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2000年代半ばの高校生が語る小説論

10数年前の自分が語る○○論、勝手に第2弾。

↑前回はブログについて


前回同様、自分が高校時代に書いた日記を転載していく。
人によっては不快な表現が混じっているかもしれませんが、あえてそのまま残します。

俺はケータイ小説ってやつが宇宙一嫌いなんだよ。
あんなもん小説と名乗る資格ねえよ!!
セカチューの二番煎じみたいな話を、幼稚な文書で書いて、身の程をわきまえず「小説」と称して発表してんだぜ?
自分の恋愛を脚色したり、妄想を交えたりもしているだろうから、ブログよりタチが悪い。
それで印税なんかも貰ってるんだろうと思うとゲロが出る。
どこの誰だか知らんバカが「小説家」になってんだぞ!?
お前らそのことについて何も感じないのか!?

2000年代半ばの日記

なんか、また吠えてますね。

まず、ケータイ小説って若い方はどこまでご存知ですかね?
自分も読んだことはないのでうまく説明できませんが……

10数年前、パステルカラーの本がたくさん売ってあったんです。文字が横書きで、インクの色も黒でなく赤や青だったりして。
で、大体「『魔法のiらんど』で好評!」みたいなオビがついていたりして。
これが女子中高生にバカウケだったんですよ。


引き合いに出されたセカチューこと「世界の中心で、愛をさけぶ」も、知らない世代も増えているのでしょうかね。
こちらはケータイ小説ではありませんが。


何も感じないでドシロウト丸出しの文を一所懸命読んでる奴もキライじゃ。
何より悲しいのは、横書きですっきりした文字じゃないと文も読めないくらい日本の若者は堕落したのかということだよ……もう…

2000年代半ばの日記の続き

日本の若者が何を言ってるんだかw

前回も思ったけれど、まだ高校生なのに、思考が若者の流行を否定するおっさんで悲しい。
読んだこともないものを否定するなよ。


別の日の日記では

恋人の病気とか、当事者にとっては笑えないエピソードにいとも簡単に「共感」して涙を流すバカと、こういうこと書いとけばとりあえずみんな泣くだろと考えて「小説」を書くバカ。
文の上手下手どうこうより、人間性の問題かもしれませんね。 

などと言う。



ある芸人が執筆した小説が話題になったときも、タレントが本を出版することに対する憂いをひたすら書きなぐっていた。

芸人だったら純粋な芸だけで食っていけよ!

だの、

それだけ日本の文学が危なくなってきてるってことですよ。

だの。

一見めちゃくちゃだなと思ったけど、噛み砕くと、「プロ」としてお金をもらっていることが許せないのかな。

初めの日記でも「どこの誰だか知らんバカが『小説家』になって」いることを憂いていたし。

たぶん小説家は小説家らしく、博識のある方々であってほしかったのだろう。



あれから10数年。当時存在しなかった職業もたくさん増えた。

デザイナー、ライター、ユーチューバー、ブロガー……
名乗れば何にでもなれる。
ここのプラットフォームでこぞって使用されている、クリエイターという言葉も曖昧だ。

(マルチメディアクリエイターって何すか?)

ある意味、言ったもん勝ち。

プロとアマの線引きも不明確で、ネット上には玉石混交の創作物が入り交じる。

そういう混沌とした世界になっていくことを恐れていたのかもしれない。



そして、イチ個人の作品が人の目に触れる確率は上がったが、忘れ去られる速度もいまだかつてないスピードになった。

流行ったものに飛びついて「泣ける」「泣いた」の大合唱で消費されてゆく。



意外な作品が突然大ブレイクする現象は、今に始まったことではない。
小説ではないが、かつてサラダ記念日が大ヒットして社会現象になったと聞く。

サラダ記念日はご存知のとおり、30数年経った今でも読まれ続け、愛されている。

今はどうだろうか。

無数の無名の人により産みだされる、おびただしい数の作品。
30年後にも残るものは一体いくつあるのだろうか。


混沌とした世界で、そんなことを思うのであった。




本日のおまけ

当時は芸人本、忌み嫌ってたな~

そんなに嫌いなさんな。
その10年近く後に、芥川賞取っちゃう芸人さんもいるんだから。

と、過去の自分に言ってやりたい。


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