板で見つけた記事)
「あの日本人の動画見た? 血の五芒星」
「俺はロシアページから見たわ。ああいうのウチに持ち込んだらヤバいよな。俺ら全滅すっぞ。つーか絶対誰かやっただろ」
「大丈夫。人柱さんがシャンハイで実験したけど、風水が違うから成り立たないんだって。あれは日本とかの島国でしか発生しないって」
「風水(笑)ああでもじいちゃんと旧正月に会ったんだけど「日本はこの数十年で大気の流れが極端に悪くなった。龍脈が詰まって邪気が祓われないせいで魑魅魍魎がたむろしておる」とかいってたな。それも風水と関係あるのかな?」
「お前のじいちゃんすごくない?寺の人なの?たぶん抗日時代でもカンフーで活躍してたな」
「時期違いすぎだし(笑)。そういえば動画だと鳥TUEEEだったけどあの日本人ってどうなったの?鳥で怪我とかアホだろ」
「え、死んだよ?投稿者が逃げてカメラマンも外に出たけどさ、なんかインコが他の鳥襲ったらしいのよ。そしたら襲われたスズメとかカラスとかも凶暴化して突っ込んできて、投稿者の首が折れた。動画撮影してる奴も逃げながら撮影してたけど鳥がメッチャ追いかけてきてる。絶対死んだってアレ。でかいカラスとか白鳥もいたから、死んだけど自動的にサイトにアップロードされたんじゃない?」

 ネットを閉じた。おおよそをメモしてから再び検索した。警察の良いところは、こういう時に合法的に調べられることだ。今度は警察データベースと医療データベースを確認する。該当あり。地方で男性一名が鳥に襲われ、病院で死亡が確認。目につく鳥は殺処分したが、残りは逃げ去った。

 記事は数年前だ。時期としては、十二月。私は再びコーヒーを淹れてから腕組みし、蛍光灯を見上げる。おかしい。一口すする。うまい、が、頭の中の違和感を払拭できない。

 もし〈血の五芒星〉が実在するとしたら、いままで新聞にもテレビにも出なかったのはなぜだ? 新聞をめくればいくらでも殺人事件や暴行のニュースが出てくる。〈血の五芒星〉をいくらでも使えたら、列島は今頃滅んでいるだろう。

 おそらく、何らかの縛りがある。まずは時間。十二月のこのタイミングかもしれないし、夕方や夜でしか使えないのかもしれない。または場所。屋内、屋外。あるいは本当に、つい最近できたのかもしれない。あるいは五芒星というのは見かけだけで、別な法則が働いているのかもしれない。メモをしていたが、紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てた。このままでは仮説の上の仮説だ。まるで出来の良くないホラー映画だ。

 職業柄、グレーゾーンぎりぎりで活動している活動家や探偵は何人か知っている。電話するのもはばかられるほど幼稚な内容だが、聞いて損はない。三人ほどに電話したがハズレ。最後の一人に電話すると、三十分ほど宇宙論と電波論について聞かされた後、ぽろっと口にした。

「そういえば最近、良い電波を受信できるスポットを耳にした。そこを出入りしていると上質なセロトニンが分泌されるとの噂で、デカいネタもそこに転がっている。あちこちに五芒星が描かれているからだ」

「場所は」

「シナガワ」

 私は席を立った。

*****

 電波と脳内物質について詳しい彼だが、情報の信頼性は五分五分だ。しかし馬券を買うと思えば安いものだ。私は指定されたスポットに電車で向かい、シナガワの豪奢なビル群を通り抜けて廃墟立ち並ぶビルへ入っていく。この数年で倒産する企業は増えた。時刻を見ると午後四時をまわっている。今日はクリスマス。街中は浮かれ騒いでいるが、日はひどく短い。仕事をするには暗くなりすぎ、帰るには早すぎる。

 途中で緊急速報が入って私はケータイを見た。アオモリで暴動が起きたらしく、警察側を含めて何人かが死んでいるらしい。最近は半年に一回はこういう事件をみかける。ケータイはオフにするべきかと思ったが、通知が入ったら対応できない。そのままポケットにしまって移動する。

