『モンテーニュ逍遙』第4章
第四章 《死を学びえたる者は完全な自由を得る》 ──乱世の思想家と生死の問題──
(pp.125-155)
「死を学びえた者は奴隷であることを忘れたのである」「死を学びえたる者は完全な自由を得る」… 原文: Qui a apris à mourir, il a desapris à servir. (Qui a appris à mourir, il a désappris à servir.)
127頁〜139頁で、生死の問題を主なテーマに、モンテーニュの思想に近しい表現を抜粋・列挙しながら、老子・荘子との比較を試みている。『荘子』から21箇所、『老子』から1箇所。
(本章から)
死は彼においてもはや観念ではなく、具体的な体験であった。(p.125)
モンテーニュが落馬して瀕死に陥った体験も参照。『随想録』「鍛錬について」(II・6・454-460)。
* 『老子』『荘子』から引用されたもののうち、現代語訳になっていないものを抜粋。
《人ノ知ル所ヲ計ルニ、ソノ知ラザル所ニ若カズ。》(p.127)
『荘子 外篇』「秋水篇第十七」からの引用。
「人間の既知のことは、未知のことの多さに及びもつかない」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
《大道廃レテ仁義アリ。慧知出デテ大偽アリ。六親和セズシテ孝子アリ。国家昏乱シテ忠臣アリ。》(p.128)
『老子』「第十八章」からの引用。
「大いなる道が失われると、愛と正義の道徳が強調せられ、さかしらの知恵が発達すると、人為の掟が盛んに作られる。家のなかが揉めてくると、親子の道徳が喧しくいわれ、国の秩序が乱れてくると、忠臣の存在が騒ぎたてられる。」福永光司訳(ちくま学芸文庫)
《其ノ奈何トモスベカラザルヲ知リテ之ニ安ンジ命ニ若ウハ徳ノ至リナリ。》(p.133)
『荘子 内篇』「人間世篇第四」からの引用。
「(そして自分の心に忠実であるには、目前の哀楽に心を動かされず、)人の能力の限界をよく見きわめて、それを運命として受け入れていくこと、これが最上の徳というものです。」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
《天地ハ我ト並ビ生ジ万物ハ我ト一タリ。》(p.133)
『荘子 内篇』「斉物論篇第二」からの引用。
「かくて天地は私とともにながらえ、万物は私と一つの存在となる。」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
《之ヲ為ス莫クシテ常ニ自然ナリ。》(p.134)
『荘子 外篇』「繕性篇第十六」からの引用。
「(太古の人は混沌をきわめた境地にあって、世の人すべてとともに安らかな無為の生活を得ていた。こうした時代にあっては…)何一つ人為の手は加えられず、常に自然そのままの状態であった。」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
《無為二シテコレヲ為ス。コレヲ天〔=自然〕トイウ。》(p.134)
『荘子 外篇』「天地篇第十二」からの引用。
「人為を加えずに行なうこと、それを天という。」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
《無為二シテ朴〔=自然〕ニ復ス。》(p.134)
『荘子 外篇』「天地篇第十二」からの引用。
「純粋な心を擁して生地のままの境地に参入し、人為を去って生まれたままの状態に回帰する」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
《一ニ返リ迹無シ。》(p.134)
『荘子 外篇』「繕性篇第十六」からの引用。
「(もし時の巡りあわせに恵まれていたら、)至上の道に回帰して、作為の跡さえもとどめなかっただろう。」福永光司・興膳宏訳(ちくま学芸文庫)
***
第一巻第二十章、〈哲学するとはいかに死すべきかを学ぶことである〉という表題の意味を考えてみると、〈哲学する (philosopher)〉というのは、万物斉同とか生者必滅とかいう〈理〉(すなわち〈自然の一般的習慣〉)を悟ることであり、それを悟ってしまえば、我々は何ものにも脅かされない絶対的自由の境地に立ち、アタラクシアを得ることができるのだということになる。(p.142)
モンテーニュは人間全体に共通する在り様を、人間ひとりひとりの裡に見出す。《各人はそれぞれのうちに完全に人間性の心髄を蔵している》(III・2・935) のだから、そのひとりひとりは、外見上いかに平凡普通で、みすぼらしく取るに足らぬものに見えても、その究極においては、世界が例外的な価値を賦与するものと少しも変わりなく、それぞれがすばらしい存在なのであって、それは我々人間の日常生活にの中に常に見られる平凡普通な事実なのである。(p.147)
〈ユメーヌ・コンディション〉(humaine condition) … 人間の本性、人間としての分際。本書事項索引参照。
先考関根正直旧蔵本による。(p.155)
関根正直 1860-1932 ... 「国文学者。江戸日本橋生れ。東京女高師教授。考証故実に精通。著「装束甲冑図解」「宮殿調度図解」「公事根源釈義」など。」(広辞苑 第六版)関根秀雄の父。
関根秀雄著『新版 モンテーニュ逍遙』(国書刊行会)
関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)
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