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時には、汚れた人生を歩むときもある。

宿命や運命だと逃げるのはラク。
もちろん現実は厳しいけど、
その分、優しさにも満ちている。

どんな宿命や運命にも偶然はなくて、
乗り越えられないものは一切ない。

ある人から言われたの。

「絶望といい、不幸といい、
それをそうと決めるのは、
所詮その人の心の仕業であり、
希望とはまず、
自分自身の悲哀を克服したところに
生まれるものなんだぜ」


めちゃカッコいいこと言うよね。

人生はある意味、悩みの連続。
でもさ、視界を広げれば、
自分以上に大変な中で生きている人たち
がいますよね。

病気の人。
目が見えない人。
耳が聞こえない人。
学びたくても学べない人。
生きたくても生きられない人。

逃げるな!なんて言える?
勝とうよなんて励ませられる?

だけど、本気で相手を想い、
必死の励ましから出る言葉は絶対に
必要だと思ってる。

本気で相手を想うなんて、
本気で自分が抱える悲哀と向き合い、
引き受け、
立ち向かった人にしかできない行為だし、
もがきながら暗雲をかきわけ、
太陽に向いていく行動をした人だけだけど、

できる精一杯の励ましはとても大切だと
思うんだ。ぼくは。

不安、悔しさ、悲しみ、あらゆる悩みが、
薄い影、濃い影となって現れながら、
そのど真ん中で、
もがきながら暗雲をかきわけ
太陽に向かっていく。

時には、汚れた人生を歩むときもある。

恥をかきながら歩むときもある。


優しく手を差し伸べてくれる人が
いないときだってある。




大事なのは最後に勝つこと。



ジャングルに迷い込んだとしても、
一歩ずつ前に進む。
そうすれば必ずジャングルを抜け出せることに
気づくと教えてもらったな。

どこかに、
遠い彼方に太陽があるんじゃなく、
自分の中に太陽があるんだよと。



自分にしか登れない山がある。
登るのは苦しい。

しかし、登れば自分が強くなる。
登れば、もっと大きな視界が開けてくる。

視界が開けて新しい道が見えたりする。


人それぞれに役割があり、
人それぞれに使命がありますもんね。


人に馬鹿にされても、いじめられても、
恥を忍んでも、ニッコリ笑って全部、
自分を人間として偉大な人間にしてくれる
泥沼だと思うことが大切になりますから。



蓮の花は泥沼に咲く。

八葉蓮華(はちようれんげ)といって、
八とは開くという意義がある。

自分の花を、世界で一つしかない花を、
泥沼の中で咲かせていく。
泥沼に咲くからこそ美しさが際立つ。

書きながら、自分かっこいいこと言ってるな
って少し陶酔してる(笑)

そして、
悲しみと苦痛が自分という大地を
耕してくれると思うし、
そこからしか人を幸せにしたいという
美しい心の花が咲くことはないのではないかと。


悩みや苦しみは、
自分を不幸にさせるために現れるんじゃない。
自分を強くさせるため、強くなることで、
同じような悩みを持つ人の希望になり、
灯台になるために現れるんだと信じてる。



“世界を制する者は、
まずは自らの悲哀を制せよ”




負けないことが勝つこと。
負けない人が強い人。
強い人が幸せな人。

だから絶対にやってはならないこと。
それは、自分を侮り、卑下してしまうこと!

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