 目的のビルに到着した。廃ビルという名目だが外はきれいに掃除されており、看板もかけられている。念の為に看板の企業を検索したが、数年前に倒産している。暴力団のフロント企業というわけでもなさそうだ。私は入り口に入り、雑居ビルにふさわしい狭苦しい階段をあがっていく。

 降りてくる人がいた。男性だ。すれ違える幅はないので、私は踊り場まで下がった。男性は慣れた足取りで私の横を通り、方向転換して振り向いた。

「何か御用ですか?」
 まるで事務員のような口調だった。

「ええまあ、買い付けに」
 職業柄、知っている振りはかなりうまい。実物もよく見るので、イメージトレーニングはうまくできる。相手は私を凝視した。警戒している顔だが、私は相手の中の狼狽も読み取っている。こっちから切り出した。
「あなたは何かされてるんですか」

「何か、とは?」

「コレですよ」
 私は二本指で挟む仕草をする。今年流行ったドラッグを表すものだが、相手は首を振る。

「来るところ、違いますよ」
 相手はいうと、興味がなさそうに階段を降りていく。このビルに入る前から録音はしてあるので、何かあったら彼を捕まえよう。急ぎ足で私は上へ急ぐ。

 がらんどうの空間が二つ続いた後で、いきなり五芒星が現れた。階段を登ってすぐ、オフィスルームと思しき一室だ。どちらかといえば会議室に近い。残骸や瓦礫らしいものは取り除かれ、きれいに五芒星が描かれている。

 私はしゃがみこんで五芒星の縁をなぞり、においを嗅ぐ。人の血だ。私は迷いなくデジカメを取り出して撮影し、見計らったように人の声が後ろでする。

「やっぱあんた、売人じゃねえな」
 声の主はやはりさっきの男だ。
「何が買い付けだ。嘘じゃねえか」

「この仕組みを買い付けたい」
 私はノータイムで返事をした。
「ちょうどいい殺しのシステムを探してたんだ。これで二、三人消したい相手がいる。リストも出そうか」

 私が振り向くと男は顔に血が登ったように、ふらつきながら近寄ってくる。ピンときた。こいつは自分の血で五芒星を描いたのだ。この症状は貧血特有のそれだ。部屋の隅には――輸血パック。だが十個を越えている。こんな量を一度に抜き出せば間違いなく失血死だ。どういうことだ?

「ふざけてるんじゃねえ」

「ふざけているのは君だ」
 私は言い放つ。こういう相手の場合、とにかく先手必勝が大事だ。
「これは出すところに出せば大金で売れる。どうしてそれを理解しない。君がこれを描いたのか」

「そう……だけどよ」
 男はいった。見た所、ほぼクロだ。この五芒星が何か立証されたわけではないし、このままでは逮捕もできないが、男は確実に何かを企てている。私は警戒を解すように五芒星から離れ、オフィスの壁により掛かる。男もおずおずと近寄ってくる。
「でも、これはそんな高値で売れるものじゃないよ」

「いますぐ欲しいなら二百万ほど出せるが」

「カネなんていらねえ!」
 激高したのは男だ。しまった、地雷を踏んだか。
「俺は殺したいんだよ。殺して殺して殺したいんだよ! カネなんぞあったって役に立たねえ!」

「わかった。すまなかった。少し落ち着こう。私はこういう者だ」
 私は名刺を取り出すと男に渡す。ウチのフロント企業だ。アドリブ力は高い。あとで詳細を連絡しなくては。

「あんた、組の者なのか」
 男がいう。私がうなずき、男は顔をしかめる。
「悪いけど俺は個人でやりたいんだ。それに、あんたらは……荷物まとめて、トウキョウからトンズラしたほうがいい」

「個人的に、あまりそういう言葉遣いは良くないと思う。しかし、理由がありそうだ」
 私はタバコを取り出すと男に勧める。男が受け取ったので、私も同じく吸う。あまりタバコは好きではないが、これくらいの演技はしなくては。紫煙を吐き出してから、男がぽつぽつと語る。

