見出し画像

「家事・育児をしたい」と主張する夫が不要な妻もいる

今回は、私の過去の離婚の経緯について少しだけ詳しく書こうと思います。6年も前に別れた相手ですが、今回は「妻」と表記します。また、会話は和訳しておりますので、やや不自然な文章になる事をご承知おき下さい。

最初に結論から申し上げますと、タイトル通りで私が家の事…特に育児に積極的すぎる姿勢を妻は疑問視しておりました。同時に私も、そんな妻の求める姿勢に合わせる事に抵抗があり、最終的に離婚したという話です。

妻と私

まず結婚直前の時点で、妻と私がどんな人物であったかを説明しますと

妻(20代半ば):Twitterで言うところの、実家の太いバリキャリお嬢様。フランス人。台湾の大学とイギリスの芸大を出てデザイナーに。エリート意識が高く、頭の回転も判断も何でも早い。見た目が良いだけ・金があるだけ・学歴が立派なだけ…という人間を低く評価し、芸術や哲学への教養のある人間を高く評価する基準の持ち主。
私(20代半ば):Twitterで言うところの、グローバル人材(笑)。日本生まれ日本育ちだが、フランス/スイス国籍。ドイツの大学を出てコンサルになった後、イギリスの大学院を経て金融機関へ就職。学業や仕事における既存の評価システムと相性が良く、好成績を残せるため卒業も出世も早い。

という感じで、まあ…その…ちょっとイケ好かないカップルでしたね…。

シンガポール時代

この頃から、世帯年収は日本円に換算すると4千万円を超えており(2人とも2千万円以上)、日本の基準で言えば、そこそこのパワーカップルでした。しかしシンガポールという国や私の業種を考慮すれば、相対評価ではさほど裕福でもありません。

それでもシンガポールというお国柄、メイドを雇うという事は一般的であり、我々もメイドを雇用して家事の殆どを委託していました。

妻は生粋のお嬢様なので、元々実家にはお手伝いさんや料理を作る人がいます。私は、大変家柄の良い華族家系が親族におり、その家で8年間を過ごしました。やはりその家にもお手伝いさんがいました。

「家事はお金を払って、第3者(家政婦)にやって貰えば済む行為である」

「自分達はその家事から解放された時間を有意義に過ごすべきである」

という感覚は、妻にも私にも共通でありました。子供がいないDINKs時代からです。

ロンドン時代

シンガポール支店からロンドンの本部へ栄転、若くして役職も与えられてお給料も増えました。妻は出産し、一児の母となりました。私の個人的な価値観ですが、『家族が増える事は、自分という存在の優先順位が下がる事』だと考えています。妻と結婚した以上、世界で最も大切な存在は妻であり、自身は2番目になるのです。子供が生まれた時点で、私は(自分の中では)3番目に回ってきたと捉えていました。子供が1番で、妻が2番、自分の命はその次になるんだ…と。

実際に子供が生まれると、妻と私とで初めて見解の相違が生じました。私は「育児は可能な限り実の親がしたい」と考えていました。一方、妻は

「育児はお金を払って、第3者(ナニー)にやって貰えば済む行為である」

と、家事を家政婦に代行させる時と全く同じ考えだったのです。それは当然の話で、妻も私も、最初の1〜2年は実の母親ではなく第3者に育てられたのですから「自分達が育てられたのと同じ様に育てようとしているだけ」に過ぎません。寧ろ、自分だってナニーに育てられているのに、違う手段をとろうとしている私の方がイレギュラーであることは自覚しています。

家事は良くて育児はダメなのか論争

まず、私はナニーに委託する事に全面的に反対していたわけではありません。むしろ委託を前提としていた点では、妻と同じです。問題は「どこまでをお願いし、どこまでを自分達でやるのか?」という比率なんです。一部の時間帯や、特定の作業に関してはお願いするものの、あくまでメインは自分達ですべき(ナニーと自分達が4:6〜3:7程度)、という考えでした。

一方で妻は、子供が2歳になるまで自分達で育児をする必要は無いナニーと自分達が(10:0)という考えです。妻の主張は

・夜泣きで起こされる等、不規則な生活は自分達の生産性低下に繋がる
・この時期の子供は、誰が面倒をみようと判別できないし記憶に残らない
・家事と同じく、委託して自分達の時間を有意義に過ごすべきではないか
・子育てが初の自分達がやるより、経験豊富なプロに任せる方が寧ろ子の為
・そもそも自分(妻)も貴方(私)も、そうやってナニーに育てられた

