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石畳

東京外国語大学ポルトガル語学科 佐藤日奈子

コンコンコン、コロン、カン。

 ポルトガルにきて数ヶ月が経った。初めはドキドキしながら歩いていた通学路にも慣れ、いつもの人とすれ違う。怖いスーパーの店員に会う回数を減らすために、食材を買いだめすることも少なくなっていた頃だった。なんとなく日々を過ごしていた。
 ある日、私はベランダで、日光浴がてら読書をしていた。すると、普通の工事とは違う、かわいらしい音と男性たちの話し声が聞こえる。

カンコン、コロンッ。

石畳の修復作業を見たのはそれが初めてだった。小さな石一つ一つを地道に組み合わせていく途方もない作業に、私の目は釘付けになる。

 ポルトガルの道は今でも多くが石畳でできている。正方形と呼んでいいのかわからない四角の石が敷き詰められているが、不恰好で歪みがあり、脚がひどく疲れる。なんで21世紀にもなってアスファルトにしないんだ。いつも不思議に思っていた。

 次の日、いつものように街へ出て買い物をし、いつものようにお気に入りの場所に腰を下ろす。目の前に広がる見慣れたテージョ川。でも、私の気持ちはいつもとちょっぴり違っていた。

 「あ、石畳だ。」

 ここへ来るまでにも歩いてきた石畳。相変わらず歩き心地は悪かったが、不思議である。あの工事を見て以来、私にとってはただの石ではなくなっていた。どんな人がいつやったのかな、完成させるのはどれだけ大変だっただろう、どうしてこのデザインにしたのだろう。私の脳内を様々な想像が駆け巡る。

石畳だけではない。「発展しすぎていない」ポルトガルは、私たちに、時代を超えた想像を日常的にさせてくれる国だとその時思った。誰もが遥か遠くの、見えない何かに思いを馳せてしまう、そんな国。
ポルトガルはどこか暖かく懐かしい、いつか戻りたくなるところ、なんてよく言われるが、その理由の一端が実は、石畳が作り出す雰囲気にもあったりして、なんて勝手に考えていた。

そんなこんなで一年が経ち、私は成田空港に降り立った。日本は本当に良い国だ。キレイだし、どこへ行っても冷房暖房は効いているし、交通は便利だし、何より店員は優しいし。

でもどうしてだろう。私が住む大都会東京には何もかもあるのに、得られないものなんてないのに、ポルトガルにあった「あの感じ」はない。歩くだけで想像を膨らませてくれるような、そして何度でも帰りたくなるような、あの暖かな感じ。東京の道を歩いていても、私の目に映るのは、無機質なアスファルトと狭い空だけだ。

 「日本の道は歩きやすいなあ。」

褒め言葉のはずなのに、今の私には寂しく響く。

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