「もう嫌になったんだ」
 男は語る。
「仕事は首になるし、家賃は払えないし、ダチはみんな死んだしなあ……いまは図書館でパソコン見てるのが仕事よ。失業手当は今月で切れる。アオモリに帰れば家があるけど、あそこは本当に寒いんだ。ここなんざ目じゃねえよ。ロシアや北朝鮮より寒い。真冬のアオモリは……地獄だ。地面が凍って外を歩けなくなるし、みんな家にひきこもって介護と内職ばかりしてる。それに車はどこも臭い。国産も外国産も臭くて、鼻が詰まって息ができなくなる。半年も家の中でうじうじうじうじ仕事をするのは、俺には無理だ。それにアオモリのあの暴動。もう終わったんだよ、何もかも」

「それで、血の五芒星か。確認したいんだが、これはなんなんだ? つまらない質問かもしれないが、私も上から調査を命じられただけで、詳しいところはわからないんだ。教えてくれると嬉しい」

「由来はわからないが、ここ数年でできた奴だ」
 彼は五芒星を指差した。その手が青白く見えるが、この場で相当の血を抜いたのは間違いない。
「最初のやつはネットで見た。あの鳥の奴。合成映像だと思ったよ。それが二年前。で、去年だったかな、シンジュクで誰かが斧を振り回した事件があった。あれで犯人は死んだけど、俺が知る限り、あれは犯人が間違って五芒星に足を突っ込んでおかしくなった説が大きい。五芒星の現場を見に行ったんだが、ビルは放火された後だった」

「時期としてはクリスマス。五芒星の意味は……安倍晴明からフリーメイソンまでなんでもあるからな。確認しきれん。あるいは、日の短さとも関係があるのかもしれん」

「かもしれない。でも、使えるのは一年に一回こっきりだ。使用制限があるんだよ。シンジュク事件の後で誰かが生放送しながら五芒星を作ったんだが、何も起こらなかった。だからブームは過ぎた。俺が知る限り、もうみんな別のネットロアに行っちゃったよ。しかもあの五芒星を作るのに、血が大量に必要になる」

「それを五つも六つも作るのか。個人で賄える量じゃないな」

「だから俺は去年から血を保存しておいた」
 男は話すのが楽しくなってきたようで、身振り手振りを加える。
「即効性の冷凍採血パックを使ったんだよ。日本じゃお上が許さないからな、俺は中国から輸入した。おかげでパックで部屋が埋まった」

「察するに、君は殺したい相手がいるように思える。血の五芒星を使って何をしたいんだ?」

「ああまあ、上司」
 彼は素直にいった。
「まあ、酒飲んで運転した俺も悪いんだけどさ……でも、あいつの無茶振りも酷かったんだ。とにかくどうにかして殺したくて、ネット検索してここにたどり着いて」

「話を整理しよう」
 私は再び五芒星に近づき、じっと観察する。かすかに生臭い。男からも血の臭いがするが、足りなくてここで抜いたのだろう。感染症の心配をする性格ではあるまい。
「君は殺人をしたくて五芒星を見つけた。そして五芒星をここに描いた。目的は上司を殺すことか」

「いや……あいつは自殺した」
 彼が答える。計算式でも答えるような調子だった。
「数日前に電車に飛び込んだ。忘年会の帰りだったらしい。クソだよな。俺が図書館で苦しんでいる間、あいつは酒飲んでストレス解消して、死んで逃げ切ったんだ。ずる賢い奴だ」

「なるほど。そうなると、作った計画が宙ぶらりんになるな。それにも関わらず、君はここまでやった。君の会社を……五芒星で囲むのか?」

「いや、対象はトウキョウだ。会社の次に嫌なものが駅なんだ。朝は人まみれ、夜も人まみれ、昼もぐるぐる回ってる。営業車に乗るのが一番気楽だった。会社を追い出されてから免許も取り上げられたから、しばらくは電車に乗っていたよ。人間が嫌になった。あんなに短時間で人の入れ替えをする乗り物は他にない。あんなに人がぐるぐる出入りするものは電車だけだ。人が嫌だし、トウキョウ自体も嫌になった。何回か映画でトウキョウは破滅してるけどさ、実際に破滅したらどうなるのか気になるんだ。ラッシュ時の駅を爆発させようと思うんだ。満員電車がぶっ飛んだらどうなると思う? どれほどの血と肉の雨が降るか、あんた、想像したことあるか?」

