見出し画像

信仰を持ち、真の平安を獲得した人生

実家に居るのがあまりにも苦しくて逃げるように上京した私は、結婚を機とした渡欧にもやはり迷いは無かった。

目標や夢は色々と叶えてきた。今は夫とニャンコと暮らしながら、自分の使命と思える仕事をし、休みは美しい自然を味わいに出掛け、素敵な人達との出逢いにも恵まれ...昔よりよっぽど良い人生を生きてる。

そんな10代後半から30代に突入した現在まで。

ふと「で?(まだこの先も続くけど)自分の人生って何だったのだろう?」と考えるようになったここ最近。

確かに昔からあらゆる芸術、自然が好きで海外にも興味があったし、今手にしているのは全て祈り求めてたものたちだから、凄く自分らしい理想的な日々に辿り着けたと思う。本当に有難いこと。

でもそれらのものがあるから私自身幸せかといえば、ある意味ではそうだけど、本当の意味ではちょっと違うんだよね。そんなことを深掘りしていくことにする。

幼少時代も今と変わらないのは読書と物作りに没頭していたこと。ごっこ遊びも好きな割に人見知りで、いつも人々のリーダー的存在でありムードメーカーだった兄や幼馴染を「凄いなぁ自分とは違うなぁ」と側で見つめてるタイプだった。

それが兄が亡くなり家庭崩壊してからは激変して、私は仲間の中心で自己主張するようになった。小学校6年〜中学時代を知ってる友人たちが言うに私は「奇抜」で「怖いイメージ」だったのだそう。情緒不安定で喜怒哀楽が激しいとも言われたことがある。

そんな風になってた時期は味方も多いけど敵も多かったので、色んな場面に出くわした。そしてそんな自分の良くなかった部分を悔やみ、15の時にハッキリと「自分を変えたい。ただ愛で生きたい。」と願い決意した。

お金は無かったけど無いなりに世界中、特にヨーロッパ中を沢山旅した。挑戦したいことはやれる範囲でなんでもやってきた。

身近な人達には10代から今までずっと、「芯が強い」「行動力がある」そして「変人」だと言われ続けてきた。

変人は別として、「芯が強い」「行動力がある」とはいつも褒め言葉のように言ってもらえてたけど、自分の内側を知ってる自分は、なんとも言えないような思いがする。

自分の中にはいつも、死にたい気持ちと良い未来を信じたい渇望の両方があったからだ。何か刺激が無ければ/常に今生きる目的を意識していなければ、生きていられなかったような自分だった。

当初は「愛で生きたい」と願いながらも「自分を傷付けたり嘲笑ったりした人間達を見返してやる」というメラメラとした美しくない感情も強くあった。

...でもそんな自分には心底疲れていたし、クリスチャンとしての信仰を持ってからはそんな空虚な思いを持つ自分と改めて真正面から向き合い、心、人生を全く新たにしていく作業が進んでいった。

気付いたら自分の中に蔓延していたアクが見事に抜け去っていて、久しぶりに会った友人からは「落ち着いた」「全然違う人みたい」等と言われる私になってた。超大人しくなったので笑、この世的には「つまらない人になった」とさえ言えるかもしれない。

結婚し渡欧してからはそれまでとはまた違う試練に次々遭遇し、この5年間もめちゃくちゃに辛かった。その内1年間ほどはストレスと経済的な理由での栄養不足から顔中が出来物だらけ、その前後も鬱的症状でベッドから起き上がれない日々が長かった。

今は山場からは抜け出したように見えるとはいえ、実家という私にとっての地獄から逃げて逃げて逃げ切ってきたのにこんな参事を経験し、じゃあ「自分のこれまでの選択は間違ってたか」「自分は不幸な人間か」と己に問えば、違うんだよなぁ〜。

そんな風に考えていたらTwitter上でこの言葉に出逢った。

なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから 。

- 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

"銀河鉄道の夜"は20代前半で舞台役者をしていた頃、師匠である大輪茂男先生が「好き」と仰っていたから読んだけど、この言葉については今回初めて読むように響いた。当時の自分にも響くように感じるから、単に忘れてただけなのだろうけど。

この言葉が全て言い表してくれてる。

30年の人生を思い返すと、幼少期以降は本当に辛いこと・困難だらけだった。闇の中の星のようにパッと輝いていた瞬間は色々あるけど、基本は育ちによるトラウマと人としての欠落を抱えながら生きてきたので、殆どのエピソードに笑えない(からこそ普段は笑いにする)裏話がある。

正直もしこんな人生を送るのだと最初から知っていたなら生まれてきたくはなかった、と現実点ではまだ時折思う。人生の始めである親から健全に愛されすくすく育ちたかった。後を引いてるもの悲しい寂しい思いは、死ぬまで完全には無くならないのかもしれない。

でも幸いだったと思うのは、10代最後でイエスキリストに出逢い、人としての道を大きく外れなかったこと。

私は犯罪者の気持ちが理解できてしまう方の人間だ。あまりに惨すぎる理不尽や虐げに追いやられ、その先に酷い恨みや報復をしたくなる思いに駆られたことが幾度となくあるから。

しかしながら「報復や八つ当たりは絶対にしない。」と固く決めて自制し、愛と赦しに顔を向けて生きてこれたのは、信仰があったから。

崖っぷちまで追い詰められて心底死にたいと思っても最後に自殺を決行しなかったのは、信仰があったから。

どんなに苦しくても薬物どころかタバコにすら手を出したことがないし、アル中等にもならなかったのは、信仰があったから。

道を逸れるきっかけとなり得ることは山ほどあったけど、"クリスチャンとして正しい道を選び続けていくこと"の中に真の平安を見出してたから、そこを離れなかった。特に辛い時は教会の牧師に相談して一緒に祈ってもらった。

今もそう。いくら夢や理想を手にしたってそれらと心の健康はあんまり関係がなくて、辛く苦しく感じることなんか日々度々ある。

何より過去の深い傷があまりに強く疼きまくって、未だ影響し続けてる。(人によって大差あれど、親の愛情を十分に受けられなかった・歪んだ家庭環境で育った人間は30になってもこうなのだと知ってほしい。)

でも神様に心を向ける時、祈る時、賛美する時。イエスキリストの十字架によって自分が救われたことに感謝する時。いつか天の国に帰ることを想像する時。私は心に平安を得る。それらの場所に本当に本当の幸福があるとクリアに感じる。

だから私の人生30年、一言で表現するなら、「イエスキリストを信じることで神様に立ち返り、真の平安を獲得した人生」だと思う。それ以上のことって私には無い。

色んな目標や夢を叶えても世界中を旅しても最愛の人と結婚しても仲間に恵まれても理想の生活や仕事を手にしても何しても、それらはとても喜ばしいことたちだけど、「信仰を得たこと以上」とまで言えることは何一つ無い。それに信仰を一にして生きてきたからこそ他の部分が祝福されているのだと思ってる。

70,80,90...と生きても、これは変わらないのだろうし、それが自分の人生の幸福の定義であり、早い段階でそれを見出せたことは幸いだったと思う。

“あなたがたも心配しないで、安心していなさい。こんなにも念には念を入れて話したのは、そのためなのですから。確かに、この世では苦難と悲しみが山ほどあります。しかし、元気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。”

- ‭‭ヨハネの福音書‬ ‭16:33‬ ‭

この記事が参加している募集

自己紹介

振り返りnote

頂いたサポートは一時帰国した際大切に使用させて頂きます。励みになります☺︎