大きく分けるとこんなところでしょうか。一方私の「可能な限り自分達でやるべき」論は私の個人的な望みに過ぎません。私は、こう提案しました。

「もちろん君がやりたくないのであれば、それで良い。ただ僕はやりたいから、僕にはやらせてほしい。仕事だって数年間辞めても構わない。」

と。真面目に。しかしこれには妻から猛反発を受けました

「随分と高給取りな家政婦ね。自分の価値がいくらか分かっている人間の発言とは思えない。自分が本来稼げる収入と、築けるキャリアを捨ててまでする事が、時給いくらの人間にもやれる事ですって?頭でも打ったの?」

こう返されてしまったのです。

理想の父親像だと思っていた

私が妻と同じくナニーに育てられた人間にもかかわらず、自身はナニーを控えようとしたのには2つ理由があります。

・1つ目
日本に限らず「家事をやってくれない」「子供は放ったらかし」という夫は世界中にいます。『何だかんだ言ったって、今はもう21世紀だし、上の階級の人間であろうと家事や育児の出来る男性は魅力的だろう』と考えていました。妻以外にも付き合ったヨーロッパ人は何人がいますが、基本的に家事・育児はウケが良かったので。家事や育児を「下々のやる行為だ」と見下すのは、2010年代には時代錯誤な感覚・概念だと思ったのです。

・2つ目
『私が物心がついた後も親族の家に預けられて育ち、実の親に育てられなかったから』という個人の体験を引き摺っていたからです。妻は実の家族と過ごしている時間がとても長く、第3者に育てられたのは最初の数年だけです。しかし私の場合は、最初からずっと第3者に育てられてきました。月並みな表現ですが、家族の愛や絆というものを知らずに育った反動でしょうね。「自分は家族を大切にしたい」というエゴがあったんです。そもそも、生まれてきた子供の顔を見たら可愛くて仕方なかったんです。先述の通り私も妻と同じで「基本はナニー任せで構わない」と考えていましたが、いざ抱いて見ると、その小さな手と軽い体、どこから出るの?という大きな声。「可愛いしもっと触れ合いたいなあ」という感情が勝ってしまいました。

その後、諸々の説得と相談の結果『ナニーは勿論雇う。僕は仕事もする。帰宅後は育児に関わっても良い。しかし妻は基本的には手出ししない』という方針で固まりました。この兼ね合いで転職してパリへ引っ越す事に。妻の仕事は時々オフィスや出張がある程度で基本は在宅が可能なので、フランスへ帰る事には反対どころか賛成でした。イギリスに住んでいたのは、完全に私の仕事の都合なので。

パリ時代

フランスでの生活は序盤は充実していました。私は念願叶って、家政婦さんやナニーがいない時は家事や育児を満喫していました。これは少数派らしいのですが、そもそも私は炊事・洗濯・掃除といった家事が大好きなのです。掃除や洗濯をして床や衣類が綺麗になると、私の心も洗われたようでスッキリとした気持ちになれます。料理も、自分の好きな材料を好きに組み合わせ、好きな味付けで好きなだけ食べられる。お酒が大好きで食べる事も大好きな私にとっては楽しい作業です。

妻のプライドと我慢の限界

私は充実した日々を送っていると感じていました。しかし、妻にとっては説得されて妥協した形ですから、面白くない事は多々あります。私に驕りがありました。妻は先述の通り、かなりハッキリと物を言うタイプです。これまでも、至らない部分や不満があれば容赦無く言ってきました。そもそも夫婦の力関係で言うと、完全に妻>私なのです。妻は私より2歳年上で、かつ妻の実家の財力でシンガポールの高級コンドを買う等、私は婿の立場。パリでの生活も、彼女が何も言わない=問題ないとタカを括っていたのです。

ある日、妻に「別れたい」と言われてビックリしました。(私にとっては)前触れもなく突然言われた事だったので、「何か誤解があるんじゃないか?」と真っ先に思ったほどです。しかし、妻の中では積もり積もった結果です。