「あまりないな。私は自動車通勤なんだ」

「そうか。まあいい。だが殆どの場所にはもう撒いたんだ。実際のところ、早く発動させたい。撒いたには撒いたが、駅員にでも見つかったら事だ。動画撮影のビラは置いておいたが、バカに汚されたらたまったもんじゃない」

 ここで彼を逮捕する選択肢はある。だが、仲間がいないとも限らない。もう少し泳がせるか?
「よくわかった。君の仕事はもう済んだというわけか。確かに我々の組が出る幕はなさそうだ。下手したら我々も死ぬからな。だが、私も手ぶらで帰るわけにはいかない」

「……俺に何かしたら、仲間が黙ってないぞ」
 私はあえて目をそらし、五芒星を見やる。思っていた通りのセリフが出た。とすると単なるブラフだが、看過できない。

「ではこうしよう。私は上にこれを伝えなければいけない。時間が必要だ。何か資料になるものを渡してくれないか。断片的でいい。渡してくれれば納得させられるものを仕上げる。代わりに幾らか渡せる。君もまさか、五芒星と心中したくはあるまい」

「さっきもいったがカネはいらない」
 彼は反芻するように口にした。交渉決裂かな、と私が考えていると、彼は「名刺をもう一枚くれ」といった。

「誰かに渡すのか?」

「違う。あんたの名前が入った奴だ。もうずいぶん、人の名刺なんてもらってない。一枚でいいからくれないか」

「……まあいいだろう」
 私はフロント企業の営業課に入っている自分の名刺を渡す。彼は得難いものを得たような表情になり、急いでそれを胸ポケットにしまうと、こっちに紙片を差し出した。私はそれを撮影し、本部と資料解析部門へと送る。それと、警察官を数十名単位でこちらへ寄越すよう手配する。男のプロフィールは直に送られてくるだろう。

 警察はオカルトを信じない。法律に則って動く。だが目の前の男が大量殺人を目論んでいることは見通せる。この五芒星との関係はギリギリまで調査する必要があるが、まずは身柄を押さえ、五芒星を無力化する。この五芒星は我々が知らないだけで、未知なる爆弾である可能性も高い。だから危険物として抜け目なく処理しよう。相手が単なる頭がおかしい犯罪者なのか、それとも本物の魔法使いなのかは、調査してからわかる。

「それで、五芒星はこれで完成なのか? その割には静かなようだが。演出もないな」
 私は五芒星を見やる。彼は首を振った。

「まだ一箇所足りてない。シンバシの高架下に、誰も立ち入らないエリアがある。前までは喫煙所だったんだが、禁煙法ができてからはホームレスのたまり場になった。そのホームレスも逃げるか死んだかしたようだ。出入り口も封鎖されているから、あそこに五芒星を作りやすい」

「シンプルで良かった。いま、組の者に連絡したよ。彼らはこれから退避するらしい。君はこれからシンバシに行くのか? ついていっても?」

「まあいいだろう。邪魔しないでくれよ」

*****

 シンバシまでは遠く、時間はあまり残されていない。直に帰宅ラッシュが始まる。爆発させるなら急がなければならないが、彼は電車に乗りたがらなかった。渋滞も避けたいので、我々は歩いて駅へと向かう。

 クリスマスの時期、街中は異様なムードに包まれている。ところどころにツリーが乱立し、サンタの格好をするものがあちらこちらでティッシュを配っている。消費者金融、ギャンブルの店が多い。昼間からやっている居酒屋からは叫び声が聞こえた。虚弱体質のような男女がふらふらと行き来し、サンタに群がって無料配布物を奪い取る。

 だが勤め人に季節はない。クリスマスだろうが銃弾の雨が降ろうが、仕事をしなければならない。

 通知は完了している。誰かが私たちを監視しているはずだ。いまの私は、正体不明のテロリストと行動をともにする捜査官だ。最終的に上層部が五芒星をどう扱うかはわからないが、この男は間違いなく逮捕される。供述書を作っている間にクリスマスは終わるだろう。

