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「モノトーン」えとふみギャラリーNo.3

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                       (↑ 鉛筆画 37×45)
最近、あるデッサンの講習を受けた。
久しぶりの鉛筆画だが「描くモデルは黒い色の物」という課題であった。
各自が様々な素材の物から選んでセットする。それらを置くスペースも各自が探し、私は西面の出窓風の棚にした。外からの光が室内の照明より多少強い為、柔らかな逆光となる。
白い立方体の台に白いトイレットペーパーを横向きに置き、下にふわりと垂らした。下は真っ黒な布を敷き、まるで黒いタキシードを着ているかのようなウイスキーの瓶は中央に、その後ろに鳥の羽をそっと斜めに置いてみた。
このようにモデルたちをセットしてみたら、瓶の蓋とラベル以外はモノトーンで統一された。

日常では様々な色が溢れているし、油絵を描いている時はどの色を塗るか、色の選択の格闘なので、それだけにこのモデルたちの置かれた世界は、不思議な異空間だ。
モデルのそれぞれ色に、光のあたり具合で変わる微妙な濃さの違いを見ながら、黒の鉛筆だけで紙に写し描いていく。
よく見ていくと、影の黒い部分でありながら側の物からの反射を受けて、微かな光が灯る部分がある。真っ白な薄いペーパーにも淡い影があり、後ろから光を受けるとわずかに光を透してまた違う色合いになる。モノトーンの世界に集中して描いていると、私の頭の中から色が抜けてきて、何とも静かな空気間がとても心地よい。

そういえば半世紀以上前に、木炭デッサンを習っていた事があった。思春期の頃で、大人たちに反発したり怖れたり。身の回りの大人たちの日常の喜怒哀楽をみていると、自分は25歳より先まで生きれるとは思えなかったりした時期だ。
そんな心身が不安定な時に毎週、私は絵描きの先生宅のアトリエで、石膏像を描く指導を受けていた。白い石膏像の肌にも、明るい面と影の面の無数の段階の色と反射面があり、それらを正確に拾って木炭で白い紙に立体像を描いていく。
アトリエの室内はいつもクラシックの曲が低く流れており、そこは何人もの人が出入りする家業の我家とは全く違う静寂な空間の中、ひたすら木炭を走らせていた。
モノトーンと向かい合うこの時間は、私の16から17歳のあれこれが絡まった脳にはとても快い休息を与えてくれていたはずだ。その後の私は家庭の事情で進学を諦める事となり、美大進学のためのデッサンの時間は終ってしまった。

それは今思えば誰にでもある転機の一つではあるが、力の無い私にはそれからの何年かはまるで雨と風に漂う笹舟の様に、目標も定まらぬまま何年も懸命にもがいてもがいて……。
ふと触れた手を引き寄せてくれたのが今の夫だ。あれから50年間、人生の苦楽の荒波を2人で何とか乗り越えて、再び絵と向かい合える時間が持てる様になった。
何の縁か、久しぶりにモノトーンの描画に入り込んでみたら、自分の長い月日が一枚の絵巻の様に繋がって見えてきた。



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