尊敬していた姿が今はもう無い

妻の言い分は、以下の通りでした。上げてから落とすので、最初は私の自慢話の様になってしまいますが…

「私は貴方の事を本当に尊敬していた。アジア出身の黄色人種として白人社会で生きる事は、理不尽も多く、現地民よりもずっと厳しい立場にあると私は理解している。にもかかわらず、貴方は現地人と肩を並べるどころか、現地のエリート達を差し置いて、名門校の奨学金や入学権を手に入れ、大企業の上司となり、彼等を部下として従える立場になった。その強い上昇志向と高い能力に、一人の人間として憧れてすらいる。異性として見た時には、背も低いし顔も格好いいわけではないし、イマイチだけど。それでも礼儀正しく、お年寄りや子供に親切で、テーブルマナーといった所作に品があり、芸術に造詣が深く、どんな場所で一緒でも恥ずかしい思いをしない。貴方がパートナーである事は、私の誇りでもあった。お世辞じゃなくて、全て本当だった」と。

妻の口から出てくる肯定的な言葉に気恥ずかしくなりましたが、この時妻は泣きながらそれを話していたので、どんな顔をすればいいのか分かりませんでした。

「けれど、今はもう尊敬していた姿が消えてしまった。少なくとも私の目にはそう映る。順調に昇進していた仕事をアッサリとやめた。自分の為ではなく、他の誰かの為に。それは優しさではなく、弱さや甘さだと思う。なぜ家事や育児を楽しそうにしているのかも、全然理解が出来ない。貴方はもう、自分の時間を使ったり、自分の手を煩わせる事なく、人に任せるという選択肢を持っている。それに相応しい振る舞いが出来ていない事が、本当に許せない。それを知らない人間なら、まだ諦めもつく。まあそうしたら結婚していないでしょうけれど。貴方は自分にしか出来ない事があるのを知っていて、それを無視し、誰にでも出来る行為に没頭してる。貴方は父になって立派な人間に成長しているつもりかもしれないけど、逆。子供に合わせる為に弱く小さな人間になった。それに満足しているのも腹が立つ。仕事を変えて時間を作った結果、私よりも収入が低くなった。子供に絵本を読み聞かせてばかりいるから、頭のキレも鈍くなった。最後に私と教養ある話をしたのは1年以上も前の事。完全な腑抜けだ。そんなの私のパートナーじゃない。」

記憶を頼りに書くと、こんなところです。(昔の話なので…すみません)

諦めてしまった

文章にするとアッサリとしたものですが、相手が泣きながら話しているので、時間にしては30分以上かかったでしょうかね。正直、「そりゃないよ」と思う部分もありましたが、それ以上に妻の言い分に納得している自分がいました。

相手のどこを好きになり、どこを嫌いになるか。人の好みはそう簡単に変えられません。妻からすれば、自分と同等もしくはそれ以上に優秀な人材である…という一点のみでポイントを稼いでいた私です、それがなくなれば一気に価値が下がってしまうのは必然ですし、筋の通った話です。例えるなら、優秀な成績を残してくれる事を期待したスポーツ特待生が、その部を辞めてしまうのであればこれ以上特待生として扱う理由が無くなりますものね。

私は妻との離婚に合意しました。

親権は母親である妻へ(追記箇所)

私達の子供は女の子です。これは私の個人的な考えですが、片親なら同性の方が利点が多いと思ったのです(男の子を持つシングルマザー、女の子を持つシングルファザーの方々、不快に思われたら申し訳ありません。)

色々な想像をしました。娘でもあり、女性でもあるのです。発育に伴う生理や下着など、女の子特有の事情もあります。悩みの相談に乗る機会もあるでしょう。妻の方が、私よりも遥かに娘をサポート出来る機会が多いと見積もりました。それこそ女性であるナニーに手助けして貰う事も可能でしょうが、そんな生活をいつまで続けられるでしょうか?人生は長いです。親であれば、10歳になっても20歳になっても寄り添えます。そもそもナニーに任せ過ぎは嫌だな…で決別しているのに、ナニー頼みになっては本末転倒です。

多くのシングルマザーが抱える問題には、収入面での苦労があります。しかし妻は高給取りなので、それには当て嵌まりません。

また、最悪の事態で私や妻が急逝したらどうしましょう?私は日本生まれの移民です。ヨーロッパに仲間や恩師はいても“親戚”は1人もいません。一方、妻には親戚がいます。しかも裕福な。冷静に考えて、妻は私よりもはるかに安全牌なのです。娘がどちらで育つべきか、火を見るよりも明らかでした。