「なあ、あんた」
男のほうから話しかけてきた。
「名前はあるのか?」

「さっきの名刺を見なかったのか?」

「あんなもん偽名だろう。それに、さっきの階段ですれ違った時からさ、なんか人間じゃない雰囲気がしたぜ。なんでもいいから教えてくれよ」

 私は首を捻った。さっきから男の態度はおかしい。まるで無人島で人間に出会った遭難者だ。まともに対応するべきかどうか。

 まあ、いい。

「コウアだ」

私がいうと男は口元をほころばせた。我々は歩きながらだから、盗聴はしにくい。この時ばかりは、その事実に胸をなでおろす。

「ずいぶんかわいい偽名だな」

「次は君の番だ」
私が急かすと彼はにっこりとした。
「オギーだ。よろしく」

 駅沿いを歩きつつ、彼は手を差し出す。駅からはジングルベルが大音量で流れ、街宣車が街を行く。

 こういう時には最大級の警戒をしなくてはいけない。手は何かを仕込むのに絶好のポイントであり、毒物も仕込み放題だ。触れば指紋も取られる。

 だが私は反射的に握手してしまっていた。

 後悔しながら手を戻した私は、手がほのかに温かいことに気がつく。

 もう日は落ちる。夜になる。

*****

 そしてオギーは私の横に転がっている。既に彼が輸血パックで描いた五芒星はスプレーでめちゃくちゃになり、原型を推し量ることも難しいほどだ。ケータイが振動するので耳に当てると、現場に到着した警察官らが五芒星を発見した報が伝わってくる。

「事件解決か」

 私は後ろのオギーを振り返る。彼には名刺を渡したが、返してもらう必要がある。それにここに警察官が来るまでは間があるので、きちんと彼を拘束し続けないといけない。

「ついでに尋ねようか。先週まで多発していた殺人事件。あれは君の犯行か? 五芒星の予備動作として実験したのか?」

「俺じゃない」
 オギーは泣き顔だが声は落ち着いている。
「あれに俺は関わっていない」

「君にはミランダルールが適用される。黙秘しても構わない。だがここで嘘をつくのは悪い選択肢だと思う」

「本当だ。俺は図書館に行くのと血を抜く以外、何もしていない。あとはコンビニで飯を買うだけだ」

「だから大量殺人には関係がないと? アオモリでの暴動に君は無関係だと?」

「そうだ。多分俺は、総仕上げなんだ」
 オギーの表情が無になった。能面のように色が剥げ落ちる。何人か本物の犯罪者は見たが、こういう顔をしている。
「新聞はよく見るよ。トウキョウだけじゃなく、全国各地で人が死にまくってる。今日の暴動。そして俺の五芒星。これはな、楽曲のクライマックスだ。バイオリン。ビオラ。ピアノ。そして俺がシンバルだ。最後の大爆発が起きて、ようやく静かになる。終末なんだよ」

「これが中二病か」
 私は嘆息した。なおもオギーは喚こうとして立ち上がりかける。足を蹴って転がす。
「そういう悪あがきは良くないぞ」

「これは試練だ。俺がやりとげられるのか試されている。あんたは五種類目の悪い事で、最後の試練だ。克服するために天はあんたを遣わした。俺がやり抜けるようにだ!」

 オギーが叫び、バランスを崩しながら起き上がった。彼の顔面が赤黒く膨れ上がった――ように見えた。一瞬、私は彼が破裂したと本気で思った。だが彼は破裂したのではなく、口から血を吹き出したのだ。長く尾を引いた血液は斜め上へ飛び、喫煙所にはつきもののプラスチック張りの天井をビタビタと張り付いた。彼が何かを強く吐き出し、肉片が床に転がった。

 天井には薄く五芒星が塗られてあった。

「濃さが足りなかったんだ。予備だよ」

 オギーはふっと笑んだ。勝ったという表情をしていた。さっきまでのスプレーが天井には届かないことも、彼は知っている。

「俺は勝った! 全ての難題を突破して、とうとう――」

 視界に赤い虹がかかったように思ったが、それは薄い天井を通して見える窓が、種々雑多な赤に彩られたからだ。夕焼けとは一線を画す、暗く重い赤だ。何かに何かが塗りつぶされたキャンバスを最初に思い起こした。

