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「その名はリッティー」         えとふみギャラリーNo.5

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                    (↑ スケッチ画 ボールペン)
このアカミミガメが我が家に来てから、30年近くにもなる。
末っ子の息子が小学3年生の頃に、世話は1人でちゃんとするからと懇願されて買ったのだ。
4センチ位だったか、小さくて可愛かった。毎日水を替えて、餌はそこの店で売っていた物をやる。何かを乾燥させて固めたようなものを小さくちぎってやると、その挟んだ指からパクッと食べる。

私はその当時、かなり忙しく仕事をしていたので、小さな飼育員はどの程度のお世話をしているのかわからなかったが、取り敢えず少しずつ大きくなっていった。
息子は小学校の高学年になると以前からやりたかったサッカー部に入り、運動好きだったのでストライカーを目ざし、熱中していった。実はカメちゃんの名をつけたのは彼で、買ってすぐに、憧れていたリトバルスキーの愛称のリッティーと命名した。

ある日「お母さん、リッティーの目が変だ」と言うので見てみると、目の周りは白っぽく腫れて、多分見えていないようだった。慌ててペット病院に駆け込んだが、細菌が入って炎症を起こしたので、薬局で人間用の炎症を抑える目薬をさすようにとの診断。目薬のお陰で回復したが、原因はリッティーのいる容器の水が汚かった事。とどのつまりきちんと世話をしていなかったのだ。

中学、高校とますますサッカーにのめり込み、気が付けば、私がなし崩し的に飼育員の専属になっていたのだった。リッティーは、成長期に息子の世話が至らなかったせいか現在も体は余りが大きくないが、毎日の餌やりの私の顔は覚えてくれてるみたいだ。時々、甲羅についた汚れをブラシでこすると、シャーっという音をだして、「ヤメロー」と怒る。

我家の一員となって30年弱の年月が経つので、ここらで記念に絵に描いておこうと決断。
しかしリッティーはじっとしていないだろう。かといって私には動く物をとっさに描く技量もないし、動きを全て記憶するまで観察する時間もない。ならば写真に撮ってそれを見て描くしかない。

カメラを右手で持ち、左手でリッティーを掴んでモデルの立つお立ち台に置いたら「何するんじゃい!」とばかりに走り出した。とっさに右手でシャッターを切り、左手で台からダイビング寸前のリッティーを掴んで水槽に戻した。
カメラマンとしては、多分お立ち台で『ここはどこ?』としばらくじっとしているかと思っていたのだが違った。亀は実にワイルドだ。直ちにこんな所にいては身の危険と察知したのか、真っすぐに走り出し、私が掴まなければ台から40㎝下に落ちていたはずだ。多分硬い甲羅で無事だったろうが。

日頃観察していると、無理やり狭いところに入り込み、動けなくなって短い手足をバタバタ動かしていることがよくある。そのうちに何とか脱出しているが、あまり細かな神経を使わない生き物だなと思っている。
しかし人間よりももっと遠い昔から、亀類として幾度かの地殻変動や気候変動にも耐え、現代まで生き延びているとしたら、運だけではない優れた機能を持った生物かも。先行き人類が滅んでも、地球上の一員に名を連ねているに違いない。

私はすぐに撮った画像を見た。彼は役者だ。じっとしているより必死に走る面白い姿の映像を残してくれた。                   この先、リッティーは何年生きるのやら。私はいずれ飼育員を辞めざるおえなくなる。アカミミガメは日本の自然形態を崩す外来種なので、その辺の川に放すわけにもいかない。本来の飼い主の息子は世帯をもち、北海道で暮らしているので訪ねて行った時に返還したいと思うが、どうやら移動もいけないと聞く。この事も今後の終活の大事な検討案件の一つとなりそうだ。

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