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時に同調し、自己を抑制し、選択基準を他に合わせなければならない。

 自己肯定感の欠如は、他人を羨ましいと思う気持ちを育みます。他人を羨ましいと思う気持ちは、「自分は自分」と思える気持ちを阻害します。「自分は自分」と思える気持ちがないということは、自信がないということです。自信がないということは、「他人が何をしても自分には関係ない」と思えないということです。他人と自分を比べたり、他人に同調したりしてしまうのはそのためです。だからこそ、自己肯定感は自己主張するにあたって欠かせない、とても大切なものなのです。

 はい、皆さんこんばんは!あかりです。ただいま深夜3時です。本来ならもう寝ているはずなのですが。ふと、いろいろ考えていることがありまして。これらをさっさと言葉にしてしまおうと思い、Noteを開いたというわけです。でも、今日はたぶん、短めNoteとなりそうです。では、参りましょう。

 ところで皆さん、自由って何ですか。因みに、自由の根本には、意見形成の自由があるとどこかで聞いたことがあります。そうです。自分がやりたいことやる(=自由に生きる)ためには、まずは自分から「私はこれがやりたいです。」と周囲に言う必要がありますからね。そして、その意見形成の自由に必要なのは、自信です。自信がないと何も言えません。自信は、「自分は自分」と自分を肯定できる心をいいます。

 ここでいきなり自分語りをぶっこみますが、私は、自信がある割には、自己肯定感がない人間です。そうです。私は、言いたいことをネット上でバンバン発信できる割には、結局、怖がっているんです。だって、自信は自分で身につけることができますが、自己肯定感は他者が与えてくれるものなんですよ。なぜ他者から与えてもらえなかったのかは、置いておいて、次。

 なんだか今日の私(=言葉)、ちょっと素直なご様子です。疲れているのでしょうか、眠いのでしょうか。そういうときの私は「ふふ」と「、」が多くなりがちです。少し気合を入れますね。

 さて。ここからは、「自分の言葉を他人と比べ始めたら、すごく怖くなったというお話」を致したいと思います。理由は簡単、リードの通りです。上手くお察し頂けることを願います。

 私は、考えることが得意です。だからこそ、別に考えなくてもいいことまでつい考えすぎてしまう性格をしています。ですが、それって別に、得意なことでも何でもない、ただの当たり前なことなんじゃないかなあって思ったわけです。ふふ。これも考えすぎなのかな?まっ人として生きている以上、考えることは当たり前なわけです。皆、毎日、せっせと何かを考えているわけです。でも、その考えていることを、出すか出さないかは個人の選択なんですよね。だから、今までの私は、別に特別なことでも何でもない、ごくごく当たり前のことをただひけらかしているだけだったんだなあって、思ったんです。私が今考えていることだって、それが考えすぎなのか、当たり前のことなのか、よくわからなくて困っています。ふふ。自明性、喪失(笑)うーん。代弁者と言えば聞こえはいいですが、皆がただ黙って考えていることを、ただ言葉にしているだけなんだっていうと、すごく恥ずかしい気分になりますね。

 言葉は、自分を伝える手段として用いられるものです。感情や思想を他者と分かち合うために、私たち日本人は、10種類もの品詞を使い分けながら言葉を組み立てているわけです。が、「いつ・どこで・誰が」の部分は使い分けないといけないんだなとようやく最近になって気付きまして。

 ある方から、「誰しも表の顔と裏の顔があると思うけれど、良くも悪くもあかりちゃんは素なんだと思うよ。レスポンスが現実世界より遅くに還るからこそ、どんどん深みにはまってしまう。」「自分の言葉が独り歩きしても、それが独り歩きするものだと思って、俯瞰できればいいんだけど、あかりちゃんはその言葉を身に纏って戦場(=社会)に出ちゃう。」というお言葉を頂きました。(ご本人様に許可とっています。)

 確かになあって思いました。私が生きているのは、幻想世界(=SNS)ではなく、現実世界(=社会)です。私の言葉は、場に応じて使い分ける必要があったんですね。考えることも曝け出すことも、どんな言葉を使うかも個人の自由であり、選択です。が、社会の中で生きていくためには、それらをコントロールしないといけなかったんですね。ふふ。なんだかお洋服と似ています。人々がTPOに合わせた格好をするように、言葉も生きる世界に合わせていかなければなりません。そんな当たり前のことを22才にしてようやく初めて気付いたというわけです。たぶん、これも他の皆が考えているんだろうなあって思いながら今言葉を紡いでいます。ふふ。恥ずかしい。恥ずかしくなってきたので、もうそろそろ、もうやめにします。

 私が人から「変だ・おかしい・(おもしろい)」って人から言われてしまう理由もたぶん、ここにありそうです。画面上で賛同してもらった言葉を真に受けて、そのまま社会に出るから、私は人間関係を構築する上で躓いてしまうのでしょう。これからは、言葉を選びながら社会の中でうま~く生きていきたいものです。

 でもきっと、これからも、私は「SNS上で当たり前のことを当たり前のように言うこと」を続けるんだと思います。だって、私には言葉以外に何も持っていないんです。これしか自信がないんですね。ただ、現実と幻想の世界の言葉を切り分けること。決して世界を混ぜてはいけないということは、これから意識していこうと思います。

 という当たり前のことをこの世界にてつらつらと述べさせて頂きました。ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

 またね

 あかり

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21卒の女子大生です。誤字脱字に定評があります。

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コメント (7)
こんばんは!仕事で文章を作ったり、人と話しているとつい自分は主語を忘れがちだとふと最近気づきました。自分がどの言葉が足りないか、ということを改めて振り返ってみると面白いですし自分自身への分析になるなーと。
変人というのは、私は誉め言葉といつもありがたく受け取っています。笑
コメントありがとうございます!
言葉は使い方や受け取り方次第でどんなものにもなれますよね(*´▽`*)
変人もいい捉え方でいこうと思います!🤣
NOTE拝見しました。私もよく変人と言われたり、とにかくあかりさんと似たことを言われたりしているので共感しましたとともに驚きました!
私事ですが、現在就活で落ちてばかりです。悩んでいましたが、自分なりの言葉で伝えようと欲が出て、独りよがりになっていたのだと気づき反省しました。
自分なりに考えありのまま伝えるスタイルも大切ですが、そこに他人の評価基準も持っていなければ社会では生きていけないのだなと思いました。
お読みいただきありがとうございます!
「自分らしさ」と「相手に聞いてもらう」という意識のバランスが難しいですよね( ;∀;)
そう言って頂けてうれしいです!
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