見出し画像

えー、何を書いても間違ってる様な気がして書いては消すを繰り返しているんですが。自分の感性はおかしいんだろうかと思って、他の人が書いてるこの映画の共感部分や恋愛に対する考え方みたいな感想を見ても、自分がこの映画から受け取った感覚とはちょっと違う気がして。もっとこう、感傷とか分かりみとは違う、何かの真理に触れた様な新鮮さと興奮があったんですよね。(ちょっと今回、それが何だったのか探る旅に出てみようと思います。感想になってなかったらすみません。)えー、「サッドティー」や「退屈な日々にさようならを」の今泉力哉監督の最新作「愛がなんだ」の感想です。

まず、冒頭がめちゃくちゃ良かったんです。マモルがテルコに電話で、体調を崩して寝込んでるんだけど、もし、まだ会社にいるなら帰り掛けに何か買って家に来てくれないかって頼むんです。マモルに会いたいテルコは、ちょうど今から帰ろうとしてたところでしょうがないから行ってあげるって言うんですね。既に家に帰って来てしまっているのに。で、じつはここではまだマモルの姿は画面に出て来てなくて、テルコが携帯で話してる横顔だけが映っているんですけど、この会話のやりとりのニュアンスで、テルコはマモルにそうとう惚れてるけどマモルはそうでもない。マモルは体調崩していることで人恋しくなっているだけで、頼めば何とかしてくれるテルコにとりあえず連絡している。そのこともテルコは薄々は感づいているけど、じゃあ、テルコに対してマモルは全くの脈ナシかって言われるとそうとも言い切れない。だから、テルコはマモルに対してこのくらいの距離感で接しているのかみたいなふたりの関係性が、この1分ないくらいの短いシーンからビシビシ伝わって来るんです。これ、もちろん脚本も凄いし、あえてのミニマルな演出も凄いんですけど。なぜ、ここまで伝わるのかっていうと、僕らにこういう会話をした経験があるからなんですよね(じつは、映画に出てくる全ての会話に既視感がありました。)。どっちつかずの期待と不安で楽しいのか辛いのかもよく分からない関係性の時期。それは恋ではないかもしれないし、ましてや愛なんかではないだろうし。この冒頭のシーン(というかテルコが電話しながらコートを持って立ち上がるまでのほんの1カット)の間に、強烈に「ああ、これは知ってる話だ。」って思わされるんです。

で、テルコとマモルの関係を中心にして、テルコの友達の葉子、その葉子に惚れてる弱味でいいように扱われてる仲原っち。マモルが片想いしているスミレさん(で、このスミレさんはテルコのことをなぜか非常に気に入っているんです。)の5人のそれぞれの関係が鏡像したり平行したりして描かれるんですけど、恋愛もので5人も出て来たら当然あるであろう取った取られたとか、相手の恋路を邪魔するみたいなことは一切ないんです(まぁ、テルコとマモルとスミレさんでいわゆる三角関係みたいなことにはなるんですけど、これももともと距離のあるふたりの間におんなじくらい距離のあるスミレさんが入って来るだけなんで、それによって特に物語に大きな変化はないんです。)。で、このお互いのテリトリーに踏み込まない感じの気の使い方、要するに相手の為に何かをすることをしない恋愛の描き方のリアルさにより共感したり、うわ〜ってなったりするわけなんですけど。この異常なリアルさって何なんだろうって思ったんです。たぶん、これって恋愛に奇跡とか真実を求めていない(のか描いていないのか)ことのリアルさだと思ったんです。

僕はどちらかというと現実主義者なので物事を考える時に重要なのは事実なんですね。事実が積み重なったところに真実があると思っていて。僕が映画を観るのも、様々な事実の積み重ね方を見せてくれるからで。その事実の重なり方によってそれが時々奇跡の様に見えたりもする。だから、奇跡が起きたことにはアガらないんですけど、ひとつひとつの事実の集積が奇跡の様に見える瞬間があることにカタルシスを感じるんです。で、そういう瞬間がこの映画にも描かれていると思っていて。あの、これって、テルコが自分に降り掛かる事実を淡々と受入れて積み重ねていくことである真理に辿り着くって話だと思うんですよね。

去年公開された濱口竜介監督の「寝ても覚めても」って映画があるんですけど(人が恋愛してる時の盲目さというか、普段だったらそんな行動しないのにっていうことを理解不能な人間離れした行動として描いてる映画で、それが実際に起こっていることなのか主人公の朝子の脳内で起こっていることなのか分からなくなる様な、ミステリーというか、もうほとんどホラーみたいな話なんですけど。映画を最後まで観るとこれは朝子の心の内を映像化したものだったんじゃないかなって思うんです。)、僕はこの「寝ても覚めても」と「愛がなんだ」は本質的に同じ話だと思っていて。ただ、「寝ても覚めても」は、朝子の心の内にフォーカスすることで映画がどんどん現実離れして行って(まぁ、そこが面白かったんですけど。)、とても恋愛映画とは思えない様な世界へ突入して行くんですね。でも、「愛がなんだ」の場合は、それをあえて描かない(今泉監督は基本的に描かないってことで表現する監督だと思います。)ことで恋愛映画の体裁を保ちながら恋愛してる時の人の心理状態の無意識さやそこに現れる狂気を描いてると思ったんです(いや、これ、描いているのか、描かれてしまったのかよく分からないんですけどね。そのくらいの無意識さで狂気が噴出してるんです。)。

で、その「愛がなんだ」が実際に描いているものは何なのかっていうのは映画を観て感じ取ってもらいたいんですけど、要するにテルコの心の変化を描いているんですよ。この映画の中でテルコは何も成長しないし何も変わらないと言われていますが、僕はそんなことないと思ったんですよね。確かに同じ場所にいるし考え方も変わってないけど、それは何もしてないってことではなくて、映画の冒頭からずーっと降り掛かる事実に向き合い、そのことに対して考えその都度答えを出して来たんだと思うんです。で、その考え続けて来たことにある決定的な答えを出したところで映画が終わっているんだと思うんです。そのテルコのアグレッシブさと潔さに僕は興奮して感動したんです。仲原っちは別の場所へ行くことを選んだわけですけど、ここではないどこかへ行くことだけが正しさではないって話だと思うんです。(映画終盤でテルコが仲原っちに対して怒ったのは「そんなこと今更言われんでも分かっとるわ、バーカ。」ってことだったんじゃないかなと思うんです。)

去年から「寝ても覚めても」も含めて、「君の鳥はうたえる」、「生きてるだけで、愛。」などニューウェーブな邦画の恋愛物が続いてますけど、癒しと狂気が共存してる革新性と、観た人誰もが自分の話だと感じる普遍性を併せ持ってる(そして、何と言ってもめちゃくちゃキュート。岸井ゆきのさんも成田凌さんもめちゃかわいいです。実際、それだけでも充分観れる。)って意味で、個人的にはこの「愛がなんだ」が最高なんじゃないかと思います。女性ばかりの会場の上映前に感じた挑む様な雰囲気も含めて凄く刺激的な映画体験でした。

http://aigananda.com/

サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。