見出し画像

人間であることの重さ


わたしは発達障害で躁鬱22歳。

お久しぶりです、天然水です。

もう故人ですが好きな女優さんのWikipediaにしっかりと生涯独身の文字が刻まれていて、そのことを考えるたびに、人間に生まれてきたカルマってどんなくらい付き纏ってくるような重いものなんだろうと呆然とします。確かにその女優さんは健康な方だったのだろうけれど、障害を持っている自分だって、というか障害を持っているからこそより一層人間であることの責任を押し付けられている気持ちになりました。

みなさんはRADWIMPSの「棒人間」という曲をご存知ですか?ドラマの主題歌のイメージが大きい曲でもありますが、実は歌詞がほんとうに直球でグサグサと突き刺さります。
そしてさらに、この曲は発達障害の当事者のことを歌っているのではないかとも受け取れます。YouTubeのコメント欄にも同様の解釈をしている当事者の方が複数人いました。

以下、好きな歌詞をいくつか引用します。

僕もいつの日にかホントの
人間になれるんじゃないかなんて
そんな夢を見ていました
夢を見てました

RADWIMPS「棒人間」

僕は人間じゃないんです
ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで
よく間違われるのです

僕も人間でいいんですか?
ねぇ誰か答えてよ
見よう見まねで生きてる
僕を許してくれますか

僕もいつの日にかホントの人間になれるんじゃないかなんて そんな夢を見ていました」、この歌詞を初めて聴いたとき、心の底から感動して涙が止まりませんでした。それぐらい発達障害の生きづらさを代弁してくれてるんじゃないかと思う言葉です。
わたしも小学生の頃から本気で「ホントの人間」になれると夢を見てきました。でも、必死に這いつくばって力尽きるまで頑張って頑張って最終的に残ったのは双極性障害だけでした。しかも大学も中退。勉強だけはできるとギリギリのプライドで自分を保っていましたが、それも今は残されていません。
この曲を聴くたびに、何が人間の中身だったんだろうと自分を振り返らざるを得ませんでした。発達障害の場合、いくら勉強ができたとしても外面を剥がしたら何も詰まっていなかったのです。

それでも、この「棒人間」という曲の最後は、

バッタもんのわりにですが
何度も諦めたつもりでも
人間でありたいのです

と締め括られています。正直、今の自分は発達障害と診断されたばかりで余裕もありませんし、この先もずっと人間でいられる自信がありません。人間でもいたくないし、来世は風になりたいです。とはいえ、最終的にはこの歌詞のように、何度も挫折した先にたどり着いたなりの人間になったと受け取れるようになる日が来たらラッキーだなとは思います。

…なんか書いてて思いましたが、読書感想文みたいですねw
RADWIMPS「棒人間」、聴いてくださると嬉しいです。それでは、今日はここまで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?