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現代文を学ぶ意味

こんにちは。エデュサポです。
子どもたちと話をしていると、こんな質問をされることがあります。

「日本語を話せるのに、なんで国語の勉強をしなくちゃいけないんですか?」

実際には本当に国語を勉強することの意味を知りたいわけではなく、国語の勉強が面倒だからそう言っているだけなのですが、どう答えればよいかっていうのは結構難しいんですよね。

私が考える現代文を学ぶ意味は、「概念を言語化することによって人に伝わる状態にし、それを受け取った人間が新たな概念に発展させられるようにする」ことだと思っています。

ちょっと抽象的な表現なので、後ほど例を挙げて解説します。

私は以前、塾講師の仕事をしていました。集団塾と個別塾で講師と教室長を務め、オンライン教育系の塾運営の仕事をしていた時期もあります。かれこれ20年以上、塾業界で働きました。

多くの子どもたちとか関わってきた中で感じたことを書いていきます。

国語レベルが低いことは本人では気づけない

子どもに限らず、ずっと日本に住んでいるのにも関わらず、日本語ができない人も多いです。「仕事で支障が出るんじゃないか」というレベルの人や、「日常会話に支障が出るんじゃないか」というレベルの人も結構います。

問題は、「日常会話に支障が出るんじゃないか」というレベルの人が、日常会話に支障が出ていることに気づいていないということです。

日常会話に支障が出る国語レベルの人でも、聞き手の国語力が高ければ会話は成立します。聞き手の国語力が低ければ会話に支障が出ますが、話者は「この人は物分りの悪い人だ。」と思ってしまいます。原因が自分にあることを認識できません

これは本当に怖いことです。自分もこうやって文章を書いているので、気をつけなくてはいけないなと思います。

国語の力はすべての学力の原点

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教育の仕事に携わっている方であれば、国語力こそがすべての学力の原点であることは重々感じられていると思います。

例えば、学校の教科書はすべて文章で書かれています。読解力がなければ、社会の教科書も理科の教科書も算数の教科書も読めないのです。

「算数の文章題が苦手です。」という子どもたちの中には、問題文の意味を読解できていない子どもも多数います。「算数の解説を読んでもわからない。」という子どもも、算数がわからないのではなく、解説の文章を読解できていない子どももかなりいます。

また、何かを頭の中で考える時、日本語を母国語としている人間であれば日本語の文章で考えます。考えていることを言葉にできなければ、思考は前に進みません
思考が前に進まなければ、学力は伸びません。

国語の力こそが、すべての学力の源なのです。

概念を言語化することの意味

先ほどお昼ごはんを作っている時に、2021年の共通テストの国語の問題の内容を思い出して、「古典的な妖怪って、現代ではエセ科学に置き換えられてるよな。」って、思いました。これが今回この記事を書いているきっかけで、冒頭で書いた現代文を学ぶ意味の具体例になります。

ちなみにエセ科学とは、疑似科学や偽科学とも言われるものです。科学的な事実に基づいているっぽく語られるけれども、実はまったく科学的ではない主張のことです。

話を戻します。2021年の大学入学共通テスト(旧大学入試センター試験)の国語の第1問は、香川雅信の『江戸の妖怪革命』の序章からの出題でした。非常に面白い文章なので、ぜひ読んでみてください。

この文章の序盤で、民間伝承としての古典的な妖怪が生まれた理由が書かれています。人間は理解を超える不思議な現象に直面した時、その原因や意味を理解できずに不安や恐怖を感じます。その不安や恐怖を打ち消すために、妖怪を登場させて、不思議な現象に因果関係を持たせたといった内容です。

「ようかいのせいなのね。そうなのね。」ということにして、心の平安を保ったということです。ちなみに、この部分を正確に読み取れていれば問2の問題に正解できます。良い問題です。

科学の発展とともに妖怪は必要なくなった

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ここからは、先ほどの共通テストの問題から私が考えを発展させていった内容です。

現代では科学が発達し、不思議な出来事の原因の多くは解明されました。原因が解明された以上、それはもう不思議な現象ではありません。もはやそこに妖怪の出番はないのです。

しかし、それでも不思議な出来事というものは起こるものです。にも関わらず、もう妖怪の仕業という手は使えないのです。それでも人間は、納得できる説明がなければ安心できません

テレビのニュースやワイドショーでも、専門家が出てきて視聴者にわかりやすく解説してくれたりしますよね。起こった事件や事故について、原因や意味を説明されなければ、視聴者は不安になってしまいます。

一方で、ワイドショーに登場する専門家の中には、結構怪しい先生もいますよね。そもそも視聴者は、先生が言っている内容よりも、先生の肩書を見て話を信じるか信じないかを判断してます。中には、「テレビでやってるから正しいことである。」と思ってしまっている視聴者もいますよね。

これは非常に危険ですよね。「偉い人が言っているから正しい。」というのは、人が陥りやすい罠です。心理学的には「権威の隷属」と言われるそうです。論理学的には「権威に訴える論証」と言われ、論理的には間違っていることが多いようです。興味がある方は調べてみてください。

それでも人は、納得できる因果関係を求めて、その権威にすがってしまうのです。

エセ科学でのマーケティング

さらに人は、科学的根拠がまったくないことでも、それっぽく言われると信じてしまうようになってしまいました。

一時期話題になった水素水なんかも、なんだか科学っぽい説明をされると、体に良いものだって信じてしまいそうになります。

科学健康研究所所長っていう肩書の先生が出てきて、「水素は活性酸素と結合しやすいので、体の中の活性酸素を除去してくれるのです。」なんて説明をされると、ついつい「なるほど!」って思ってしまいそうになります。

よく考えれば活性酸素が何なのかわからないし、活性酸素が体に悪いものなのかどうかもよくわからないし、なぜ水素が活性酸素と結びつくのかも説明されてないんですよね。肩書なんて名乗ってしまえば勝ちっていう側面もありますよね。

こんなの、「この壺は高名な霊媒師が妖怪よけを施しているから、買えば悪い妖怪からあなたを守ってくれます。」と言ってるのと似たようなものです。

安心のための因果関係を妖怪に求めるか、科学っぽい何かに求めるかの違いでしかありません。それを利用して、無価値なものを売って金儲けをするのは問題だと思います。

思考の前進こそが現代文を学ぶ意味

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かなり話が脱線しましたが、私が伝えたかったのは次のようなことです。

民間伝承としての古典的な妖怪について、言語化されたものに私が触れたことで私の思考は前進し、現代の人間は過去の人間が妖怪に求めたものを、エセ科学に求めたのではないかという考えに至りました。

続いて私がこれを言語化したことで、これを読んだ誰かがまた思考を前進させ、なにか新しい考えを思いつくかもしれません。その人がまた言語化してくだされば、また他の誰かの考えを前進させることができます。

これが、この記事の序盤で書いた「概念を言語化することによって人に伝わる状態にし、それを受け取った人間が新たな概念に発展させられるようになる」という状態です。

ただし、言語化されたものを自分の中に落とし込むためには、国語の力が必要になります。先ほど紹介した共通テストの問題、正解できましたか?

さらに、自分の思考を言語化する際にも国語の力が必要になります。現代文を勉強しなければ、どちらもできません。

そういうわけで、現代文を勉強することには大いに意味があるのですが、問題はこれを子どもたちにわかりやすく伝えるためにはどうすればよいか、ということになります。

この記事を読んだあなたが思考を前進させ良い考えを思いつき、それを言語化していただけたらとても嬉しいです。

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