2000年代半ばの高校生が語る小説論
10数年前の自分が語る○○論、勝手に第2弾。
↑前回はブログについて
前回同様、自分が高校時代に書いた日記を転載していく。
人によっては不快な表現が混じっているかもしれませんが、あえてそのまま残します。
なんか、また吠えてますね。
まず、ケータイ小説って若い方はどこまでご存知ですかね?
自分も読んだことはないのでうまく説明できませんが……
10数年前、パステルカラーの本がたくさん売ってあったんです。文字が横書きで、インクの色も黒でなく赤や青だったりして。
で、大体「『魔法のiらんど』で好評!」みたいなオビがついていたりして。
これが女子中高生にバカウケだったんですよ。
引き合いに出されたセカチューこと「世界の中心で、愛をさけぶ」も、知らない世代も増えているのでしょうかね。
こちらはケータイ小説ではありませんが。
日本の若者が何を言ってるんだかw
前回も思ったけれど、まだ高校生なのに、思考が若者の流行を否定するおっさんで悲しい。
読んだこともないものを否定するなよ。
別の日の日記では
などと言う。
ある芸人が執筆した小説が話題になったときも、タレントが本を出版することに対する憂いをひたすら書きなぐっていた。
だの、
だの。
一見めちゃくちゃだなと思ったけど、噛み砕くと、「プロ」としてお金をもらっていることが許せないのかな。
初めの日記でも「どこの誰だか知らんバカが『小説家』になって」いることを憂いていたし。
たぶん小説家は小説家らしく、博識のある方々であってほしかったのだろう。
あれから10数年。当時存在しなかった職業もたくさん増えた。
デザイナー、ライター、ユーチューバー、ブロガー……
名乗れば何にでもなれる。
ここのプラットフォームでこぞって使用されている、クリエイターという言葉も曖昧だ。
(マルチメディアクリエイターって何すか?)
ある意味、言ったもん勝ち。
プロとアマの線引きも不明確で、ネット上には玉石混交の創作物が入り交じる。
そういう混沌とした世界になっていくことを恐れていたのかもしれない。
そして、イチ個人の作品が人の目に触れる確率は上がったが、忘れ去られる速度もいまだかつてないスピードになった。
流行ったものに飛びついて「泣ける」「泣いた」の大合唱で消費されてゆく。
意外な作品が突然大ブレイクする現象は、今に始まったことではない。
小説ではないが、かつてサラダ記念日が大ヒットして社会現象になったと聞く。
サラダ記念日はご存知のとおり、30数年経った今でも読まれ続け、愛されている。
今はどうだろうか。
無数の無名の人により産みだされる、おびただしい数の作品。
30年後にも残るものは一体いくつあるのだろうか。
混沌とした世界で、そんなことを思うのであった。
本日のおまけ
当時は芸人本、忌み嫌ってたな~
そんなに嫌いなさんな。
その10年近く後に、芥川賞取っちゃう芸人さんもいるんだから。
と、過去の自分に言ってやりたい。