 それはここの空を中心として、おそらく全方位に広がりつつあった。

「へは」とオギーが笑った。勝ち誇っていた。

 赤く染まった空からあちこちへと何かが伸びていく。白銀のクリスマスではない、紅色のクリスマスだ。だがこれを見てサンタを連想するものはいない。あちこちから薄く悲鳴が聞こえはじめて、ポケットのケータイが凄まじい勢いで震えだす。限りなく死に近い生きた何かが、空を覆っている。そしてそれは下にあるものすべてに手を伸ばしている。

 間違いない。巨人の手だ。

 無論、それはこちらにも降りてくる。寝転んだオギーと私めがけて、巨大な手――赤くも黒くもある手のひら――が、徐々にゆっくり、落ちてくる。その手が何をするかは明白でなかったが、知りたくはない。その手はトウキョウだけでなく、やがてアオモリにも降りていくのかもしれない。あのインコも手に捕まったのかもしれないし、去年のシンジュクでは、犯人めがけてあの手が降りたのかもしれない。

 だがとにかく、その手に捕まれば終わる。私の人生も、二十年の仕事も、日本も。

 私は拳銃を抜いた。私の地位でこれを持つのは法律違反だが、何度かこれに助けられている。私は天井めがけて拳銃を向けた。

 右手で拳銃を構え、左手を銃口の先に添えて。

 オギーが胡乱な目を私に向けた。

 構わずに射撃する。一発。手のひら真ん中に大穴が開き、天井にも一発穴が穿たれる――だが壊せるほど威力は高くない――手のひらを貫通して吹き飛んだ私の血は、五芒星のちょうど真ん中へと着地した。ビシャビシャと汚れるが、五芒星は終わらない。

 急激に吐き気が襲ってきた。胃袋にストレートをぶち込まれた感覚で呻き、膝が震えだす。ここに誰もいなかったら、間違いなく嘔吐していた。

「何をしている」
 オギーがいった。

「この国を救ってるんだ」
 私はいった。

 痛みがここまで強いとは知らなかった。手を下げたい。開いた穴から骨と関節が見えて、失神していないのが不思議なほどだった。脂汗、冷や汗が全身を伝って、胃袋は跳ね回っている。こんなに痛いなら手に捕まる前に自殺したほうがマシだったかもしれない。だが、人命を救う仕事をしているのだ。そしてこれをしなければ、完遂できない。やらねば。

 わずかに手の位置をズラして、もう一発撃った。穴が増えたといいたいが、実際には手が丸ごと吹っ飛び、指や関節がなくなった。血は飛んだかもしれない。が、最終的には肉片が助けてくれた。嘔吐感で脳が破裂しそうになる中、吹き飛んだ手の組織にこびりついた血液は、天井の五芒星へと張り付き、五芒星をわずかに他人の体液で汚した。

 途端に空の紅が消えた。暗く淀んだ雲の下、虹はもはやなく、あの巨人の手が消え失せる。そして私の左手は、木っ端微塵だ。

 警察官らが雪崩込んできたのが濁る私の目に見えた。とうとう私は膝をついた。オギーは怒りとも狂いともつかない声で叫び、立ち上がろうとするので銃を向けた。だが彼を射殺することは考えつかなかったし、思いついた時には私の手から拳銃は叩き落されていた。私の前にいる警察官が、私の手を見て顔を青くする。連行されていくオギーが叫ぶ。私は身も蓋もなく警察官に向かって倒れこみ、どうか左手が戻りますようにと祈りながら失神した。

*****

「それで、晴れて昇進した感想はどうだ」

「あまり良くないよ。左手はもう戻らない。完全に義肢だよ。退職はしないで済みそうだが、肩身は狭くなりそうだ」

「ふん、ご立派にハンディキャッパーのつもりか? 最近の義肢はかなり性能がいい。現場用の作業スーツも知らないようだな」

 病室の中はエアコンが効いているが寒々しい。完全な個人部屋だ。初めて警察病院に入るが、居心地は悪くない。包帯まみれの左手を見られなくて済む。だが、あの事件の後で意識を失っていた私は、結果的に一週間近く眠っていた。緊急手術が終わって一般の病室に移された頃には、もう大晦日だった。

