【IB・MYP・評価】学校における”評価”を手作り玉ねぎ麹に対する辛口評価エピソードと無理やりこじつけてみる。(現在の実践編パート1)
玉ねぎ麹、つい四日ほど前にも作りました。
本当に簡単で、みじん切りにした玉ねぎに塩と麹を混ぜるだけ。
昨年度までは”ソフリット”と呼ばれるイタリア料理によく使われる
香味ベースを時間と労力とエネルギーを大量に消費して
作っていたのですが・・・。
目に見えないほどの小さな微生物である麹菌たちが、
大きな生活の変化を自分にもたらしてくれています。
「小さなものの集まりが相互作用すると、大きな変化を起こす」という
IB用語のなかで言うところのCentral Ideaのような
Statement of Inquiryのような。。。
そんな概念を想起させてくれる玉ねぎ塩麹です。
さて、前回の記事の中で
「学校と呼ばれる場所で行われる”評価”とは、
どのような教育的意味を持つのだろう・・・?」について
先生になりたてだった頃の自分は
「”評価”=評定をつける」と理解していたと判明しました。
つまり、教育的意味はほとんどなかったのです。
それどころか「この提出物は評定に響く」と言えば、
生徒が必死こいて締め切りまでに提出物を出してきた
のですから、脅しに近いものだったのかもしれません。
そんな私が、今現在IB校ではどのように”評価”をしているのか、
具体的な実践をつらつらと書いてみます。
今現在教えている理科のUnit。
UnitのStatement of Inquiryは、
「自然界におけるかたち・もようの繰り返しは機能的である」
としています。生物をメインで構成したUnitとなっており、
主に植物を題材として取り扱っています。
植物に見られる構造パターンを探り、その構造パターンが持つ機能を
仮説実験により検証しようといった課題を与えています。
生徒が今週取り組んだのは、
「仮説を立てることの意味」について自分の解釈を構造的にまとめること。
仮説を立てることは「何をするのか」ということは知っているけれど、
「何のためにするのか」を生徒はまだ理解していません。
そこで、NHK for School(これは公立時代にもお世話になりました)
カガクノミカタという番組を参考映像として見ました。
その情報をもとに「仮説を立てることの意味」を文章ではなく
構造化して1枚のスライドにまとめるという課題を出したのです。
その次の授業。生徒が構造化してきたスライドを全て印刷し、
広い机の上に並べてこう言います。
「今からお互いのスライドを”評価”し、フィードバックを与えなさい。」「”評価”のポイントは、2つ。」
「一つは、仮説を立てることの意味をどのように構造化すれば効果的なのか。」「見比べて判断し、フィードバックを書き込みなさい。」
「二つ目は、仮説を立てることの意味を仲間の解釈から吸収し、自分の解釈を再解釈すること。」
こんな感じで指示を与え、「はい、どーぞ!」といった感じです。
授業の中でこのように”評価”という言葉を使っています。
行動レベルで似た言葉を探しますと、公教育で言うところの「他者評価」が近いのではないでしょうか。ただし・・・意味レベルで考えると、この”評価”という言葉は全く違う意識で使っています。
次の投稿では、もう一つの具体的実践例を挙げ、そこから今現在の私がどのように”評価”というものを捉えているのかについて書き殴っていきます。