答え合わせ

その後の流れは割愛しますが、あれから6年以上経過しました。妻は再婚し、子供は既に小学校に通っています。離婚した時はまだ本当に小さかったので、私のことなど覚えていないでしょう。それでも、今は楽しく元気に暮らしています。なるほど、当時妻が言った通りで、私がどれだけ仕事を控えて育児に専念しても、ナニーさんに育児を任せていても。子供には関係無かったのかもしれません。今目の前にいる事が父親の条件なのです。妻の言う事は全て正しかったのは、結果が証明しています。

しかし、こんな事があった今でも。私は自分の子がいれば、やはり泣けば飛び起きて「どうしたの?」と優しく笑顔で抱いてあげたいと思うのです。そこを誰かに任せる事が出来ないのは、妻の言葉を借りれば弱さや甘さに該当するのですが。そんな弱くて甘々な父親に、またなりたいと思ってしまうのです。妻に見切られるのも納得の愚かさですが、私はこの在り方だけは譲らずに生きたいと思います。再び父になる機会があれば…の話ですが。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
1373
国を転々とする重国籍移民。C2級5言語、B2-C1級6言語のマルチリンガル。コンサル→金融と欧州/東南アジアで民間を経て、欧州委員会下位機関と欧州連合専門機関で管理職。Heidelberg→Oxford。ソムリエ、唎酒師、ビアソムリエの酒オタク。西欧人とのバツあり限界三十路です

こちらでもピックアップされています

バズり記事
バズり記事
  • 1714本

全ユーザの200スキ以上ついた記事を毎週月曜日に追加

コメント (7)
>ニレイめぐみ様
私にとってはそうです!こちらこそ、コメントありがとうございます。
奥様にとっては価値がないことかもしれませんが、お子さんにとってはとても重要なことだったと思います。ボンドさんも何も悪くないと思います。2歳までは誰に育てられても関係ない、というのはあながち正しいとは言えないと思います。理論でしかないのですが、J.ボウルビィの愛着理論によれば生後6ヶ月から1歳半までが母子の愛着形成にとって重要で、2歳を過ぎて養子になった子が養母になかなか懐こうとしない事例もよくあるようですし、ボンドさんの信念は間違ってないと思うので、また素敵な機会に恵まれることを祈っております。
「それは優しさではなく、弱さや甘さ」
確かにそれはそうですね。子を持った途端、親は様々な恐れや不安、弱みを抱えますから。でも、愛情というものの本質は良くも悪くもそういうことではないかと思います。
子を持つ親になり、世界で一番大切な存在ができ、弱さや甘さを抱えたボンドさんを、「ポジティブな変化=成長」ととらえるか、「ネガティブな変化=退化」ととらえるかで、大きく違ってきますよね。それはそれぞれの価値観ですし、元妻さんの言い分は一貫しています。
多くの親は、我が子の子育てこそが「自分にしか出来ない事」であり、部下に命令を出すことは他の誰かに代替できる行為と感じてしまうので、仕事との両立で悩むんですよね。
稀有な能力とキャリア、実績に加え愛情深いお父さんなんて最高ですね、と私などは思いますが。
元妻さんの揺らぎなき価値観は素晴らしいですが、ただ、人生は長いです。様々な要因で信念やキャリアプランを変えざるを得ない時がありますからね。
それと、子供の立場で思うなら、ボンドさんのような親に育てられる方が、本来の能力を発揮しやすいかなー。良いご縁がありますように!
こんなこと言ってはあれですが、無茶苦茶楽しく読ませていただきました。
今シンガポールのコンドに住んでいて私もメイドさんを雇っていたのですが、妻も私もメイドさんに1歳の子供を付きっきりにさせるのに抵抗があって結局やめちゃいました。
欧米人のエリートだとこんなにはっきりと「子供が2歳になるまで自分達で育児をする必要は無い」「それは優しさではなく弱さや甘え」と考えている方もいると知って、とても驚きつつ妙に腑に落ちました。コンドにいる子供で、子供の顔は知っているけど親の顔知らない子結構いますし。
(あと世帯年収4千万とか聞くと、そりゃ娘の友達のあの子は100万円じゃ収まらなさそうなパーティーを何度も開催しつつ、ベトナムやらのリゾートに何度もバカンス行けるよな、、とこれまた納得しました。)
本当に2歳以下の子供を親が面倒見なくても関係ないのかも、と納得する気持ちもありつつ、子供が親に泣きついてきたら抱っこしたいし、子供の笑顔を近くで見たいし、子供がメイドにしか懐かなくなるのではと不安になるのでボンドさんの気持ちわかるなーと思いました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。