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古典でも伝統菓子でもない。もはや化石なフランス地方菓子!?

中世フランスではどんなお菓子が食べられていたか?たいしたお菓子はない。クレープ生地に煮たような生地を鉄板で挟んで焼くウーブリと呼ばれるもの、そしてエショデが代表的なお菓子だろう。このエショデというのが面白い。生地を最初ゆでてから焼くのだ。現代だとベーグルやブレッツェルの製法に近い。もしかしたら、この二つはエショデが前身かもしれない。
2度焼きする生地をビスキュイ(Biscuit)というがbisは2度目と言う意味、cuitキュイは焼くである)2度火を通すということで、このエショデもビスキュイと言えるかもしれない。

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(アルビで購入したエショデ)

エショデは、13世紀にフランス南西部のアルビの旅回りの菓子職人「カビルス」が作り始めたとものの本にある。アルビは、ベル・エポック時代、パリのキャバレーに入り浸って、そこで働く踊り子などを描いたツールーズ・ロートレック(本人は、伯爵家の生まれだが14歳のときに両足を骨折、足が悪かった)が生誕地で有名だが、ここは中世、人々が行き交いにぎわった町らしい。そのおかげで、サフランやアニスといったアラブ⇒スペイン経由で運ばれた香辛料も豊富だったため、このエショデにアニスを加えてみた。(フランスのお菓子には、めったにアニスやサフランは入らない。あるとしたら、やはりかつて交易の町として栄えたアルザスのストラスブール周辺のお菓子である。)それは考案した職人の名前にちなんでジャノという名前のお菓子、いやパン?甘くない。もともとエショデも甘くなかったと思う。というのは、砂糖はこのころ普及していなかったから。

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(アニス入りのジャノ)

やがてエショデはドーナッツ状にもなり、それはジャンブレットと呼ばれるようになる。19世紀初頭に活躍した、パリの偉大なるパティシエ、アントナン・カレームも作ったという。しかしながら、文豪アレキサンドル・デュマはその著書「大料理辞典」で、ジャンブレットをそう高く評価していなかったとか。まあ、その時代はすでにそこそこ美味しいお菓子が作られていたことでしょう。そうそう、このジャンブレット、昔はふんわりとさせる方法がなかったので、硬いお菓子だったと想像するが、やがて、アンモニアや炭酸カリウムを加えて、食感に軽さをもたらすことに成功したのである。

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(ジャンブレット)

ここで面白いのは、北フランスでは、ニュールというお菓子が作られていたが、これが全く同じ製法ということ。焼くときは、ぶどうの枝を燃やして焼いていたため、その枝には炭酸カリウムが含まれているとかで、生地がちょっとふわっとしたらしい。ニュールは、ユグノー(プロテスタント)に好まれて食されていたので、ルイ14世のナントの勅令以降、ユグノーはドイツに逃亡。そこで、ニュールは、終わり=絶望を表すオメガの形になりブレッツェルが生まれたとか。しかし、今では、ブレッツェルは、3か所の穴から太陽が降り注ぐということで、希望の象徴となっている。

今週末のフランス地方菓子クラスは、このジャノを作ります。

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アルビの大聖堂。

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アルビの街並み。

*タイトルの写真は、この地域の県の名前、タルン県の元になったタルン川沿いのアルビの古い街並み。

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