見出し画像

クジラの背骨を掘り出す

私は海岸線をドライブしていた。防風林の向こうに海が見える。道を折れて舗装されていない小路を行き、林の切れ目を抜けるとそこは砂浜だった。

行けるところまで行ってみよう。好奇心から私はゆっくりとアクセルを踏んだ。もうこれ以上行くと危険かな、というところで車をバックさせようとしたが、バックできない。車を少し前に進めて今度は勢いをつけてバックさせた。しかし、タイヤは空回りする。あがけばあがくほど深みにはまり、とうとう車は砂浜から出られなくなった。

私は必死になってタイヤ脇の砂を掘った。タイヤの下か横に何か板のようなものを挿し込めれば脱出できるかもしれない。こんなところで牽引の助けを求めるのは恥ずかしい。

汗にまみれて掘っていると、なにか硬いものに触れた。掘り出してみると、それは骨だった。直径が15センチほど、高さも15センチほどの円柱状で、中心は空洞、横からも穴が穿うがたれ、突起があり、複雑な構造をしているが綺麗な対称性があり、ガウディが設計したアパートメントのようでもある。

これはクジラの背骨の一部だと私は直感した。しばし見とれていたが車を脱出させるのが先であり、また砂を掘り続けた。正直、自分ひとりではもう無理だろうと諦めかけていたのだが、車を砂浜から引き出すことに成功した。

私は骨を持ち帰った。そして実家に持ち込んだ。父には油絵を描く趣味があり(趣味をつくったと私は思っている)、キャンバスを収納している戸棚にその骨を置いた。

それから20年が過ぎ、あの骨はどうなったのか気になりはじめた。なぜあの砂浜にクジラの骨があったのか。インターネットで調べると、その地域に捕鯨の歴史は見当たらない。漂着したのではないかと考えてさらに検索すると、ある研究者がその地域一帯に漂着した鯨類を調査して報告した論文が見つかった。世の中にはいろんな人がいるものである。

論文によると、漂着が確認または情報提供されたのはほとんどがイルカの仲間だった。クジラとなると昔の言い伝えのみである。いや、あの骨はイルカではない。大型のクジラしか考えられない。ザトウクジラ、マッコウクジラ、シロナガスクジラ。牛や馬の可能性はないだろうか。いや、ない。あの腰椎はそれぐらい大きかった。

私は実家の戸棚に骨を収めたものの、親とは断絶して帰りもしなければ連絡もとらない年月が過ぎた。そしてあの骨はどこにあるのか、今ではわからない。砂浜で掘り出した後、私はその造形美を鉛筆で精細にスケッチした。その画もどこにいったのか、わからない。

学術的に貴重な試料だったのではないだろうか。私はひとつの腰椎を掘り当てただけで、巨大な骨格が今でもあの砂浜にそのまま埋まっているのではないのか。しかし、砂浜のどの地点であったのか、今となってはわからない。

陸と海、現代と古代、人類と生物、現世と彼岸、生と死、過去と未来。

あの骨は、私にもたらされた「こちら側とあちら側」を繋ぐ大切な何かだったのではないか。そう思うのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?