 まあ、電話できるのだから結果オーライだ。右手は残った。

 相手はくだんの電波情報屋で、シナガワの五芒星を教えてくれた人物だ。誰かと会話したかったが、他に電話できる人物が思いつかなかった。

「ところで、君はあの手を見たのか? 君がいっていたくだんの五芒星が顕現したんだよ。なんというか、自分がおかしくなったと思った」

「安心しろ。俺も見た。良質な電波を採りにオクタマに向かっている途中で出くわした。あの赤手だな。山の上から俺に向かって伸びてきた。お天気番組のカメラにも映ってるからな、連日のニュースでもやってるぞ」

「まだ頭がふらふらするから、テレビはつけたくない。だがそうなると、血の五芒星は晴れて危険物に昇格だな」

「今後はドラッグ扱いにして正式に捜査の対象になる。オギーも無期懲役は固い。あの日はどこもパニックだった。多分総理大臣も在日米軍も目撃しただろうな」

「国を救えて何よりだよ。じゃあ、そろそろ寝るか」

「おや、自分のことなのにまだ聞いてないのか」

「昇進のことか? 寝てる間に起きた事なんて知らないぞ」

「違う。室付きのことだよ。あんた、チーフになるぞ」

「はっ」

 思わず変な声が出てしまった。

「どういうことだ」

「あんたはクリスマスに色々やってくれたが、殺人事件の件数は減っちゃいない。自殺、犯罪も変わらず。昨日もまた飛び込みは起きている。で、お上はあの巨大な手を目撃した。みんな見たからな。お上も自分が死にそうになって、ようやく血の五芒星を認めたってわけだ。お上は憂慮した。犯罪は多く、社会不安は絶えない。その上あんな鬼みたいな奴が出てきた。ってことは、他にもああいう怪奇現象は実在するんじゃないか? あるいは、それのせいで日本は危機に陥ってるんじゃないか?」

「おい、オカルトと社会問題をすり替えて――」

 部屋がノックされて私は飛び上がった。話の途中だがケータイを切って布団にしまい、「どうぞ」という。

 ドアから顔を出したのは上司だ。いつもの笑顔で部屋に入ってきて、久しぶりの脂汗が出てくる。

「忙しい年末に申し訳ありませんでした」
 私は先んじていう。

「こっちこそ、君に無理をさせた」
上司は私の手を見て初めて真顔になった。
「大怪我をさせた。本当にすまない」

 このまま左手の話題で押し切る積りだったが、上司は先んじて分厚い封筒を差し出した。

「良ければこれを見てほしい。ああ、僕が開封しようか」

「あまり拒否権はなさそうですが」

「そんなことはない。だがもし受けてくれた場合、良い義肢を用意しよう。他にも特典は多い」

 通達名〈怪奇対策室設立による怪奇対策室長への任命〉。公真幸久(こうま ゆきひさ)――私の本名まで入っている。

「上はね、先の事件を真剣に受け止めることにした。街中にはびこるネットロアやオカルトから本物の犯罪を探し出し、先んじて芽を摘むのが仕事だ。もちろん一番上は、先の事件で活躍した君だ。これによって君には予算、部屋、権限が与えられる。略して怪対」

「略称などあまり聞きたくないんですが……」

「何事もフレーズは大事だからね。で、受けてくれるかい?」

 上司はいつもの笑顔で私に尋ねる。私はどおっと大きなため息をつく。

 それから一息に書類にサインした。

《終わり》


あとがき:飛び入りで参加しました、復路鵜と申します。「参加しようかな……どうしようかな……」とおろおろしていたら、一瞬で参加枠が埋まっていました。すごい。
飛び入り参加すべく大急ぎで作ったのが怪対本部です。30kbあるけど……短編ですよね!
トウキョウの人命が守られてほっとしています。また、短編としても読めるように思います!
よいクリスマスをお過ごしください!

https://note.com/tate_ala_arc/n/ne7eee6bbd080

photo by Katie Barrett on Unsplash


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