「日薬」の効用 えとふみギャラリーNo. 1

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             油彩画 F10号 「早春の北アルプス稜線上」

4人も手のかかる子供がありながら、大荷物を詰め込んだリュックを背負って出掛ける夫。
一応、目的地はざっと説明していくが、山は見るもの、登るものではないとの持論がある私には、その目的地は如何なる危険な所なのかも分かるはずもない。
すでに夫は、日常のあれこれで疲れ果て、赤信号がピカピカと頭の上で点滅している症状が現れだし、直ちに治療が必要と判断して登山科を受診するのだろう。

夫の登山のほとんどは単独行で、この日は一人で雪山をラッセルして登り、奥穂高から槍ヶ岳に向かう稜線に出たところで小休止していたら、後から来たパーティーの一人が写真を撮ってくれた。実は数々の山を登りながら、山での夫の写真がほとんど無い。常日頃「山の大きさは写真なんかでは全く分からない、だからカメラは持っていかない」と言っていたので、暫くして送ってきて下さった写真は貴重なのである。

しかしその写真を見ると、夫の目はカメラの方を見ていない。
そこのところを本人に聞くと、暴れ出しそうな雲が出てきたので先のルートはどうだろうかと考えていた時だそうだ。単独行は、全ての判断は自分で下すしかなく、しかも春山は危険な時期だ。結局ルート変更し、山での治療も効いてきたので下山したそうな。

そんな元気な時代から30年経って、私は押入れのアルバムからその時の写真を引っ張り出して絵に描いた。
それから3年後の2021年3月にそのモデルは心臓カテーテル手術を受けることとなったのだ。
手術は成功したものの、足だけは丈夫だったはずの夫は近所の散歩で疲れてしまう。まだ半月もたってないので仕方ないのだが、むかし山男としては忸怩たる思いだろう。

今日あたり良い天気なので、医者に言われたとおり身体を動かさねばと重い腰をあげた矢先、娘から電話。父親のその後はどうかと心配してかけてきたのだ。
私が今の様子を話すと、娘が自分も大きな手術を受けた後、どうも身体の調子が良くないと看護師さんに話したら「日薬(ひぐすり)だからね」と言われたとか。
つまり、病気や怪我などをした時は治りかけが大事。日、一日としっかり養生していけば必ず身体は回復していく。そういう時期の1日が薬ということを日薬と言うらしい。
何て優しい言葉だ。娘は目から鱗のような素敵な話をして電話を切った。夫に伝えるとむかし山男は少し明るい顔を浮かべ、ヨシッと小さな気合いを入れて散歩に出掛けて行った。

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